ロクサス様の結婚
レイル様は五個目の豆大福をごくんと飲み込んで、レイル様らしくない深いため息を一つついた。
「結婚っていっても、まだ相手が決まったわけじゃないんだけどね。……ロクサス、年明けにジラール公爵家に帰ったんだ。ずっと、帰ってこいって父に言われていて」
「……そうなんですね。大丈夫ですか?」
ロクサス様の家の事情は、私は少しだけ知っている。
以前レイル様を助けて欲しいと言われてジラール家の別邸に誘拐された時に、ロクサス様から聞いたからだ。
ロクサス様のお父様、ジラール公爵は──優秀なレイル様だけを可愛がっていたらしい。
命を奪う魔法の力を持ったロクサス様は、お父様に不必要だという扱いを受けていて、お母様や使用人の皆さんには怖がられていたらしい。
双子の兄のレイル様は、そんなロクサス様の心の支えだった。
だからレイル様が白月病を患った時、レイル様を切り捨てたジラール家にロクサス様は──その力を使ってご両親を脅して、ジラール家の権限を自分のものにしたのだという。
つまり、実質のジラール公爵となった、ということなのだろう。
そんなロクサス様がお父様に呼び戻されてジラール家に戻るなんて、心配になってしまうわね。
「まぁ、大丈夫だとは思うよ。でも、やっぱり面倒なことになったよね。ロクサスも二十歳だし、家のためにそろそろ結婚をしろと言われるのは仕方ないとして……」
「相手が決まった訳ではないんですよね……? ロクサス様の気に入った女性を探せば良いのではないでしょうか……」
私は両手を握りしめて言った。
ロクサス様が、恋愛。
いつも不機嫌そうで、ちょっと怖いけれど、よくお皿を割ったり紅茶をこぼしているロクサス様が、恋愛。
どんな女性が好きなのか全くわからないけれど──。
「穏やかで、落ち着いていて、世話好きの女性……とか、……どうでしょうか……」
「うん……そうだねぇ……」
「リディア。……きっと、ロクサスは結婚したくないんだよ」
「え?」
困ったように言うレイル様をフォローするように、クリスレインお兄様が片手の指をぴっと上げて言った。
「相手が決まっていなくて、公爵として家のために、領民のために結婚しろと言われている。相手が決まっているわけではないから望まぬ結婚を強いられているわけではない。でも、まぁ、立場を考えれば断りづらい。それで、困っている」
それからピッと伸ばした人差し指を、口元へ持っていく。
「そこから導き出される答えは一つ。ロクサスは結婚したくないんだよ。私と同じだね〜」
のんびりした声音で、クリスレインお兄様は言った。
私ははっとして目を見開いて、それから俯いた。
「ご、ごめんなさい……結婚したくないから、ロクサス様は悩んでいるのですね……レイル様は、だから心配しているんですよね……」
「うん、まぁ、そんな感じ。本来なら私がジラール家を継がなければいけないのだけれど、私は死んだことになっていて。私の存在が両親に知られていたとしても、一度白月病を患った私の血筋など、ジラール家には残せないと言われるだろうし……なんだかんだで、結局ジラール家での決定権はまだ父にあるし……」
レイル様はそう言いながら、食べようとしていた豆大福を物欲しそうにレイル様を見上げているエーリスちゃんの口に押し込んだ。
「ジラール公爵領には領民たちもいるからね、ロクサスもわかっているんだよ。いつまでも、私のように遊んでいられないことを……!」
「レイル様は遊んでいられるんですか……?」
「うん。私は無責任なんだ。そうだねぇ、私だったら……父上に結婚しろって言われたら、そのうち養子でも迎えるよ、すごく優秀な養子を迎える……例えば、殿下の子供とかね……! などと言って、のらりくらりとかわすけれど、ロクサスは真面目だから」
「どうしてステファン様の……?」
「マルクス父上は、ベルナール王家が大好きだから。殿下の血筋を我が家に入れると言えば、絶対に断らない。なんだろうねぇ、好きなんだよ。ゼーレ様がね……昔は、フェルドゥール神官長と友人の座を奪い合っていたようだよ」
「え? え……?」
友人の座を、奪い合う。
それって一体どういうことなのかしら。
私の脳裏に、ゼーレ様の両手を引っ張り合うフェルドゥールお父様と、ジラール公爵の顔が思い浮かんだ。
ジラール侯爵の顔はよく思い出せないので、目元に黒い線が入っている。
ゼーレ様の顔もよく思い出せないので、以下同文。
「つまり……ロクサス様もステファン様が好き……?」
「好きだと思うよ?」
「だから、結婚したくない……」
「姫君、ごめん、なんだか私の言い方が悪くて大変なことになってる気がしてきた。まぁいいか。ともかくロクサスは結婚したくないけれど、立場をわきまえている生真面目なところがあるから、そろそろそれを受け入れなくてはいけないって思っていて……本当はもっと自由でいたいのに、家に縛り付けられそうになっているんだよ」
「結婚か……懐かしいな……」
レイル様の説明にふむふむと頷いていると、お父さんがぽつりと言った。
なんとも言えない沈黙が、お店の中を支配する。
全員の視線がお父さんに向いている。
「お父さん、結婚を……? 相手はプードルとかですか……?」
「あぁ、今のは秘密だ。忘れろ」
「お父さんの子供……子犬ちゃんたちが……お父さんも子犬に見えます……」
「私はみんなのお父さんだ」
お父さんにも結婚経験があったのね、知らなかった。
犬の姿で結婚したのか、人間の姿で結婚したのか気になるところだ。
また秘密が増えてしまったわね、お父さん。
「それで、レイルはロクサスを助けたい……そういうことだね」
クリスレインお兄様がどこからともなく大きめの折り畳み式扇子を取り出して、ぱしんと手の中で打ち鳴らした。
「うん。早い話が、そう」
「それなら、リディアに婚約者のふりをして貰えば良いんじゃない?」
「え?」
良い考えを思いついた、というようにクリスレイン様が微笑んだ。
そこで自分の名前が出るとは思わなくて、私は戸惑いながらその顔を見上げる。
「うん。良い考えだね。ロクサスがレイルや私のように、結婚なんてくだらない……好きな人ができたらするし、できなければしないよ……などと言い切れる人間なら良いのだけれど、そうではないのだろう。だとしたら、婚約者がいると言ってジラール公爵たちを納得させれば良いのだろう」
「え、で、でも……」
「でも、クリスレイン。父上は今すぐにでもロクサスを結婚させたいと思っているんだよ。姫君が婚約者など嘘をついたら、すぐに結婚式が開かれてしまうかもしれない」
「……うん。そこで、そうだね……例えば、ルシアンあたりに、私のリディアを返せ! などと言って踏み込んでもらって、うやむやに……ロクサスは婚約者を二度失った男として、晴れて自由の身に……」
「え、え……」
なんて杜撰な計画なのだろうと、さすがの私でも分かった。
それで納得してくれる人なんているのかしら。そもそもそれでは、ロクサス様とルシアンさんの評判が落ちるだけなんじゃ……。
「良いね、それ」
私の心配をよそに、レイル様がとても良い考え、みたいな感じで親指を立てた。
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