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聖地ハイルシュトルと不死者と罪




 巡礼のために神殿をめぐる巡礼者の最終目的地は、王国北にある──かつて女神アレクサンドリアが降り立ったと言われる聖地ハイルシュトル。

 聖地までの旅は安全なものではなく、魔物に襲われて巡礼の旅を諦める者も多い。

 神殿の神官たちによる巡礼は形骸化されている。

 それは、聖地ハイルシュトルには何もないと、神官たちは知っているからだ。


「……シエル殿。わざわざこんなところまでお越しとは、何用ですかな」


 聖地ハイルシュトルはレスト神官家の管轄である。

 だが、レスト神官家のある聖都アスカリットからは離れており、聖地ハイルシュトルに訪れる者はごく僅かだ。


「石碑を、見せてもらいたい」


 新年祭の空気がまだ明けない聖都から出て、シエルはハイルシュトル神殿まで訪れていた。

 突然の来訪に、ハイルシュトル神殿の管理者であるウィーヴィル神官はやや嫌そうに顔を顰めている。


 新年祭のこの時期は、北の外れにある聖地ハイルシュトルは雪で閉ざされる。

 聖地ハイルシュトルは小高い丘の上にあり、その麓の街も白く閉ざされていて、皆、息を潜めるようにして家の中で雪解けを待っている。


 ウィーヴィル神官は、髪に白いものが混じり始めている肉付きの良い高齢の男だ。

 ウィーヴィル・ハイルシュトル。聖地ハイルシュトルを昔から守ってきた家の者で、昔は聖地ハイルシュトルは小さな村だった。ハイルシュトル家も小さな村の長というだけだったようだが、今は神殿の管理者として君臨している。


 シエルがハイルシュトル神殿を訪れるのは、これがはじめてではない。

 聖地ハイルシュトルとハイルシュトルの街を守護するための、結界石は神殿の中にある。

 その魔力の補充や定期的な点検に、何度か訪れていた。


 だが、それだけだ。

 半分宝石人の血を受けて生まれたシエルは、神祖テオバルトのことも、女神アレクサンドリアのことも忌避する傾向にあった。

 この国が神祖と女神の祝福を受けた地であるとして。

 その地に生まれ落ちて、魔物として扱われて──乱獲され、その体を穿たれて高値で取引される宝石人というのは、この国における異物だ。


 その異物の仲間であり、中途半端な生き物である自分は、どこにも所属できない。

 神祖を敬う気も、女神を尊ぶ気にもなれなかった。


 神殿ハイルシュトルに訪れるのも結界石の管理のためのみ。

 役割が終われば、早々に立ち去っていた。

 シエルがこの地に踏み入ることを快く思わない人間の方がずっと多いことを知っている。


 宝石人は魔物だ。

 魔物とは女神アレクサンドリアを害しようとした、魔女シルフィーナの生み出したものだからだ。


 ウィーヴィル神官の太い指には、ごろごろと大きな赤い宝石のついた指輪がいくつも輝いている。

 純度が高く美しく、大きな宝石だ。

 シエルにとってそれは、宝石人の──父の、肉片のように見えた。


 例えば、城に貴族女性が集まる時。

 皆、煌びやかな宝石を身に纏っているが、シエルにはそれが全て穿たれた宝石人の欠片のように思えてしまう。


 もちろん、岩を削り掘り出した宝石も中には含まれているだろう。

 けれど、岩を削り小さな宝石を掘り当てるよりも、宝石人を捕らえて穿った方が、宝石を手に入れるにはずっと早い。


 宝石人は、生きているうちに穿たれる。

 心臓部分である核を壊してしまえば、その宝石の体は流砂のように砂になり消えてしまうからだ。


 ゼーレ王の方針で、宝石人を捕らえることは罪とされるようになった。

 宝石人はエーデルシュタインに移り住み、一塊になることで人間たちから身を守っている。


 だが、それで全てが終わったというわけではない。

 今でも、密猟者はいる。それで、私腹を肥やしているものが存在している。

 理解しているが、どうすることもできない。


 一部の密猟者を投獄したとして、新しい密猟者がうまれるだけだ。人間を全員殺してしまえば、宝石人の安寧は守られるだろう。

 それは土台無理な話だし、『正しい』ことは、誰も殺さないこと、傷つけないこと、守ることだと認識しているシエルに、そんなことができるわけがない。


 結局、何もできないのだろう。

 そう思って生きてきた。できることには限りがある。

 本当は、自分は何もかもをどうでも良いと思っているのかもしれない。


 ただ一つを、除いては。


「石碑を……不躾なことですな。巡礼の旅をしているわけでもありますまいに。石碑はアレクサンドリア様の遺した秘宝。この聖地で守らなければいけないものです。おいそれと、見せるわけにはいきません」


「ウィーヴィル殿は、宝石が好きだろう。……最近は、宝石人から採れるものは滅多に市場には出回らない。闇市で、時々見かける程度だな」


「何が言いたいのですか?」


「何も。あなたの身につけているそれの出どころを、嗅ぎ回る気はないよ。ただ、欲しいかと、思ってね」


 シエルが取り出したのは、一粒の青い宝石だった。

 まるで、犬の前に肉をぶら下げるように、ウィーヴィルの前にちらつかせる。


「これは僕の、体の一部。宝石人が死ねば、穿たれつくられた宝石は、ただの宝石と成り果てる。それは、魔力を帯びたものではない。だが、僕は生きている。純粋な魔石だ。……欲しければ、あなたの心がけによっては、渡しても良いと考えている」


「……石碑ですね、どうぞ、存分に見ていってください」


 ウィーヴィルは、目の色と態度を簡単に変えた。

 ぎらぎらとした目は、シエルの価値を値踏みしているように、宝石とシエルの顔を忙しなく行ったり来たりしている。

 この視線は、馴染み深いものだ。今更どうとも思わない。


 己の身の内からこぼれ落ちるようにして、髪や体に生まれる宝石を、シエルはずっと醜悪なものだと認識していた。

 髪を切れば、宝石もこぼれ落ちる。

 全て、消し炭にしてきた。この世に自分のかけらが残ることを考えただけで、憂鬱さが胸を支配するようだった。


 はじめて、──リディアに渡した。

 リディアが自分の一部をお守りとして持ってくれているというだけで、世界に許されたような、安心感が胸に湧き上がってくるように、感じられた。

 その感覚は、全てを他人事のように感じるシエルにとって、言いようもなく甘美なものだった。


 ウィーヴィル神官に宝石を手渡して、シエルは案内されるままに石碑の間に向かった。

 何も感じていない。そのはずなのに、僅かな吐き気を感じた。


 ハイルシュトル神殿の奥に隠された石碑は、白い石廟のような場所の中央にある円柱形の石だった。

 円柱形の黒い石の表面には、アレクサンドリアの文字が浮かんでいる。


「一人にしてくれるか?」


「ええ、もちろん。ゆっくり見ていってください。ただの石です。文字が書かれた石でしかありませんが」


 ウィーヴィル神官はシエルに言われて、逃げるように石室から出ていった。

 静まり返った一人きりの石室で、シエルは深く息をつく。


 それから、石碑に手を置いた。

 僅かな、魔力の残滓を感じる。名前が刻まれたただの石。だが、ここにこれがあることに──何かの、意味があるはずだ。

 石碑から、何か言いたげな気配を感じる。

 指先に魔力を込めると、黒い石碑に赤い血管のようなものが何本も走り、どくりと脈打った気がした。


「……これは」


 古い文字が、浮かびあがる。

 その文字を、シエルは目で追った。


「……不死者とは、月の民。白い月に住む……不滅の人々」


 ──ごめんなさい。

 ────ごめんなさい。

 ──────ごめんなさい、シルフィーナ。

 私は、何もわかっていなかった。


 アレクサンドリアの遺した碑文は、謝罪の言葉で締め括られていた。


「……それで、あなたは何がしたかったのか」


 碑石から手を離すと、赤く輝いていた文字は消えた。

 倦怠感が、体を包む。


『私は、私は不死者。月から、落ちて、テオバルト様に拾われた』

『私は罪人』

『ごめんなさい。ごめんなさい』

『ごめんなさい、シルフィーナ』

『いつかあの可哀想な人の、呪いがとけるように』

『私の子供たちが、私の罪を、雪いでくれるように』


「……こんなことに、……関わらせるのは、いけない」


 目を伏せると、瞼の裏に優しく微笑む少女の顔が映った。

 赤い月に魔女がいる。

 宝石人は、彼女と、それから女神の、罪の象徴。


「……終わらせなければ。……誰かが、気づいてしまう前に」


 優しいリディアが、気づく前に。

 石室を後にしようとしたシエルの前に──石碑の裏から、不可思議に輝く小さな動物が姿を現した。

 足に絡みつくふさふさとした耳を持つ、エメラルドグリーンに輝く小さな動物を、シエルは抱き上げた。


「……まだ、生きていたのか」


 シエルはその動物をローブの中に入れると、足元に魔法陣を出現させて、石室を後にした。




三章です、よろしくお願いしますー!

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