おやすみ、君の幸せを
私たちは路地に向き合う形で分かれて、それぞれ雪玉を作った。
雪は冷たくて、フェルドゥールお父様にもらった手袋の上からでもひんやりする。
「建物に被害が出ない限りは何しても良いということで。魔法を使うのも許可しよう。私たちはシエルとルシアンを倒したら勝ち。シエルとルシアンは、私たちを倒したら勝ち。雪玉が当たった時点で、負けだよ」
「魔法の使用許可がレイル様から降りました。リディアさん、雪玉を作りますから、存分に投げてください」
「ありがとうございます、シエル様……!」
レイル様の言葉にシエル様は頷くと、軽く指を弾いた。
ふわふわと、雪玉がいくつも作り上げられて、私の周りに浮かび上がる。
「早速ずるいな、シエル。兄上、魔法の使用許可、出さないほうが良かったのでは?」
「いや、だって、魔法が使えないと、ロクサスなんて集中攻撃されてすぐ倒されちゃいそうだし」
「案ずるな、ロクサス。俺がお前を守る」
「どういう意味だ、兄上。殿下、俺を守ろうとするな」
レイル様たちがせっせと雪玉を作り上げていると、寒いからとお店の中にいたマーガレットさんたちが外に出てきた。
「見物に来たわよ」
「面白そうだから見にきたぞ」
「そろそろ準備できた? 良いかしら。こういうのって、審判いないとダメでしょ。あたしたちが見届け人になってあげるわよ。リディアちゃんを賭けた勝負のね……!」
「おやすみを言えるだけの権利とか、可愛いもんだとは思うがな。リディア、お前は誰に勝って欲しいんだ?」
どうして私が賞品になっているのかよくわからないけれど、誰におやすみを言って欲しいか、という意味よね。
「私……おやすみは、みんなで言いたいですけど、だめですか……?」
「良い子、リディアちゃん、良い子……」
「色気がねぇな……マーガレット、お前の教育が悪い」
「しょうがないじゃない……リディアちゃん、レスト神官家で育ったのよ? 清らかなのよ……心の底から、清いのよ……」
ツクヨミさんとマーガレットさんが何かをこそこそ話している。
それから気を取り直したように私たちに向き直った。
「それじゃ、はじめ!」
マーガレットさんの合図と共に、ルシアンさんがすごい勢いで雪玉を掴んで、目視できないほどの素早さで雪玉を投げた。ロクサス様に向かって。
「ルシアン、やっぱり暗黒騎士だね……! 弱点を思い切り狙ってくるとか、潔いよ……!」
「弱点とか言うな、兄上!」
雪玉とは思えないスピードで雪玉がロクサス様に向かっていく。
ロクサス様は両手を雪玉に翳した。
「刻の魔法、奪魂!」
時間を奪われた雪玉たちは、元の形に戻る。
つまり──お水に。
「うわ……!」
ロクサス様の体に、お水に戻った雪玉がべしゃべしゃと降り掛かる。
びしょ濡れになったロクサス様は、雪に足を取られて滑って転んだ。やっぱり滑って転んだ。
滑って転ぶんじゃないかなって思っていたのだけれど、やっぱり。
「大丈夫か、ロクサス!」
ステファン様がロクサス様の腕を掴んで、転ぶのを阻止する。
とっても王子様みたいだ。
「ロクサス、中途半端に時間を奪ったら、雪は水になってしまうよ」
「それはそうだが、ここであまり力を使うのは……狭い路地だし、他の建物に影響があってはまずい」
「どっちにしろロクサスは集中攻撃されると思っていたのだけれどね……! シエル、潰れてもらうよ!」
レイル様が軽々と空に飛び上がって、片手に抱えている雪玉を、雨のようにシエル様に向かって投げつける。
空から襲来する雪玉の数々を見上げて、シエル様は軽く片手を上げた。
シエル様の前に宝石のように煌めく薄い障壁ができ上がる。
雪玉は全て障壁に弾かれて、崩れやすい雪玉なのに、どういうわけかそのままの形でレイル様の方へと弾き返される。
「強い……さすが、幽玄の魔王だね」
「その呼び方は……少し。いや、今はその呼び名を受け入れましょう。僕は、魔王です。リディアさんを得たければ、僕を倒してみてください」
「ふふ、ノリが良いね、シエル! 前よりも少し、元気になった?」
「お陰様で」
レイル様はいつの間にか取り出していた短剣で、雪玉を全て叩き落とした。
私も、ぼんやりしている場合ではないわね。
手にしていた雪玉を、ロクサス様を助け起こしているステファン様に向かって構えた。
「ステファン様、ごめんなさい! これは雪合戦なので……!」
「リディア……」
ぽん、と、投げた雪玉が、ステファン様の顔にべしゃりと当たった。
まさか顔に当たると思わないし、ステファン様は避けるかなと思っていた私は、慌ててステファン様に駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか、ステファン様? 痛くなかったですか?」
「いや、大丈夫だ。すごいな、リディア。当たってしまった。雪合戦が上手だな」
にこにこしながらステファン様が私を褒めてくれる。
ロクサス様が胡乱なものを見るような目で、ステファン様を睨め付けた。
「何をしているんだ、殿下。馬鹿なのか」
「い、いや、だって、リディアがはじめて雪合戦をして、雪玉を俺に投げてくれたんだぞ……? リディアが頑張っているのだから、褒めるのは当然だろう、こんなに可愛いリディアを褒めないなど、俺にはできない」
「馬鹿なのか……!」
怒るロクサス様に、ルシアンさんが容赦なく雪玉を、その顔にベシャ! っとぶつけた。
「ステファン、ロクサス、失格~」
マーガレットさんの声が無情にも、路地に響き渡った。
「ええ……っ、早すぎない? 二人とも早すぎない? 勇者の仲間としての自覚が足りないのでは……!?」
「レイル様、申し訳ありません。これも勝負なので」
「レイル様、諦めてください」
レイル様の雪玉を、シエル様の防護壁が全て弾き返して、さらにルシアンさんの豪速球が襲い掛かる。
空中で一回転して地上に降りて、雪玉を弾き飛ばしたり避けたりしながら、レイル様は珍しく焦った表情を浮かべた。
「勇者は一人でも戦うものだけれど、どう考えても不利だね、これは。殿下がここまでとは思っていなかったよ……!」
「レイル、俺はとても満足しているぞ。雪合戦をしているリディアの姿を見ることができたのだから」
「娘の運動会に参加しているお父さんなの?」
「殿下……気持ちはわかるが、もう少し頑張って欲しかった……」
嬉しそうなステファン様に、レイル様とロクサス様が頭を抱えている。仲良しだ。
「あぁ、もう……! どう考えても私の負けだよね、これは……変若水を使っても良いけれど、……雪が消えてしまって、雪合戦にならないのも興醒めだし……」
深くため息をついたレイル様の肩に、ベシャッと雪玉が当たる。
「勇者は負けないものだけれど、仲間が死亡した状態で魔王と暗黒竜騎士に挑むのはね……姫君を助けられなかった……私もまだまだだね……」
「レイル、失格~ということで、どうするの? ルシアンとシエルが戦う?」
「魔王と死神の一騎打ちか? これはこれで見応えがあるな」
びしょびしょになったロクサス様やステファン様、それから自分のお洋服を、レイル様は時を戻す魔法で乾かした。
それからがっかりしたように肩を落とした。
マーガレットさんとツクヨミさんに言われて、シエル様とルシアンさんは顔を見合わせる。
「それでも良いが……」
「リディアさんは、もう、眠いですよね?」
「……ええと、はい、少し」
雪合戦、楽しかったけれど。
そう言われると、もうそろそろ眠い気がする。
暗かった空が、白んでいる。もうすぐ夜明けが近いのかもしれない。
「……ルシアン、あなたの勝ちで良いですよ。僕は魔法しか使用していませんし、魔法ではじき返した雪玉の軌道を、レイル様に読まれていました。レイル様に雪玉をぶつけたのはルシアンですから」
「お前、急にそう殊勝なことを言われると怖いからやめてくれ。もっと張り合え。私がリディアを独占しても良いのか?」
「僕は、リディアさんが幸せであればそれで良いと考えています」
「二人とも、勝負は勝負だ。ここは、古の叡智、じゃんけんで決めたらどうだ?」
ステファン様が二人の肩をぽん、と叩いて言った。
ロクサス様とレイル様が「じゃんけんか……」「提案がお年寄りだよ……」と、苦笑している。
そうして―――。
私は、冷たくなった体をシエル様の浄化魔法で綺麗にして貰って、寝室へと運んで貰った。
一階では、『負け犬たちの宴』と称して、ツクヨミさんたちがまだお酒を飲んでいる。
ステファン様とロクサス様の腕をマーガレットさんとツクヨミさんががしっと捕まえて、「明日の夜までが新年祭りよ!」「明日の夜までは宴だ! 付き合え若者たちよ!」と言っていた。
レイル様とルシアンさんは「望むところだ」「付き合いますよ、お二人とも」と、意気揚々としていた。
「……一階ではまだお酒、飲んでいるのに、凄く静かですね」
寝室ベッドでは、お父さんとエーリスちゃんとファミーヌさんがすやすや眠っている。
シエル様は私をベッドにそっと、降ろしてくれた。
それから、さらりと頬を撫でてくれる。
「今日は、遅くまで付き合ってくださってありがとうございました、リディアさん」
「……シエル様、本当は、……もっと違う話し方、しますよね。私、ちゃんと……シエル様の本当を、しりたいです」
眠たいせいかしら。
少し、甘えたい気持ちだ。
離れていこうとする手を握りしめて、私は言った。ほんの少しの寂しさを感じていた。
いつも、距離がある――みたいな。
「……困ったな。……そう、可愛いことを言われると、……よくない」
深い深い海の底に落ちていくような眠気が、体を支配する。
「おやすみ、……リディア。……どうか、君の幸せが、ずっと続くように」
手のひらをそっと握られた。なにか、柔らかくて湿ったなにかが、手のひらに当たった気がした。
私は瞼を閉じる。
私の幸せは――。
皆が、笑っていられること。
どうか――シエル様も、一緒に。あたたかくて幸せな日常が、続きますように。
シエル様にそうお返事をしたかったけれど、もう言葉を話すことができそうになかった。
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