年末の支度と両親の訪問
私は朝からせっせと、クリスレインお兄様に頂いた蟹を解凍していた。
といっても、綺麗に洗ったあとのシンクに置いているだけなんだけど。
凍った蟹は溶ける時にお水が結構出るので、しかるべき場所においておかないとびしょびしょになってしまう。
その点、シンクならいくらびしょびしょになっても良いものね。
クリスレインお兄様に頂いた蟹は、年末に行った大衆食堂ロベリア蟹フェアで、かなりなくなっていた。
残りは、今日食べたら終わりになりそう。
「明日は、新年祭りですから、新年祭りのためのお料理も準備しないといけませんね」
といっても、年末も新年もロベリアはお休みだ。
この時期、お店はどこも閉まる。市場だけは新年祭の支度のために賑わうので、開いているけれど。
「昨日は大掃除でしたけれど、皆さんに手伝ってもらって助かりました。今日はもうご飯の準備をするだけですから」
昨日お店の前の雪かきとか大掃除をしていたら、レオンズロアの皆さんとセイントワイスの皆さんがたくさんやってきた。
お店はお休みなのでと慌てる私に、皆さんは『我らの妖精リディアさんを讃える会』として、お掃除を手伝いに来てくれたのだという。
セイントワイスの魔導師の方々のおかげで、水回りやコンロなどは浄化魔法でぴかぴかに。
レオンズロアの騎士の方々のおかげで、雪かきも窓拭きも、床掃除もささっと終わってしまった。
私は寝室やお風呂掃除や、リビングの掃除をするだけで済んだので、とっても助かった。
ロベリアの店内は聖夜祭の飾り付けを外して、新年祭用に変えている。
といっても、聖夜祭と比べて新年祭は特に決まった飾りはないので、お花を飾ったり、リーヴィスさんから貰ったエーリスちゃんのマスコットを飾ったりしている。
「来年はユキシロウサギ年だから、エーリスちゃんのマスコットをたくさん作ってくれたそうですよ。エーリスちゃんは鳥なのかウサギなのかわかりませんけど」
リーヴィスさんはお掃除に来てくれたついでに、「ファミーヌさんのマスコットと、お父さんのマスコットも作らなければ……」と言いながら、じっくりファミーヌさんとお父さんを眺めてから帰っていった。
「かぼちゃぷりん?」
エーリスちゃんは調理台の上で、チーズスフレケーキをもむもむ食べている。
昨日セイントワイスの皆さんがお土産でくれたものだ。
ファミーヌさんも、エミリア様に貰った特製猫ちゃん用黄金皿で、チーズスフレケーキをお上品に食べている。
早々に食べ終わってしまったエーリスちゃんがファミーヌさんの分にも手を出そうとして、ペシっと手で払われている。
「良いか、子供たちよ。この国には、その年毎に幸運の動物が定められていてな。今年はシンリントラ年、来年はユキシロウサギ年、というように」
「かぼちゃ」
「タルトタタン……」
「何故と言われてもな。古の時代に、占星術師が定めたようだが。縁起が良いとか、なんとかで」
いくつか用意してある調理場の丸椅子の一つに座っているお父さんが、諭すように言った。
「……お父さん、エーリスちゃんやファミーヌさんの言葉がわかるのですか?」
「いや? なんとなくで会話をしているが、だいたい合っているようだ。子供たちの言っていることぐらいなんとなくわかるだろう、リディアにも」
「はい。なんとなくですけど……」
なんとなく、なんとなく。
エーリスちゃんとファミーヌさんは顔を見合わせると、「かぼちゃ」「タルト」と言って、手や耳をぱたぱたさせた。ちょっと嬉しそうだ。
蟹を溶かして、明日の新年祭のご飯を何にしようか考えていると、扉の外で私を呼ぶ声がした。
「リディア、いるか?」
「リディアちゃん、いるかしら」
なんだか少し、懐かしい声だ。懐かしくて、昔は怖かったけれど、安心する声。
「お父様、お母様……!」
入り口の扉を開くと、そこにはフェルドゥールお父様と、ティアンサお母様がいた。
フェルドゥールお父様は、両手に荷物をたくさん抱えている。
持ちきれないぐらいの手荷物のせいで、顔が見えないぐらいだ。
お母様は最後に見た時よりもさらに若々しく見える。長期間の仮死状態のために、年齢は私とそんなに変わらないようだけれど、やっぱりお母様という感じがする。
「リディアちゃん、元気だった? 迷惑かもしれないと悩んだのだけれど、会いに来てしまったわ」
ティアンサお母様が、私をぎゅうぎゅう抱きしめながら言った。
お母様は私よりも少しだけ背が高い。あと、私と同じぐらい胸が大きい。ぽよんぽよんとした感触が体に当たる。
胸の大きさとは安心感なのねと、私は気恥ずかしさと共に心地良さを味わった。
「迷惑じゃないですよ。ごめんなさい、私、会いに行かなくて……蟹フェアをしていたら、お客さんがたくさんきて……大掃除したりもして、気づいたら年末になってしまって」
「良いのよ、リディアちゃん。お店を開いているのだから、忙しくて当然よね」
「リディア、相変わらず……その、シエル君たちは、来ているのか?」
「はい、来てくれていますよ」
「そ、そうか……その、リディア、あのな」
「フェル様、娘の恋愛に口を出すと嫌われるわよ」
「そ、そ、そうだな……それはそうだ、つい、つい聞きたくなってしまう……我慢だ……」
「恋愛……」
お父様を咎めるお母様に、私は首を傾げた。
恋愛。
──恋愛。
────恋愛。
今まで私とは無関係だと思っていたけれど。
マーガレットさんがよく言っていたわね。「リディアちゃん、新しい恋でもしてみなさいな」って。
「……リディアちゃん、今日もみんなで集まるんでしょう? クリスレインは年始まで留守にすると弟にそれはもう叱られると言って一度国に戻ったけれど、またお土産を持ってリディアちゃんに顔を見せると言っていたわ」
「クリスレインお兄様は蟹をいっぱいくれました、良い方ですね」
「少し変わっているけれど、良い子ね」
クリスレインお兄様はエルガルド王国に戻ったのね。
不思議な人だったし、私にエルガルド王国に来るかと言っていたけれど。
まだお返事をしていないのよね。
もう、私の心は決まっているから、ちゃんと断ろうとは思っているけれど。
「リディア、年末用の食材と、色々を届けに来た。サーモンや丸餅、野菜と海老と栗や諸々だ。それから寒くないように魔石ストーブと、耐寒毛布と膝掛け、寂しくないように可愛いぬいぐるみも持ってきた」
ずいぶん荷物が多いと思ったけれど、そんなにたくさん持っていたのね、お父様。
お父様はそういうと、てきぱきと手荷物を整理し始める。
魔石ストーブを調理場に設置してくれて、膝掛けを丸椅子の上に。食材は保存庫の中に、毛布は寝室に運んでくれた。
「リディア、何か足りないものはないか? 何か困っていることはないか? お父様に言いなさい。お父様は、そこの犬のお父さんよりもずっと役に立てるぞ」
私に大きめのユキシロウサギのぬいぐるみを渡しながら、お父様が言う。
「私は存在自体が可愛いのだから、存在するだけで役に立っているのだ」
自信満々でお父さんが言った。お父さんを応援するように「かぼちゃぷりん!」「タルトタタン……!」と、可愛い子たちが声をあげている。
ユキシロウサギのぬいぐるみは、小さな子供ぐらいの大きさがある。
お母様は両手を胸の前で握りしめると「リディアちゃん、可愛い……絵画にして保管したい可愛さだわ……」と言って、喜んでくれた。
「でも、ドレスを着ているリディアちゃんも見たい……ねぇ、リディアちゃん。春の晩餐会には参加しましょう? ドレスを着たリディアちゃんが見たいの。もちろんその時は、お母様やお父様と一緒ではなくても良いのだけれど」
「……春の晩餐会ですか……」
お母様に言われて、私はううんと、目を伏せる。
晩餐会の時はいつもひとりぼっちだったから、良い思い出がないのよね。
「もちろん、私たちと一緒でなくても良いのよ。素敵な男性がいたら、その方と一緒でも良いのよ」
「今の所、いませんけれど」
私の脳裏に、もう一度『恋愛』の二文字が浮かんだ。
お友達はいるけれど、恋人はいない。
あんまり、考えたことがなかった。
色々あったし、色々ありすぎてそこまで考えたりはできなかったのよね。
「リディアちゃんはまだ若いのだから、焦る必要はないわよね。ごめんなさい、可愛い娘の幸せを願うあまり、つい余計なことを言ってしまったわね。……リディアちゃん。いつでもレスト神官家に戻ってきて良いのよ。いつでも待っているから」
「ありがとうございます、お母様」
「リディア、何か足りないものがあれば、いつでも言うのだぞ」
「はい、お父様。ぬいぐるみ、ありがとうございます」
両親を見上げてにっこり微笑むと、フェルドゥールお父様がぼろぼろ泣き始める。
お母様は泣いているお父様を引っ張って、帰っていった。
もしかして私の泣き虫は、お父様に似たのかもしれない。
お読みくださりありがとうございました!
お正月なので、お正月の閑話です。