逃亡の提案
カニクリームコロッケと、カニの甲羅焼き。私とアンナ様は暖かいほうじ茶を、ステファン様とクリスレインお兄様、エミリア様は、クリスレインお兄様の所持していたお酒『倭国酒、魔王』を飲んだ。
ある程度のことはお母様のお手紙に書いてあったので知っていたクリスレインお兄様は、ステファン様からベルナール王国に何が起こったのかを聞いて、何度も頷いたあと「でも、ま、もう終わったんだし、みんな無事だったわけだし、良いんじゃない? 大切なのは今、美味しいご飯をみんなで食べているということだよ」と言っていた。
ステファン様は細かいことはあまり気にしていないようなクリスレインお兄様の発言に、「そうだな。……あまり、暗い顔ばかりしていては、きっと誰も俺についてきてくれない」と、力強く頷いた。
「そうそう。ゼーレ様は、生真面目過ぎて心が苦しくなってしまったんだろう? ステファンも同じ……まぁ、親子だから似るのだろうけれど、同じような性格をしている気がするからね。私ぐらいがちょうど良いんだよ」
「クリスレイン殿は、もう少し働いた方が良いのではないか」
「そうですわよ。お兄様、クリスレイン様を見習うのは良いこととは思いますが、あまり、遊び人になられても困ってしまいますのよ」
「しかし、兄上。もし、王という責務から逃げ出したくなったら、いつでも私に言ってくれ。……女性は王になってはいけないという決まりはこの国にはないのだから」
「国王陛下になったエミリアお姉様、きっととっても格好良くて素敵ですわよ。お兄様、だから、自分一人だけで全てを背負うことはないのです」
エミリア様とアンナ様が、顔を見合わせて頷き合う。
「ありがとう、二人とも。……俺は、恵まれているな。お前たちがいて、リディアが俺を以前のように受け入れてくれる。それだけで、十分幸せだ。いつまでも、過去を引きずっていてはいけないな」
「ステファン様、……みんな、ステファン様が優しい方だって、知っています。だからきっと大丈夫ですよ」
「……リディア。……俺に傷付けられた君は、俺をもっと恨んでも良いはずなのに。ありがとう。……君や、民の穏やかな暮らしを守るため、俺はもっと、しっかりしなければな」
「そういうところが駄目なんだよ、ステファン。良いかい、よく聞いて。上に立つものは立派でないといけないなんて思わなくて良い。私のように、高貴な者は働かなくても良いし何もしなくても良い。ただそこにいるだけで高貴なのだからね。楽しいことだけして、毎日にこにこしながら暮らしていると、自然と私の周りには、それはもう私を支えてくれるしっかりした者たちが集まる、というわけだ」
クリスレインお兄様が胸に方手を当てて、片手を祈るようにあげて、どこか演技がかった仕草で言う。
「己の向き不向きを見極めて、できないことはできないということも肝要だよ。私は毎日王宮で珍しい食材を食べたり、酒を飲んだりしながら優雅に暮らしているのだけれど、そうしていると、弟たちがやたらとしっかりしてきた、という寸法でね。自分が駄目でも、周りが支えてくれる。それが王者の風格というものだ」
「……クリスレイン殿は、どうかと思うぞ」
「お兄様、生真面目で頑張り屋さんで、世話焼きで、若いのになんとなくお年寄りのような、お兄様でいてください」
エミリア様とアンナ様が、ステファン様を庇うようにして両手を広げる。
ステファン様は腕を組むと、悩ましげに眉を寄せた。
「……俺もたまには、飲みつぶれて記憶を無くしたりしたほうが良いのだな、きっと」
「そうだよ、ステファン。酔っ払って定期的に全裸になったりする方が、王もちゃんと人間だと、好感度があがったりするものだからね!」
そうなのかしら。
クリスレインお兄様の言葉は堂々としているせいか、妙に説得力があるのだけれど。
でも確かに、ステファン様は頑張り屋さんなので、少しぐらいクリスレインお兄様のようになっても良い気がする。
飲み過ぎて定期的に全裸になるのは、良いのか悪いのかよくわからないのだけれど。
「ええと、あの、私、食堂だからお酒は提供していなかったんですけど、ステファン様のために、お酒も置くようにしてみますね……二階にはお部屋があるので、いくらでも服を脱いでも大丈夫です、その、見ないようにしますので……」
ともかく、私がステファン様のためにできることは、ステファン様が息抜きできる場所を作ることぐらいだ。
王宮では全裸になると流石にまずいと思うので、私の食堂の二階なら、誰も見ていないので全裸になっても大丈夫だと思う。
「ありがとう、リディア。……いつでも君の美味しい料理を食べることができる環境にいながら、落ち込んでいるというのは、贅沢な話だな。今日は、君に会いにきて良かった。……これで、明日からも頑張れるよ」
「はい……!」
ステファン様が私の髪をさらりと撫でた後に、優しく微笑んでくれるので、私も笑顔を浮かべた。
昔に戻ったみたいだ。
私に優しくしてくれて、頼りになって、私よりもずっと大人びていて。
夕闇の空に輝く一番星のように、ステファン様はきらきらと輝いている。
けれど、それだけじゃないのよね。
ステファン様も私と同じ、悩んだり、苦しだり、泣いたり、落ち込んだりする。
同じ、人間だもの。
そう思うと、ステファン様が余計に身近に感じられた。私は酔い潰れるステファン様も、二日酔いになるステファン様も、結構好きだな、と思う。
完璧なばかりのステファン様よりも、ずっと。
私がそう思うのだから、きっとお城の人たちだってそうだろう。
ゆっくり食事をしてお酒を飲んでいたせいで、すっかり辺りは夕暮れに近づいていた。
ステファン様が、エミリア様とアンナ様を連れて、「暗くなる前に戻ろう」と言って、帰っていく。
アンナ様は最後まで名残惜しそうに、エーリスちゃんをぽよんぽよんしていた。
エミリア様はファミーヌさんやお父さんの毛並みを撫でて「リディアちゃん、今日のお礼に、猫や犬が喜ぶようなものをそのうち持ってくる」と言っていた。
私の手を握って「また来る、リディア」と言ってくれるステファン様に微笑んで、私は三人を見送った。
冬の夕暮れは早い。
街に並ぶ魔石ランプの街灯には、もう灯がともりはじめている。
また、雪が降るかしら。
「……私もそろそろ帰るよ。帰るというか、今日はレスト神官家に泊めてもらうつもりだよ。ティアンサ叔母上の顔も見たいし、フェルドゥール神官長に渡す手紙もあるし」
雪の中に立っているクリスレインお兄様は、ふかふかの毛皮を纏っているからとてもあたたかそうに見える。
異国のお洋服と相まって、なんだか幻想的な光景に見えた。
「それからね、リディア」
「はい、なんでしょう」
「……この国は、君にとっては危険な場所だと私は判断している。君を守ろうとしてくれる者たちがいることは認めるけれど、この国にいる限り、君は危ない目にあうかもしれない」
ずっとにこやかに笑っていたクリスレインお兄様だけれど、今までの雰囲気とは真逆の、真剣な表情で言った。
少し、怖いぐらいの真剣さで、私を見つめている。
クリスレインお兄様は、誰かに似ていると思ったのだけれど、ティアンサお母様に似ている。
黒い髪や、アメジストの瞳が、よく似ている。
やっぱり、血がつながっているのよね。
「今日、君の元に来たのは、……私の国に来ないかと、誘うためだよ。エルガルドは平和だよ。食材も豊富だし、王国にはないような、色々な料理のレシピもある。きっと楽しいと思う。リディア、ここにいて、危ないことに巻き込まれて、君が苦しむ必要はないのではないかな」
「……クリスレインお兄様、私……」
「返事は今すぐじゃなくても良い。考えておいて。でも、私は君はエルガルドに来るべきだと思っている。私は、私の可愛い妹を、危ない場所においておきたくないんだ」
クリスレインお兄様はそれだけ言うと、「それではね、また来るよ」と言って、雪の中を歩いていく。
私はその背中を見送りながら、どうすれば良いのか分からなくて、しばらく立ち尽くしていた。
ふと視線を巡らせると、扉のノブの外側に、持ち手のついた袋がかかっている。
「……これ」
袋の中には箱が入っていた。
お店に戻って箱を開けると、美味しそうなミートパイが入っている。
ミートパイを見つめながら動かない私を、エーリスちゃんが心配そうにつついて、ファミーヌさんが私の手に、ふかふかの額を擦り付けた。
「……リディア。君の人生は、君の自由だ。君が良いと思った選択を、すると良い」
クリスレインお兄様との話が聞こえていたのだろう。
お父さんの言葉に、私は返事をすることができなかった。
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