寒い日のクジラと蛸
飾る松ぼっくりや、モミの木の葉っぱや、赤スグリの実や赤いリボンで飾り付けられたリースを、可愛い聖夜祭用の雑貨が売られている屋台の前に立って、私はまじまじと見つめた。
私は可愛いものが好き。多分好き。
だから、ロベリアで使っているお皿やカップなんかも可愛いものが多いのだけれど。
生活に必要なものは、できる限り可愛いもので揃えている。最近明るくなったお洋服とかも、大人っぽいというよりは、可愛いものが多い。
でも、こうして生活に必要のないもので、可愛いものを買うのは、初めてかもしれない。
「松ぼっくりも、転がっているものはそんなに可愛くないですが、こうしてリースにしてあると可愛いですね。赤と、青、どっちが良いでしょうか」
リボンは青系のものと、赤系のものがあって、リボンの色が変わるだけでもリースの印象がかなり違う。
青系のものはガラス玉なども飾られていて、大人っぽい印象。赤系のものは、暖かくて可愛らしい。
「両方買って、外の扉と、中にも飾ると良い。好きなだけ買わせてくれ、リディア」
「……好きなだけなんでも買ってもらうとか、なんだかいけないことをしている気がします」
「何も、悪いことはない。俺は君に、償わなくては」
「……ううん」
私は目を伏せて、小さく息を吐いた。
吐いた息が白い。寒さに指先が僅かに痛んだ。
なんだか、落ち着かない。ステファン様が落ち込んでいるのはわかるけれど、私は怒っていないのに。
償って欲しいって、思っていないし。
でも──どうやって伝えたら良いのかしら。
私が何を言っても、ステファン様は落ち込むばかりになってしまうのではないかなと思うと、言葉が出てこない。
「……リディア、このスノードーム。君に、似ている」
「……ええと、私に?」
「あぁ。中に、雪うさぎと、猫と、犬と、それから、天使がいるだろう。君というか、君たちに似ている。君に贈りたいが、良いか?」
ステファン様がその繊細な顔立ちとは相反したやや無骨な指先で、スノードームを手にして、私に見せてくれる。
水の中でひらひらと揺れる雪を模したきらきらの中に、小さな家と、雪うさぎと白い猫と、白い犬。それから、翼のはえた小さな天使の飾りが並んでいる。
「ふふ、可愛い。エーリスちゃんと、ファミーヌさんと、お父さんですね」
「あぁ。それと、君だ、リディア」
「……あ、あの、ありがとうございます。……私、こんなに可愛くないですけれど」
「君は可愛いよ、リディア。誰よりも、愛らしい。俺の……その、……大切な、元婚約者の、リディアだ」
「ステファン様……あの」
「どうした?」
今、言わなくちゃ。
ステファン様が微笑んでくれている、今。
そうしないと、ステファン様、また泣いてしまうかもしれないし。
泣くのは悪いことじゃないけれど、できればステファン様に、元気になって欲しい。
昔と同じように、とは、いかないかもしれないけれど。でも、少しだけでも良いから。元気に。
「私……ステファン様に、償ってもらうこととか、なくて。私は今、とっても元気ですし、結構幸せなんです。……シエル様が、私のお店に来ると、幸せな気持ちになるって言ってくれました。ルシアンさんが、笑いながら、昔話をしてくれて……ロクサス様が時々、ティーカップを壊して、レイル様は勇者だから、窓から入ってきて……色々あるけれど、楽しいんですよ」
「……そうか」
「だから、ステファン様も……その、みんなで一緒にご飯を食べて、夜更かしをした日みたいに、元気でいてくれたら良いなって、思って……怒ったり、笑ったり、して欲しくて。反省、しなくて良いです。ステファン様が本当は優しくて、皆んなを大切にする方だっていうこと、私は、知っていますから」
「リディア……ありがとう。……俺も、時々、君の食堂に行っても良いのだろうか」
「勿論です! いつでも来て下さい。ステファン様、忙しいと思いますけれど、息抜きになるのなら」
「……俺も、君の側に居場所を得るために、頑張っても良いのだろうか」
「居場所……? 大丈夫ですよ、ステファン様。椅子が足りなかったら、調理台の椅子に座っても良いですし、二階にはリビングもあるので、狭いかもしれませんけれど」
「ありがとう、リディア」
ステファン様がやっと、肩の力が抜けたように微笑んでくれたので、私もほっとして笑顔を浮かべた。
「……兄上、リディアちゃん、良い雰囲気なところ悪いのだが、お店の方が困っている」
「リディアちゃん、お兄様、……ごめんなさい。あの、そろそろお会計を済ませたほうが良いと思いますの」
エミリア様とアンナ様に声をかけられて、私はいつの間にか、スノードームを持ちながら、ステファン様と両手を重ね合わせて、見つめ合っていたことに気づいた。
どうしよう、恥ずかしい。恥ずかしいし、恋人でもない方と、公衆の面前で両手を握りあってしまった。
ステファン様は元婚約者だけれど、元なので。
いけないわよね。
気をつけないと。ステファン様はこれから国王陛下になって、然るべき方と結婚をなさるのだろうから。
妙な噂が立つのはいけないわよね。
ステファン様は私に優しくしてくれるけれど、私は甘えないようにしないと。
「……すまない。店主、リースとスノードームを買いたい。リディアと、それからエミリアと、アンナも欲しいだろうか?」
「欲しいですわ、リディアちゃんとお揃い!」
「欲しい。私は綺麗なものは好きだ」
ステファン様は私にスノードームをプレゼントしてくれた。
エーリスちゃんやファミーヌさんに見せると、小さなガラスのドームの中で舞い散る雪と、小さな町の模型と人形を、不思議そうな瞳で見つめていた。
お父さんは「やはり、私が一番可愛い」と、満足気に中にある犬の人形を見て言った。
私はスノードームを両手に持って、ステファン様にお礼を言うと、ステファン様は少しだけ晴れやかな顔で微笑んで、眩しそうに目を細めた。
お買い物を終えた私たちは、市場に向かった。
久々の市場には、お野菜やお魚などがいつも通り並んでいる。
冬だから、大根や人参などの根菜が多く、白菜やブロッコリーなんかもある。
何を作ろうかなと思いながらきょろきょろ見て歩く。市場のおばさまたちが「リディアちゃん、久しぶりだね」「リディアちゃん、聖女なんだって、すごいねぇ」と、小さな子供を褒めるみたいに褒めてくれて、いつものように飴をたくさんくれた。
「おお、リディア。久しぶりじゃねぇか。聖女なんて大層なものになっちまったから、もう市場には来ねぇのかと思った」
「ツクヨミさん! こんにちは。ツクヨミさん、寒くないんですか……?」
ツクヨミさんのお店には、乾物がたくさん並んでいて、それから蛸もたくさん並んでいる。
「海の男は寒さに強ぇんだよ。っていうのは、嘘で、懐に炎魔石を入れている。結構あったかいぞ」
「そうなんですね……お洋服、着れば良いのに」
「俺の肉体美が見れなくなると、みんな寂しいだろ?」
ツクヨミさんはいつも通りの蛸柄の着物を羽織っていて、胸板が剥き出し。
寒そうだけれど、着物のお腹の部分に、炎魔石を入れているから寒くないらしい。ツクヨミさんの体格は確かに結構立派だと思うけれど、胸が剥き出しだから寒そう。
「ヒョウモン君とくじら一号は元気ですか? 海は寒いから、大丈夫かなって思って」
私が尋ねると、ツクヨミさんのお店のそばにある海にかかる桟橋の横にいるくじら一号が、海の中から顔を出した。
くじら一号の頭の上からのっそりと桟橋に降りてきたヒョウモン君が、ずるずるとこちらにやってくる。
「蛸……」
「蛸ですわね……」
「蛸だな」
ステファン様たちは、ヒョウモン君とはじめて会ったのよね。
確かにびっくりするわよね、ヒョウモン君は、大きな蛸だし。私も最初に見た時は、悲鳴をあげて、泣いたもの。
「リディア、久しいな。元気そうで何よりだ。心配せずとも、氷の揺蕩う北の海で泳ぐこともあるから問題ない……って、ヒョウモン君が言っている。今日は珍しく女の子も一緒なんだな、リディア。買い物か?」
「は、はい、女の子が一緒です。ええと」
「自己紹介は良いよ、俺はただの商人だしな。蛸、買っていくか? 冬の蛸は美味いぞ」
ツクヨミさんに言われて、私は並んでいる立派な蛸を眺める。
蛸。ロクサス様に助けて欲しいってお願いされた時に、たくさんお料理したわね。
シエル様にはハンバーグを作って、ロクサス様とレイル様には蛸料理。ルシアンさんには、ミートボール。
皆が美味しいって言ってくれたお料理を出すのも、良いのかもしれない。
蛸は可愛くはならないけれど、お料理が可愛くなくても、お店が可愛ければ、女の子や子供たちが喜んでくれるかもしれないし。
「すごい……私、こんなに露出されている男性を初めて見ましたわ」
「これが、鯨。図鑑では見たことがあるが、本物は初めて見た」
アンナ様がどことなくうっとりとした瞳を、ツクヨミさんにむけている。
それから、恐る恐るヒョウモン君をつついて「蛸……初めて触りましたわ……」と、感動したように言った。
ステファン様がどことなく心配そうに、アンナ様を見ている。
エミリア様はくじら一号のそばまで行って、興味深そうにくじら一号に手を伸ばしている。
「お嬢ちゃんたち、海に落ちねぇように気をつけろよ」
「お嬢ちゃん……!」
ツクヨミさんに注意されて、アンナ様が胸を押さえている。
ステファン様がアンナ様とツクヨミさんの顔を交互に見た後、「ツクヨミ殿……どこかで見たことがある気がするな」と、何かを思案するように目を伏せた。
「あー……まぁ、そりゃそうだろ。殿下がまだ小せぇ頃に、この国には来たことがあるしな。あの頃はまだ俺もだいぶ若かったが」
「……ステファン様、ツクヨミさんと知り合いなんですか? ……ツクヨミさん、ステファン様の顔、知っているんですか? 殿下って、今……」
「お嬢ちゃんには言ってなかったか。俺は、元々倭国で皇子様とか呼ばれていてな。そのうち国王になったんだが、すぐに飽きて、弟に全部丸投げして、今だ。特に隠してるわけじゃねぇんだが、自分から言って回ることでもねぇだろ?」
「……ツクヨミさん、国王陛下……?」
「昔な」
「蛸柄の着物ばっかり着ていて、蛸が大好きなツクヨミさんが……?」
「いや、蛸が好きでも別に良いだろ。ここにいるステファン殿下が、まんまる羊をこよなく愛してたとしても、特に大きな問題にはならねぇだろ?」
「ステファン様、まんまる羊をこよなく愛しているのですか……?」
「そんなことはない。むしろ、王宮で襲われて以来、少し苦手だ」
「……あ、あの、あの時はごめんなさい」
「気にしていない。大丈夫だ、リディア。余計なことを言った、すまない」
私は王宮でのことをやっと謝れて、少しほっとした。
それにしても、ツクヨミさんが元国王陛下とか。色々あるのね。
国王陛下を辞めるなんて、私はできないと思っていたけれど、色んな生き方があるものだ。
ステファン様は「少し羨ましいな……」と、小さく呟いた。
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