ファミーヌの記憶、不死者の話
シエル様からあったかいショールを、リーヴィスさんからはエーリスちゃんの小さなショールを貰った。
エーリスちゃんは今はすぴすぴ寝ているので、後で見せてあげようと思う。
ミルクたっぷりの珈琲を飲んで、エッグタルトを一口齧る。
甘くてねっとりしていてふんわりしているクリームが口の中に広がって、私はにこにこした。
「美味しい、シエル様、甘いです、美味しい」
「そうですか、よかった」
「シエル様も食べてください、いただいたものを、食べてくださいっていうの、おかしいですけど……」
「ありがとうございます、いただきますね」
シエル様が長い指で小さなエッグタルトを摘んで、口の中に入れる。
薄い唇の隙間から見える赤い舌には、小さな宝石がついている。
ローブを脱いだシエル様の長袖のお洋服の首にも、赤い宝石がぽつぽつと並んでいる。
触ったことはないけれど、触ったら硬いのかしら。
宝石だから、硬くて、冷たいのだろうか。
少し、不思議。
「甘いですね、確かに」
「甘くて、バニラの香りがします。バニラビーンズが入っていますね、美味しいです。生クリームも美味しいですけど、カスタードも美味しいです。この間、ステファン様にダメって言われたから、食堂のメニューを変えようかなって思っていて」
「あぁ、……そうですね」
シエル様は少し困ったように笑った。
「でも、シエル様たちの名前のついたメニュー、わかりやすいって人気があったんです。だから、今度はお魚とか、甘いものとか、あと、可愛いメニューも、良いなって思っていて、シエル様は……辛いものが好きですけれど、甘いお菓子っていう、感じがします」
「そうですか? ……それは、褒められているのかな」
「はい、優しくて、ふんわりしている感じがするから……でも、辛いものの方が良いのかな、シエル様の激辛鍋……」
「辛いものが特別好きというわけでもないんですけれど……」
「そうなんですか?」
「僕の舌には、宝石が浮き出ているでしょう。そのせいか、味覚が少し、鈍感なんです。もちろんあなたの料理はとても美味しいですが、……刺激が強い方が、味をはっきり感じられるような気がします」
「シエル様……だから固形食料ばかり食べているんですか?」
「そういうわけでもないのですが、食べるということに、あまり興味がなくて」
「私にはエッグタルトを買ってきてくれるのに。私に、しっかり休んでって、言うのに」
私は少し悲しくなって、それから少し腹が立って、頬を膨らませた。
「……シエル様も私みたいに、昼過ぎまで寝たり、雪だるまを作ったり、ぼうっとしながらクッキーを齧ったりした方が良いです」
「こうしてあなたといると、心が休まります。僕は十分、休ませてもらっていますよ」
「うう……」
小さな子供にするように撫でられたので、私は頬を膨らませたまま、シエル様を睨むようにして見上げた。
本当はシエル様に話さなきゃいけないこととか、相談があったのだけれど。
それを伝えたらシエル様がもっと休まなくなってしまいそうで、躊躇ってしまう。
「マーガレットさんに、あなたの元へといくようにと、言われました。何か話があるのでしょう? 魔女の娘や、シルフィーナに関することで」
「……そうだったんですけど、やめました」
「どうして?」
「シエル様は忙しいのに、もっと忙しくなったら、もっと、自分を疎かにする気がするから」
「リディアさん。……ありがとうございます。ですが、……魔女の娘について、シルフィーナについて調べることは、とても大切なことだと思っています。それがこの国を、それから、あなたの平穏を守ることに繋がるのですから」
「でも」
「僕は、強いですから。大丈夫ですよ。それに……そうですね、それでは、疲れたらあなたのもとに、休みにきても良いですか? リディアさんは、ここでいつも通り食堂を開いて……そこに休みに来させて貰えたら、それは僕にとって、とても幸せなことだと感じます」
「食堂にご飯を食べにくることが?」
「ええ。僕のためにあなたが料理を作ってくれる。僕のことを、心配してくれる。心配して怒ったり、泣きそうになったり。それから、笑顔をむけてくれる。……僕は、それだけで十分幸せです」
「心配です。すごく、心配をしていますよ。だって、お友達ですから……」
「ええ。友人として、……僕はあなたの役に立ちたい。あなたの平穏を守りたいと、考えています。だから、話してくれませんか?」
シエル様の真摯な瞳が、私の瞳を真っ直ぐに見つめる。
吸い込まれそうなほどに綺麗な赤い瞳に、不安そうな表情を浮かべた私の顔がうつっている。
シエル様にばかり、頼ってしまって。
申し訳ないと思うのに、でもやっぱり、安心する。
「ファミーヌさんの記憶でも、やっぱり、シルフィーナはテオバルト様と夫婦だったみたいです。……そこに、アレクサンドリア様が現れて、……アレクサンドリア様は女神だから、テオバルト様は国のために、アレクサンドリア様を大切にして……」
私は、ファミーヌさんが見せてくれた記憶を思い出しながら、途切れ途切れにシエル様にお話をした。
「それは、キルシュタインの人々の信じている話と似ていますね。シルフィーナはキルシュタインの出身で、キルシュタインはこの国を統べる王だったと。テオバルトと結ばれたが、テオバルトに裏切られ──アレクサンドリアとテオバルトに、土地を奪われたのだと」
「シルフィーナは実際に、キルシュタインの出身で……でも、テオバルト様ととても愛し合っていて、テオバルト様がアレクサンドリア様に心変わりをしたことを、とても、悲しんでいるようでした」
「それから、何かが起こって、シルフィーナは魔女となり、赤き月に幽閉された」
「はい。……何が起こったのかまでは、わかりません。裏切られて悲しんで、苦しんで。そこで、ファミーヌさんの記憶は終わっていましたから」
「……その先の記憶は、もしかしたら、あと二人の魔女の娘が持っているかもしれない」
「エーリスちゃんとファミーヌさんが、私に教えてくれたから、多分、そうかもしれません」
シエル様は長い腕を組むと、目を伏せる。
「やはり、魔女の娘を見つけることが先決なのでしょうね」
「あ……あの、それから」
「それから?」
「あの、私のお父さん……アルジュナが、不死者って……シエル様、不死者って、なんだか知っていますか?」
「不死者。……言葉通りならば、死なない人という意味ですね」
「お父さんが教えてくれたら良いんですけど、秘密だって……お父さん、知っていることを教えるつもりがないみたいなんです。お父さんは、不死者で、だから、ファミーヌに乱暴なことをされても、大丈夫だったんだって」
「……不死者、ですか。……聖獣については、アレクサンドリアの力を持つレスト神官家の血筋のものの前に現れるとしか、描かれていないそうです。神官長に頼んで、神官家に残されていた記録を見せてもらいましたが、詳しいことはあまり残っていない」
「お父さん、ただいるだけだから、書くことがなかったんじゃないかなって……」
「ただいるだけではないぞ。ここにいたら、可愛いだろう。癒されるという効果がある」
不意にお父さんがむくりと起き上がって言った。
「お父さん、昔から犬だったんですか」
「犬じゃない場合もある。聖女の求める姿になるのが、私だ。できる聖獣なのだ。あと、言葉を話せるのも内緒だった。リディアがあまりにも哀れでつい、話をしてしまった」
「……そうなんですね」
お父さんはそう言うと、ふわふわの両手に顔を埋めてしまった。
寝たふりなのか寝ているのかわからないけれど、言葉を話さない動物がそばにいたとして、聖獣が寄り添っていた、ぐらいしか、記録には残せないのではないかしら。
「不死者ですか……お父さんが隠しているというのだから、きっと重要なことなのでしょうね」
「……私も、何かできることがあれば」
「リディアさんは、いつも通りの生活を送ってください。噂が広まればあなたに会いたいと、ここに訪れる人間も多いでしょうが、困ったことがあれば、レスト神官家に一度戻るのも良いかと思います」
「はい。あんまり大変なことになったら、そうしてみます」
「僕は、魔女の娘の居場所を探しながら、不死者についても調べてみます」
「心配です。……シエル様、寝ていないんじゃないかなって」
「……眠るのも、あまり得意ではないですね、確かに」
私は良いことを思いついたので、シエル様を見上げてにっこり微笑んだ。
それから、自分の両膝を、ぽんぽんと叩いた。
「ん?」
「……シエル様、今日は休憩の日ですから、休んでいってください。私、昔、……お母様に、膝枕をしてもらいたくて。それで、子守唄を、歌ってもらいたかったんです。フランソワちゃんが、やってもらっているのを見て、羨ましいなって思って」
「……膝枕、ですか」
「シエル様も、ないですよね、膝枕」
「ええ、……そうですね」
「よかったら、どうぞ。少し、眠れるかもしれませんよ」
「……いや、……その、……それは、少し」
シエル様は口元を片手で押さえて、視線を逸らした。
いつも白い頬が、わずかに染まっている。
もしかして、恥ずかしがっているのかもしれない。
シエル様が照れている。いつも感情の波が少ないシエル様が、照れている。
「あ、あの、ごめんなさい……私、その、つい」
「……ありがとうございます、リディアさん。はじめてのことで、動揺してしまった。……それと、期待も」
私は吃驚して、そして、自分の提案がとても恥ずかしいことだと気づいて、顔を染めて俯いた。
シエル様は小さな声で何かをつぶやくと、心を落ち着かせるように、深く息をついた。
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