それぞれの休日/ステファン・ベルナール
リディアと出会ったとき、この哀しい――けれど可愛らしい、愛しい存在を、守らなくてはいけないと思った。
感情をどこかに落としてきてしまったようなリディアを、守らなければと。
レスト神官家にステファンが向かうことを、神官長は拒絶していた。
だから、できるかぎりリディアを城に呼んだ。
満足に食事もとらせてもらっていないリディアに、食事を食べさせた。
はじめて見るものばかりだと戸惑うリディアと、リディアが好きなものを探した。
本を読み、観劇に行き、色んな話を語って聞かせた。
「俺には妹が二人いて、エミリアはリディアと同じ年、アンナはリディアよりも二つ、幼い」
「私も妹がいます。ステファン様は、妹さんと、仲良しですか?」
「あぁ。エミリアもアンナも、心優しい妹たちだ。アンナがうまれて、母上が亡くなり……アンナには、母の記憶がない。エミリアも、アンナを腹に宿していた時には母上は体調を崩されていたから、母に甘えた記憶というものに乏しい」
「王妃様は、……お亡くなりになってしまったのですね」
「亡くなったが……アンナを産み、守ることができて、母は幸せだっただろう。父上は多忙であり、母上はいない。俺は、エミリアとアンナの母の代わりになろうと思い、二人の面倒を見てきた」
リディアは自分から何かを話すことが少なかった。
言葉を話す習慣が、ないのだ。
だから、あまり色々聞くと、疲れてしまうようだった。
その代わり、ステファンはリディアに会うと、食事の最中や、庭園をのんびり散歩しながら、東屋で休憩をとりながら、図書室で一緒に本を読みながら――自分の話を聞かせることが多かった。
話しながら、そういえばステファンも、自分自身の話というのは口にする機会はなかったなと、考えていた。
母が亡くなり、幼い妹が二人。
父であるゼーレは多忙で、家族が暮らす後宮に顔をだすことはあまりない。
後宮といっても、ゼーレの妻は亡くなったミリアーナだけだったので、ステファンと、エミリアと、アンナ、それから乳母や侍女たち。後宮の暮らしは穏やかだったが、妹たちにとっては寂しいものだっただろうなと思っている。
「ステファン様が、お母様の代わりになるのですか?」
「あぁ。おかしいだろうか?」
「とっても素敵だと思います。ふふ、お母様……」
リディアが楽しそうに笑いながら、お母様と繰り返すので、気恥ずかしさと共に、胸の奥が甘く疼いたのを覚えている。
十六歳のステファンにとってリディアはまだ十三歳の幼い少女でしかなく、恋愛対象になるかといわれたらそうではなかったのだが、家族に感じる親愛のようなものは、感じていた。
けれど――。
「私も、お母様はいません。ステファン様、同じですね。お母様がいないと、寂しい。……一人は、寂しい。ステファン様も、寂しかったですか?」
「……いや、俺は」
「私、……ステファン様といると、寂しくない、気がします」
「……俺もずっと、寂しかったのかもしれないな。俺も、君といると、寂しくない。そうやって君が笑ったり、悲しい話を聞いて泣いたり、怒ったりしてくれているを見るのが、俺は、好きだ」
「泣いたり怒ったり、しているのが、好きなのですか? 泣いたり怒ったりは、良いことではないのに?」
「泣くのも怒るのも、悪いことではないよ。感情を外に出すのは、良いことだ」
「ステファン様は、よく、怒っています」
「そう見えるか?」
「はい」
「怖いだろうか」
「怖くないです。ステファン様が怒るのも、良いこと。私が怒るのも良いこと。お揃いです」
自分の中にある大切な何かを確認するように、ぽつりぽつりと、感じたことを話してくれるリディアが、愛しいと思った。
リディアは俺が守る。
そして――いつかもっと、年を重ねたら。
誰もが羨むような、夫婦になろう。仲睦まじかったと言われている、父と母のように。
幼い頃は家族である妹たちを守らなくてはいけないと思い、成長してからは国というなんだかふわふわとしていて実体のない大きなものを守らなくてはいけないと思いながら、ステファンは生きてきた。
ステファンにとってリディアは、はじめて守らなくてはいけないと思った、そして、はじめて己の心を曝け出して話しをした、他者だった。
これからずっと続いていくのだろうと思われた穏やかな時間は、けれどあっさりと奪われた。
フェルドゥール神官長が、フランソワを城に連れてきた、晩餐会の夜に。
あの日、父の体調が急変した。
顔は青ざめ、冷や汗を流し、体調がすぐれないといって、晩餐会から城の奥に戻り、倒れるようにしてベッドの上で蹲った。
とても、まともな様子には思えなかった。
典医を呼び、見せたが、原因は分からなかった。
ゼーレを部屋に寝かせて、ステファンは晩餐会の大広間に戻ろうとしていた。
王の異変は、皆に動揺を与えてしまう。せめて自分だけでもいつもどおりを装い過ごして、動揺を最小限におさめたかった。
どうしてしまったのかと戸惑いながら回廊を歩くステファンの元に、音もなく城の奥に入り込んだフランソワが現れて――死の呪いを、かけたのだと、言った。
そうして、ステファンがゼーレから継いでいた聖剣は奪われて、ステファンはフランソワに――ファミーヌに、支配された。
「情けないな、俺は」
支配されていた時の記憶はやや混濁しているが、リディアを傷つけたことを全て忘れたというわけじゃない。
自分がリディアに投げつけた酷い言葉も、態度も、リディアの傷ついた顔も、その瞳にあふれる大粒の涙も覚えている。
自分が自分ではなかった数年間、そうして今、自分を取り戻した――ステファン・ベルナールというのは、一体何者なのだろう。
ファミーヌに支配されていた間は、城の中で暴君のように振舞っていた。
その行動が、すべて消えるというわけではない。
リディアの店で、リディアに甘えて、そのような立場ではないというのに、リディアの傍にいたいと望んで。
酔いつぶれて、城まで運ばれたのはつい昨日のこと。
二日酔いで痛む頭を押さえながら、ステファンは自室のソファで頭を抱えていた。
気持ちが悪い。
頭がぐらぐらする。
リディアとの記憶ばかりが脳裏を過り、失われた時間を思うと、泣き叫びそうになってしまう。
リディアを傷つけてしまったことが、もう、リディアとの時間は取り戻せないことが――苦しい。
けれど、苦しんで、後悔して、立ち止まっている暇などないのだということは、分かっている。
「リディア……」
とても、可憐に成長していた。
本当なら今頃は、既に式をあげて、夫婦として穏やかな日々を過ごしていたのだろうに。
ステファンにだけ頼っていたリディアはもういない。
リディアの周りにはたくさんの人々がいて、リディアは友人だと思っている、獣のような男たちもいて、リディアのことを虎視眈々と狙っているのだと思うと――俺は一体何をしていたのかと、喉をかきむしりたくなる。
やらなければいけないことは多いのに、酔い潰れるなど、どうかしている。
それでも、酒を飲まずにはいられなかった。
昨日の夜は、特に。
これからは気を付けなければいけないなと思う。
失ったものを取り戻すためには、情けない姿は見せられない。
ゼーレの代わりに王にならなければいけないのだから。
そして、その姿を――リディアに、見ていて欲しい。
リディアを虐げた自分は偽物だったのだと、分かってもらうためにも。
「お兄様!」
「兄上!」
遠慮がちに扉が叩かれて、返事をすると、エミリアとアンナが部屋に雪崩れ込むようにして入ってきて、ステファンの元まで走ってきた。
「お兄様、元に戻ったとお聞きしましたわ……!」
「リディアちゃんを虐めた屑野郎の兄上はもういないのだと聞いて、アンナと一緒に確かめに来た」
「お兄様、ぼろぼろですわね。情けのない。それでも一国の王になる男なのですか?」
「昨日、街で酔いつぶれて、シエル殿に運ばれたと聞いたが」
「二人とも……なんだか、久しぶりだな。……すっかり、大きくなったな」
エミリアは、女性なのに男装をしている。騎士に憧れているのだという。
アンナはふわふわしたドレスに身を包んでいる女性らしい女性だが、気が強くて物事をはっきりと話す。
「この、お兄様なのに親戚のおじさんみたいなことを言う感じ、お兄様ですわ、エミリアお姉様……!」
「本当だ。妙に爺むさいこの感じ、兄上だな」
エミリアとアンナが、顔を見合わせて頷き合う。
それから二人して「リディアちゃんには謝ったのか?」「リディアちゃんは元気でしたの?」と問われたので、ステファンは懐かしくも変わりのない妹たちの様子に、なんだかほっとして、また泣きそうになってしまった。
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