それぞれの休日:ロクサス・ジラール
何度も、帰ってこいという手紙を貰っていた。
窓辺にとまる魔石の足輪をはめられた伝書鷹に褒美の加工肉を与えながら、ロクサスは深い溜息をついた。
レイル──兄が、白月病を患いジラール家から見捨てられて、ロクサスは父を脅す形で自由を手に入れた。
「俺の行動に指図をするな。今日より、公爵家の全権は俺のものだ。隠居しろ、父上」
そう言って、ロクサスは父であるマルクスからジラール公爵家を奪い取った。
父と母がくつろいでいたリビングルーム一室を灰塵に変えて崩壊させ、己の力を示したときの、化け物でも見るような目が、脳裏にはっきりと焼き付いている。
誰かに死を与えることしかできない己の力を、ロクサスは忌避していた。
兄のように、生命に命を吹き込むような──光り輝くような力があれば、自分も母に愛されたのだろうか。
父に、認められたのだろうか。
そう、思いながら生きてきた。
けれどレイルが病を患って、父は「レイルはもう駄目だ」と、簡単にレイルを切り捨てた。
そして「ジラール家はお前が継げ、ロクサス」と、今まで捨て置いてきたくせに、ロクサスを選んだのだ。
あの家には、苦い思い出しかない。
レイルを連れて聖都のジラール家別邸で暮らすようになってから、一度も父の元へは帰っていない。
そうして、月日が経ち。
リディアの力によってレイルの病は癒え、ロクサスが聖都に留まる理由はなくなった。
本来なら、ジラール公爵家に帰り家督を継いで、ジラール公爵領をおさめるのがロクサスの役割である。
けれど、どうにもそんな気になれなかった。
そうこうしているうちに月日が経ち、リディアとその周囲の者たちと、様々な出来事に巻き込まれて協力して──大変ではあったけれど、楽しかった。
ずっとこんな日々が続けばと願ってしまうほどに。
冒険者ギルドに所属して勇者を目指すレイルと、食堂に行けば料理を提供してくれるリディアと。
どうしても、離れ難い。
いっそ二人を連れて領地に戻ることができればと、考えた。
レイルとリディアがいる場所から、離れたくない。
「……一度、戻るか」
幼い頃から今までのロクサスの日々というのは、空白のページに何も書かれていないノートのようなものだ。
父からは見捨てられ、母からは怯えられ、使用人たちは遠巻きにロクサスを見ていた。
けれどレイルだけは飽きもせず、ロクサスのそばにいて、その手をひいてくれた。
レイルが病みついてからは、レイルのためだけに生きた。
聖女の力でレイルを癒してもらうため、レスト神官長に頭を下げ、フランソワに阿り。
腹の底には苛立ちばかりが降り積り、思えば、いつも何かに怒っていた。
苛立ちと怒りと、不甲斐なさと、どうにもならない閉塞感。
ただレイルを失いたくなかった。
そして今、以前のように溌剌とした笑顔を浮かべているレイルのいる生活は、ロクサスにとってはもぎ取られかけていた半身が戻ってきたような感覚である。
レイルを癒してくれたリディアのことを想うと、胸の奥が切なく疼いた。
ロクサスの心の中の空白のページは、毎日、鮮やかな記憶で埋まっていく。
だから、なのだろう。
この場所から離れたくない。現実逃避だとは理解しているが、帰りたくない。
けれどそういうわけにはいかないのだろう。ロクサスは二十歳。
周囲の貴族たちは結婚をし、子供が既にいる者もいる。家を継ぐということは、そういうことだ。
「兄上、ジラール家に顔を出そうと思う」
いつも同じ内容の手紙を握りつぶしてきたけれど、年が変わる前に一度帰り、父と話をするべきだろう。
幸いにして、リディアの身辺は今は落ち着いている。
エーリスやファミーヌの問題でしばらく騒がしかったが、ひとまずは解決をしている。
シエルやルシアンは、キルシュタインの資料や、ベルナール王家の資料を漁り、過去の出来事について調べると言っている。
ステファンは王位を継ぐことになるのだろう。しばらくは慌ただしい日々が続くのだろうし、味方の少ないだろうステファンを補佐するのも自分の役割であると、ロクサスは思っている。
「帰る? 大丈夫、ロクサス。一緒に行こうか」
「兄上は今はフォックス仮面なのだろう?」
「そうだけれど。でも、一人で頑張れる?」
「もう子供ではない。問題はない。父上と話すだけだ。すぐに戻る」
「ロクサスが家督を継いだとしても、こちらにいても仕事はできるわけだしね。王都の別邸を本拠地にして、領地にはほとんど帰らない貴族も多いのだから」
「そうだな」
雪雲が立ち込めている空の下で、どう考えても寒いだろうに、上半身裸で剣を振ったり枝に捕まって懸垂をしているレイルに、コートにマフラーと、完全防備のロクサスは話しかけた。
寒いのは苦手だ。
暑いのも好きじゃない。
病気の時は細かったけれどすっかり筋肉質になった白い体を外気に晒しているレイルを見ると、視覚だけでも寒さを感じて、ロクサスは眉を寄せた。
「ロクサスは、リディアと離れたくないでしょう?」
「そ、そういうわけではないが……」
明らかに動揺するロクサスの様子に、レイルは明るい笑い声を上げた。
「ふふ、良いよね、初恋というやつだね。私も姫君のことは好きだよ。大好きだけれど、ロクサスを応援しているよ」
「だから、違うと……」
「早く帰っておいで、ロクサス。シエルに、ルシアンと、歳上は厄介だ。それに殿下。今までの殿下は、操られていたからなんだけれど、酷い男だったからね。でも、喜ばしくも元に戻ってしまったから……大変だよ、ロクサス」
「そうだな。殿下は、……良い人間だからな」
ロクサスは、目を伏せる。
過去、誰からも拒絶され、恐れられ、距離を置かれてきたロクサスを受け入れたのは、兄であるレイルをのぞいては、ステファンだけだった。
二つしか年齢が違わないのに、まるで保護者のように振る舞っていた。
面倒見が良いのだろう。
真っ直ぐで、公平で、優しく面倒見が良い、何一つ悪いところが見当たらない聖王を継ぐもの。
シエルやルシアンもだが、ステファンもこれからリディアの元に顔を出すのかと思うと、ステファンが元に戻ったのは良いことであるのだが、やや気が滅入る。
「頑張ってね、ロクサス」
「あぁ」
「弟の初恋を応援することができるなんて、生きていてよかった」
「だから、違う……いや、違わない」
ロクサスは額を抑えた。
何を取り繕う必要があるのか。兄には全て知られているというのに。
リディアが好きだ。
けれど、今の、友人と認めてもらっている心地良い関係を、崩したくはない。
「……色々、すまないね。私のせいで、お前には苦労をかける」
「いや、良い。気にする必要はない。……兄弟だろう、たった二人の」
「ロクサスは可愛いね。今年はお兄様が聖夜祭のプレゼントを用意しておいてあげよう」
「やめろ。兄上は兄上だが、同い年の双子だ。子供扱いをするな」
剣を置いて、ロクサスの頭を撫でようとしてくるレイルから、ロクサスは逃げた。
「聖夜祭までには帰っておいで。姫君の枕元に、プレゼントを置きに行こう。夜こっそり家に忍び込むのもまた、勇者というものだからね」
「兄上の言う勇者は、どちらかといえば盗賊に近いのでは……」
「ロクサスはわかっていないね。勇者と盗賊は違うよ」
ジラール家に帰るのは憂鬱だが、レイルと共にリディアに何か聖夜祭の贈り物をするのは悪くない。
たまには、美しいドレスを着てくれないだろうか。
きっと、似合うだろう。
美しいドレスを着て共に城で行われる聖夜祭の晩餐会に行ってくれないだろうか。
でも、どうやって誘うべきか。
そんなことを考えていると、ジラール家にこれから出立しなければいけないという憂鬱さが、どこかに消えていくようだった。
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