それぞれの休日:ルシアン・キルクケード/ルシスアンセム・キルシュタイン
身軽な方が良いと、ずっと、考えていた。
己の身分を偽り聖騎士団レオンズロア団長ルシアン・キルクケードとして生きてきたルシアンにとって、ベルナール王国での生活の全ては紛い物にしか過ぎなかった。
本来の自分というものは、月魄教団に戻った時だけ──いや、それも、偽りなのかもしれない。
騎士団団長としての己も、キルシュタインの王子としての自分も。
復讐心を抱えて生き続けて、それだけが己の全てだった。
だからだろうか、本来の自分というようなものが、ルシアンにはない。
言葉は全て上滑りして、何もかもが、嘘くさく感じられてしまう。
「ルシアン様! 先日は、ありがとうございました……!」
食材の入った紙袋を片手に抱えて歩いていると、若い女性が駆け寄ってくる。
一体誰だっただろうと思いながら、ルシアンは笑顔を浮かべた。
「いや……礼などは必要ない。人々を守ることは、レオンズロアの役割だ」
形式的な言葉でも、優しい口調と笑顔を心がければ真実になるらしい。
過去、自分の足場を確実に作り上げ、皆を騙すために、街の人々を守る騎士団長という偶像を作り上げた。
今は、その偶像の自分であり続けるために、変わらない生活を続けている。
「でも私、ルシアン様に何かお礼がしたくて……そ、その、一緒にお食事など、どうかなと、思って……」
若い女性がルシアンの空いている方の腕に触れる。
ルシアンは内心ため息をついた。
最近の若い女性は随分大胆だと思う。男の体に無闇に触るものではない。
けれどこれは、半分ぐらいは自分のせいだということも理解している。
騎士団長ルシアンは、助けた女性たち全員に手を出す女誑し──そんな噂が広まっていることは知っているし、それは今までの自分の態度に原因があったことも理解している。
リディアにも、勘違いされていた。
今はその誤解を解くために、行動を改めなければいけないと考えている。
皆に優しくするのは、優しい人々を守る騎士団長を演じるため。
けれど、今のルシアンにとって大切なものは、リディアだけだ。
他の女性などは興味もないし、暴漢か、何かから助けた女性たちは多いが、顔も名前も覚えていない。
「悪いが、個人的に誰かと食事をする……というようなことは、しないようにしている」
「な、何故ですか……? 他の女の人たちは、ルシアン様と……その……」
「それは、誰かが言いふらしている嘘だろう。助けた街の人々と、個人的に付き合うことはしない。私は皆に平等でいなければいけない。平等に困っている人々を助けるのが、騎士団というものだから」
「で、でも……私、ルシアン様に憧れていて……っ」
「その言葉は、大切な誰かのためにとっておいた方が良い。私に向けるべきではない」
確かに今までは、まとわりついてくる女性たちを適当にあしらっていた。
適当に話を合わせて、適当に、笑顔で相槌をうって。
そうして──必要以上にルシアンに踏み込んでこようとする女性たちは、それとなく距離を置いた。
個人的に誰かと会うことはなかったし、食事をすることも、それ以上の関係になることもなかったけれど。
結果的にそういった行動が、ルシアンは誰にでも手を出す──という噂に繋がってしまったのだろう。
「君が困っていれば、私はレオンズロアの団長として助ける。それは、君であっても、別の誰かであってもだ。誰が特別、ということはない。誰かを特別にしようとも思わない」
「そ、そんなの、わからないじゃないですか……私を知ってくださったら、私が特別になれるかもしれません」
「既に、私の両手はもう大切なものでいっぱいなんだ。他の誰かを入れる隙間などはない。それから、あまり男性に触れるのは感心しないな。そういうことをしていると、また、好きでもない誰かに襲われる羽目になる」
「……ひどい」
ルシアンの注意を、女性は侮辱と受け取ったらしい。
その女性は、路地裏で男たちに絡まれていたところを助けたのだったなと、思い出して、ルシアンは内心でもう一度深いため息をついた。
男に触れる手つきに、慣れがある。
これでは、勘違いする者も多いだろう。
「すまない。それでは」
女性の瞳が潤んでいることに気づいていたが、ルシアンはその場から立ち去ることを選択した。
今までの、ルシアンだったら、このような物言いはしなかっただろう。
適当にあしらって、良好な関係のまま、「仕事がある」とか「忙しいので、また」などと言って、女性から離れていただろう。
けれど、それでは今まで通り。
女誑しのルシアンだと、リディアに半眼で睨まれることになるかもしれない。
怒ったり泣いたりしているリディアも愛らしくて好きだが。
でも、できれば、リディアにだけ一途な、誠実な男であると、思われたい。
今更、無理かもしれないが。
何が大切で、何を一番守りたいか。自分という存在が嘘で塗り固められたものであったとしても、それを、間違えたくはない。
ルシアンの後ろで、「ひどい」「最低」と言いながら泣きじゃくる女性の声が聞こえたが、ルシアンは振り返らなかった。
酷いことも最低なこともしたつもりはないのだが、女性というものはたった一人を除いて、面倒なものだなと思う。
いっそシエルやロクサスのように、最初から冷淡な態度をとっていれば、こんなことにはならないのだろうか。
シエルは冷淡ではないが、感情が声にこもっていない上に必要以上のことは話さないせいか、女性たちにとってはかなり近寄り難いのだろう。
ロクサスは冷淡である。冷淡というか、他者に厳しい。
二人なら、今のルシアンの立場に立ったされた時、何というのだろう。
「申し訳ないのですが忙しいので、失礼しますね」と笑顔で切り捨てるのだろうか。
「俺は、お前のような者が気安く話しかけて良い立場にはない」と、冷淡に切り捨てるのだろうか。
レイルは──あれは、狐の仮面を被っているので、そもそも食事の誘いをしようという強い心を持った女性は、少ないだろう。
見知らぬ女性に泣かれてしまう休日というのはあまり良いものではない。
本当はそう感じている自分も嘘で、どうでも良いと、冷酷に思っているのが本来の自分なのかもしれない。
リディアに女を泣かせたという噂が伝わったら、少しは、嫉妬してくれるのだろうか。
それとも「ルシアンさん、いつか刺されますよ」と、心配してくれるのだろうか。
そう思うと、少し愉快な気持ちになった。
リディアの顔を思い出すと、その声や、柔らかな頬や、手触りの良い髪を思い出すと。
ルシアンの心は、憂鬱な雪雲の立ち込める寒い日でも、暖炉に火が灯ったように、暖かくなる。
「……夕方はシエルと鉢合うかもしれないから、明日の昼、食事を届けに行こう」
何を作ろう。
何か、体が温まるものが良いだろうか。
そんなことを考えながら、ルシアンはまだ誰にも教えていない南地区にある家に向かって、軽い足取りで歩いて行った。
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