リディア・レスト誘拐事件
私を担ぎ上げたシエル様は、どこかに向かって歩いていく。
走っているわけでもないのにその足取りはとっても早くて、まるで地面をスイスイ泳いでいるみたいだ。
「離してください、降ろしてください、いやぁあ変態ぃいい……っ」
「落ち着いてください、リディアさん。悪いようにはしません。対価はしっかりとお支払いしますので」
「わ、私、私、食べても美味しくないです……!」
身を捩って何とかシエル様から離れようとするけれど、シエル様はしっかりと私を担ぎ上げているし、細身に見えるのに私よりもずっと太い腕はびくともしない。
シエル様、さっき私のこと、狼に食べられるって言ったわよね。
使用人たちもよく言っていたもの。男は狼だって。
年頃になったら慎みなさいとはよく言ったものだわ。シエル様は狼。
このままどこかに攫われて、私は食べられるのだわ。お金はくれるらしいけど、そういう問題じゃない。
「転移魔法陣を使うことができれば良いのですけれど。僕一人なら問題ないのですが、あれは、同行者はもれなく魔力酔いになりますし、転移の衝撃で服も破けてしまうので、あまりおすすめはできないんですよね」
「ふ、服が、服が破けたら困ります……」
「そうですよね。僕もそう思います。だから大人しく抱えられていてください」
「脅し……! 大人しくしていないと、服を破くっていう脅しですか……!」
ひんひん泣いている私に構わずに、シエル様は明確な足取りでどこかに向かっている。
途中マーガレットさんのお店の前を通った。
いつも通り店先に置いてある椅子に座って足を組んで、チョコレート味の煙草を吸っているマーガレットさんが、驚いたように目を見開いて私を見ている。
「マーガレットさん、助けて、誘拐です、誘拐ぃ……っ」
「リディアちゃん……頑張って」
マーガレットさんは目尻の涙を拭う仕草をしながら、ヒラヒラとハンカチを私に向かって振った。
「ルシアンも悪くないけれど、シエル・ヴァーミリオンも……悪くない、悪くないわぁ……っ」
どういう反応なの、マーガレットさん……!
私は助けて欲しいのだけれど、ちょっと喜んでいるのよ。
もしかして、占いが的中して嬉しいのかしら。確かに、シエル様はどこからどう見ても魔術師だもの。
マーガレットさんがカードで言い当ててくれた、素敵な出会い。
ちっとも素敵じゃない。
誘拐犯だわ。
変態なのよ。
「マーガレットさん、よくない、よくないです、ひあぁあああ……っ」
シエル様の足元に、輝く魔法陣が浮かんだ。
浮遊感と共に景色が変わる。
眩暈がする。頭がぐるぐるする。
全身黒いには黒いけれど、それでも可愛いから気に入っているエプロンやブラウスが破ける。
「ひどい、ひどいよぉ……っ」
「申し訳ありません。短い距離の転移なら、許容範囲かなと思いまして。さすがに、誘拐と言われて騒がれると、……そのままさらって本当に食べてしまおうかと、思わなくもないですから」
シエル様がゆったりした優しい口調で言う。
怖い。ルシアンさんはそんなに怖くないけれど、シエル様は怖いのよ。
なんだかノリと勢いで世界を滅ぼしそうな感じがする怖さなのよ。
「うぇ……っ、うう……ここ、しかも王宮じゃないですか……っ、嫌です、いや、帰ります……っ」
泣いてる場合じゃなかった。
シエル様が転移してきたのは王宮の正面入り口である。
警備兵の方々がぎょっとしたように私たちを見ている。それはそうよね。吃驚よね。
突然服が切り裂かれた女をシエル様が抱えて現れたのだもの。
警備兵さん、この人、この人誘拐犯です……!
捕まえて……!
という気持ちを込めて警備兵の方々を見たのだけれど、視線を逸らされてしまった。
私、警備兵の方々にも見捨てられるのね。かなしい。
「シエル様、王宮は鬼門なんですよぉ……殿下に会っちゃったら、どうするんですか……せっかく隠れてこそこそ静かに暮らしていたのに、ひどい……」
「我慢してください」
「うう……」
さめざめと泣く私を連れて、シエル様は王宮の中に進んでいく。
そうして辿り着いたのは、王宮入口から謁見の間を通って右側、シエル様と似たようなローブを身に纏った方々が働いている、魔導師府だった。
つまり、王宮魔導師団セイントワイスの本部である。
ステファン様の婚約者時代に、王宮には何度か訪れたことがある。
私とステファン様にも、少しばかり良好な時代があったのである。
王宮を案内してもらったこともあって、魔導師府の場所はなんとなく記憶にある。
それは外側から見ると、尖塔がたくさん集まった一つのお城のように見える。
中は、宮廷魔導師の方々の職場であり、住居にもなっている。
お城で働く方々は、たいていの場合お城で寝泊まりしている。きちんと家を王都に持っている方がほとんどだけれど、長期休暇以外はあまり帰らないらしい。
「リディアさん、つきましたよ」
シエル様は私を、魔導師府のキッチンへと連れていった。
すごく広くて綺麗なキッチンだ。
私のお店のキッチンの三倍ぐらいはありそう。
大きな冷蔵保管庫が並んでいて、香辛料や調味料が棚にたくさん並んでいる。
「……キッチン、ですね」
「ええ。リディアさんには、ここでハンバーグを作って欲しいんです」
シエル様は私をキッチンの作業台の前に置いてある丸椅子に座らせてくれた。
それから私の涙を、ハンカチでぐいぐいふいてくれる。
私は状況がうまく飲み込めないまま、「ハンバーグ……」と呟いた。
「食材が違うと、同じ効果が得られるかどうかはわかりませんが、僕はあなたの料理の特殊な効果は、あなたの手によって料理が作られることで発生すると考えています」
「はぁ……」
「つまり、あなたがハンバーグを作れば、それはどんなハンバーグであれ、解呪の効果が付与されるということです」
「それは、鬼ヶ島ハンバーグじゃなくて、普通のハンバーグでもですか? 呪いのドロドロチーズハンバーグとか、割ったら卵が入っている、怨念のごろごろ目玉入りハンバーグとかでも?」
「ええ。おそらくは。ですので、ともかくハンバーグを作って欲しいんです。メドゥーサの呪いで死にかけているのは実を言えば、僕だけではなくて、セイントワイスの部下たちも何人か、動けない状態にあるのです」
「そ、そんな、ひどい……シエル様がメドゥーサの首を持ち帰ってきたせいで……かわいそう……」
「ええ、そうなんです」
そうなんです、じゃないと思う。
というか、私のハンバーグに妙な期待をするのはやめて欲しいのよ。
シエル様の体がお元気になったのは、たまたま、偶然、なのかもしれないし。
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