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それぞれの休日:シエル・ヴァーミリオン/シエル・ウィスティリア




 城の書庫の奥にある鍵付きの部屋の書架には、持ち出し禁止の書籍がいくつかおさめられている。

 古の宮廷魔道士が研究した、強力な魔法の構築理論が記されている魔導書であったり、王国の黒い歴史が記されている記録書だったりと、人目に触れれば害となるが、処分してしまうのも問題となる本ばかりである。


 シエルはその中の一冊を抜き取って、目を通している。

 城の書庫に入るためには、書庫を管理している司書官の許可が必要で、さらに禁書の間に入るには、国王陛下の許可が必要である。


 けれどシエルの場合は、セイントワイスの筆頭魔導士という地位と、それから国王陛下からの承認の書類無しでの使用許可を貰っているので、手続きを取らずとも禁書の間に入ることができる。

 国王ゼーレから特別待遇をされている宝石人──ということで、シエルのことを快く思わない人間も多いことは知っている。

 自分の行動が、振る舞いが、宝石人にとっての不利益になる。

 正しいことを、しなければ。正しく生きなければ。


 喜怒哀楽の感情について、己とそういった感情の間には分厚い膜が張っているように感じられていたシエルにとって、母の残した「正しく生きて」という言葉は、生きるための指標のようなものだった。


 正しく生きるためには、どのような行動を取ればよいのか。

 何を、成せばよいのか。

 その導きがなければ、シエルは自分の力を徒に使用して、誰かを傷つけていたかもしれないと考えている。

 誰かを傷つけたとして、自分は、何も感じなかっただろう。

 母の言葉がなければ──ウィスティリア辺境伯家のものたちを、傷つけていたかもしれない。

 手酷く。その命を、奪うほどに。


「……やはり、書いてあることは同じか」


 誰もいない禁書の間に、古びた書物を指で捲る、ぱらぱらという音が響く。

 紙の独特な香りが充満している禁書の間には、窓がない。

 魔石ランプの灯りが、窓がないせいで暗い部屋を照らしている。

 部屋が暗いと時間の感覚を見失いそうになるが、今はまだ、昼だ。


 夕方になれば、リディアの様子を見にいくつもりだった。

 封じられていたアレクサンドリアの力が解放されて、体に凝っていた魔力が、瓶ボトルの栓が抜けてグラスに液体が注がれるように巡り始めたばかりのリディアは、先の戦いで、本人は気づかないままかなりの無理をしている。

 

 魔力枯渇は、大怪我をして多量に血液を失った状態に似ている。

 体から血が抜ければ、生命維持は困難となる。

 出血であれば危機感を覚えるだろう。怪我と同時に失った血というのは、視覚的にもわかりやすいからだ。

 魔力枯渇の厄介なところは、見た目ではわかりにくいということにある。

 自覚のない状態で無理を続ければ、枯渇した魔力の代わりに、生命力を削ることになる。


 今まで自分には魔力がないと信じ続けていたリディアは、そういったことに無頓着だ。

 ──慎重に体調を管理して、その体を、命を、守ってあげなければいけないと、思う。

 けれどそれも、顔を見に行くだけの大義名分にしか過ぎないのかもしれない。

 ただ会いたいと、言ってしまえれば。

 楽なのだろう、きっと。


 シエルは、本のページを長い指で辿る。

 白くしなやかな長い指が文字を辿る様は、弦楽器の弦に丁寧に触れる様子に少し似ている。


「神祖テオバルトの元に、アレクサンドリアが現れた。二人は愛し合い、王国は繁栄した」


 レスト神官家の管理している教団の教えと同じだ。

 王家の歴史書には、シエルの知っている知識以上のことは何も書かれていない。


「愛しあう二人の姿に嫉妬をした魔女シルフィーナは、王国を滅ぼそうとした。アレクサンドリアはテオバルトに聖剣を授けて、テオバルトはシルフィーナを討伐したが、魔女を滅ぼすことはできなかった。そのため、赤き月に幽閉をした」


 シエルは、本のページを辿っていた指を止める。


「……でも、何故? 聖剣で滅ぼせなかった魔女とは、一体何だ。人間とは違うのか? 強い魔力を持ったシルフィーナを魔女と呼ぶのなら、元はただの人間だろう。……リディアさんの見た記憶では、シルフィーナはキルシュタインの出身だった」


 テーブルの上に歴史書を置いて、シエルは書架を探る。

 キルシュタインとの戦争の歴史が記されている記録書を書架から抜き出して、開いた。


「一番古いキルシュタインとの戦争は……テオバルトが王になる前。ベルナール王国とキルシュタインは隣り合っていて、土地を巡って争いを続けていた。……テオバルトが長らく続く戦争を終わらせるために、キルシュタインに大規模な遠征を行い……それ以降、キルシュタインからの侵略は、一時大人しくなっている」


 ふと、違和感を感じる。

 リディアの見た記憶はおそらく真実だろう。

 キルシュタインとの和睦のためにシルフィーナを妻に迎えて──その後、キルシュタインと大規模な戦争を起こして、キルシュタインを制圧しようとするとは。


「……妙だな。記録は、改竄されているのか。元から、嘘を記されているのか」


 シエルは本を閉じると、書架に戻した。

 それから、テーブルの上に広げっぱなしだった歴史書も、元に戻す。


「アレクサンドリアとテオバルトは夫婦だったはずなのに、ベルナール王家と、レスト神官家、その血は二つに分かれている。何かが起こったはずだ。記されていない、何かが。……そうして、シルフィーナは赤き月に幽閉され、ロザラクリマを起こしている」


 月から魔物が落ちてくることについて、シエルは懐疑的だった。

 そう見えるだけで、本当は地上に流れる魔脈から、魔物が湧いているのではないかと考えたこともある。

 けれど、実際エーリスやファミーヌという者たちが現れて、リディアの見た記憶もあり、やはり本当に赤き月にはシルフィーナが幽閉されていて、魔物を産み続けているのだと、結論づけた。


「魔女の娘は、あと二人。……エーリスさんや、ファミーヌに尋ねても、わからないだろうが……しばらく、大人しくしていて欲しいものだな」


 そしてできれば今度は、リディアを巻き込まずに、片付けてしまいたい。

 先に見つけ出して、リディアに危害を加えようとする前に。

 リディアには、穏やかな生活を送って欲しい。できれば、戦いや、悲しみや、争いとは、無縁な。


 シエルは部屋を照らしていた光魔法の灯りを消すと、禁書の間を後にした。

 魔導士府に戻ると、休憩所から出てきたリーヴィスに呼び止められた。


「シエル様、リディアさんの元に行く用事がありますか?」


「夕方、顔を見に行こうと思っている。何かあるか?」


「前回の蜘蛛女の件で、私たちはまたリディアさんに助けていただいたでしょう。リディアさんの力がなければ、多くの罪のない人々を殺めることになっていた。魔物になった人々を元に戻す、広範囲の癒しの力……素晴らしいものです」


 リーヴィスは手に持っている袋を、シエルに手渡した。


「ですが、そのせいでリディアさんは魔力枯渇を起こしていると。リディアさんが聖女だと知られた今、その身辺はセイントワイスが責任を持って守りましょう。リディアさんには内緒で」


「あぁ。何かあれば、すぐに知らせてくれ。僕が……ずっと共にいられたら、良いのだろうが、そういうわけにもいかない」


「ずっと共にいれば良いのでは……私はシエル様こそ、リディアさんにふさわしいと思っていますよ」


「……あまり、そういうことを、むやみに言うものではないよ」


「失礼しました。つい、本音が。……これは、お礼の品です。リディアさんに渡して欲しいのですが、良いでしょうか」


 紙袋の中には、エーリスのために作ったと思われるマフラーや、エーリスの姿をした人形が入っている。


「前回渡した帽子やショールを喜んでくれたので、新作です。もうすぐ本格的に寒くなりますからね。雪も、降ります。……本当はリディアさん用のマフラーを作ろうかと思ったのですが、そういったものは、シエル様がプレゼントをする方が良いかと思いまして」


「……プレゼント、か」


「ええ。きっと喜びます」


「……そうだな。……近々、雪が降りそうだ。雪の間は、静かな日々になると良いな」


 プレゼント──と、シエルは、リーヴィスの言葉を反芻した。

 何か、買っていこうか。

 何を渡したら、リディアは喜ぶだろう。

 それを考えると、鉱石でできている冷たい心臓が、少し、あたたかくなる気がした。




お読みくださりありがとうございました!

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