お父さんの秘密
びしょびしょのお父さんと、濡れてしまったエーリスちゃんと、ファミーヌさんを連れてリビングルームに向かう。
マーガレットさんをおもてなししようとしてココアを淹れようとしたのだけれど、マーガレットさんに「あんたは座ってなさい」と言われて、大人しく座っていることにした。
ぽかぽかのひだまりの中で、ファミーヌさんとエーリスちゃんがくっついて眠っている。
お父さんも少し離れた場所で、丸くなっている。
「お父さん、私、今までお父さんと一緒にベッドで寝ていたんですけど、実はお父さんは成人男性だったということは、一緒に寝るのはよくないんじゃないかなって、気づきました」
暖炉の中に入っている大きめな炎魔石の炎を灯す。
冬の天候は変わりやすい。
先ほどまではぽかぽかだった室内は、空が曇ってきたせいか、少し肌寒さを感じる。
もうすぐ雪が降るかもしれない。
「何故だ、リディア。私は君の希望通り、小さな君がぎゅっとできる程度の大きさの、可愛い動物になったのだぞ」
「お風呂に入るときは、元の姿に戻るのですか?」
「犬のままでは何かと不便だろう。あと、毛量が多い。人の姿になった方が体を洗いやすいのだ」
「確かにそうですけれど、犬のままの姿で、私に洗われたらよかったのに」
「恥ずかしい」
「一緒に寝るのは恥ずかしくないのに……?」
「それは私の役割なので、恥ずかしくない」
お父さん心というのは、よくわからない。
とりあえず、入浴中にお風呂場を覗いてはいけないというのが良くわかった。
先に言ってくれたら、お風呂場を覗いたりしなかったのに。
私は炎魔石に火の灯った暖炉の前であたたまりながら、お父さんを軽く睨む。
「どうして、お風呂に入る時には元の姿に戻るって言ってくれなかったんですか? 先に教えてくれていたら、びっくりしなかったのに」
「君の前では、あの姿のままでいようと思ったのだ。それが君の望みだったから」
「じゃあ、成人男性の姿に戻ってくださいってお願いしたら、戻ってくれるんですか?」
「それを君が望むなら」
「犬が良いです」
「犬ではなくお父さんだが、それでは、このままでいよう」
お父さんはお父さんだけれど、犬じゃなくて見目麗しい成人男性になってしまった場合、一緒に暮らすのは問題がある気がするので、可愛い犬のままでいてほしい。
エーリスちゃんやファミーヌさんも威嚇するし。
「リディアちゃん、ココア入れてきたわよ。ちょうどおやつの時間だから、秘蔵の缶クッキーも持ってきたわよ」
ソファに戻って休憩していると、マーガレットさんがお盆にココアと、四角くて雪うさぎの絵が描いてある可愛いクッキーの缶を持ってやってくる。
マグカップを一つ私の前に置いて、クッキーの缶を開けた。
中に入っているクッキーも、缶の絵と同じ、雪うさぎの形をしている。
「雪うさぎさんクッキー……」
「可愛いでしょ」
「マーガレットさん、これが、女子力……?」
「そうよ、女子力よ」
いつもアロマ煙草を吸いながら怠惰な感じで店先に座っているマーガレットさんが、今日は光り輝いて見える。
赤いマグカップには、雪の結晶の模様が描かれていて、たっぷり入っているココアの上には小さなマシュマロがぷくぷくと浮かんでいる。
「マーガレットさん、女子力……」
「かぼちゃぷりん……!」
「タルト……」
エーリスちゃんがむっくり起き出してきて、雪うさぎクッキーを見て、ぱたぱたと羽を上下に振った。
ファミーヌさんはチラリとこちらを一瞥して、パタリと尻尾を振って、目を伏せた。
クッキーにもあんまり興味がないみたいだ。
私はエーリスちゃんに、雪うさぎクッキーを一枚あげた。
「雪うさぎは、エーリスちゃんにちょっと似ています」
「かぼちゃ」
あぐあぐと、エーリスちゃんがクッキーを食べて、クッキーのかすを口の周りにぼろぼろつけている。
「食堂の新しいメニューを考えなければいけないんですけれど、エーリスちゃんのクッキーも子供たちへのお土産に作ろうかな……」
「リディアちゃんがはじめて女子力の高いメニューを考えてる……嬉しいわ。いつも、恨みつらみの〜とか、憎しみの〜とか、挙げ句の果てに、ちょっといかがわしい感じに落ち着いていたものね」
「烏賊……」
「どうしたの、リディアちゃん。ステファンが元に戻ったから、恋心を取り戻したの?」
「ステファン様には、ソーセージにみんなの名前をつけたらだめって言われました。恋心は、昔はありましたけれど……今は、優しい親戚のお兄さんという感じです」
「昔は好きだったんでしょ?」
「よくわからないです、マーガレットさん。私、ひとりぼっちでしたから、はじめて優しくしてくれたステファン様に、懐いていただけなのかもしれなくて」
「リディアにはじめて優しくしたのは、私だ」
「お父さんのことは忘れていました。ごめんなさい。すごく小さな頃の記憶だから、ずっと思い出せなかったんです」
マーガレットさんは、優雅に足を組むと、アロマ煙草に火をつけた。
オレンジチョコレートの甘い香りが、煙と共に漂った。
「あたしが、ティアンサ様に予言を伝えたあとよね、聖獣であるあんたが、リディアちゃんの前に現れたのは。聖獣なのに実は人間とか、聖獣ってなんなのって思いたくなるけど」
「私は赤子だったリディアに聖女の気配を感じて、ティアンサとリディアの前に姿を現した。そこで、ティアンサは私に願ったのだ。リディアの力を封じてほしいと」
「リディアちゃんを守るために」
「お母様……」
私は目を伏せる。
お母様の姿を思い出す。私とそんなに年齢が変わらないお母様の姿を。
ちょっと複雑な気持ちだけれど、でも、お母様が無事で元気に戻ってきてくれて嬉しい。
「私は、人の世界に関わることはしない。ただ見届けるものだ。けれど、今回は……ティアンサの強い思いに免じて、その願いを聞くことにした。それからは遠くでリディアを見ていたが、あまりにも不憫でな。だから、リディアの友人になろうと思い、姿を現したのだ」
「お父さん、ありがとうございます。私のこと、気にしてくれて……でも、そのせいで、お父さんはファミーヌさんに捕まってしまったのですよね」
「タルトタタン」
ファミーヌさんはやれやれ、というように、耳をぱたぱたさせた。
「まぁ、そうだ。君と二人きりの時だけ姿を見せるように気をつけてはいたのだが、ある日、捕まってしまってな。それから、ファミーヌは私をそれはもういたぶったわけだ。この、愛くるしい犬の姿をした私を」
「タルトタタン」
「まぁ、終わったことなので良いのだがな。私は、不死者。いたぶられたぐらいで、死にはしない」
「ふししゃ?」
「不死者……!」
「しまった。これも秘密なのだった。口が滑ってしまった。忘れてくれ」
お父さんはふわふわの両手で耳を隠して、そして、両目を隠した。
ふししゃとは、何かしら。
私はすこし冷めたココアに口をつけた。甘くてまろやかで少し苦味のある味が、口いっぱいに広がった。
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