名探偵フォックス仮面
床に倒れているロクサス様とステファン様の元に駆け寄ると、その体の周りには白いラインが引かれていた。
「駄目だよ、姫君。現場の温存は、犯罪捜査の基本。その白い人型から中には入ってはいけないよ」
「この線は一体……?」
「あ。それは、魔方陣を浮かび上がらせる要領でシエルに描いて貰ったものだから、心配しないで。すぐに消せるから」
「シエル様に?」
「ええ。レイル様に頼まれたので。あなたの食堂に実際に線を引くわけにはいかないと」
シエル様が私の隣にやってきて言った。
ファミーヌさんは窓辺で寝そべりながら、ぱたぱたと尻尾を揺らしていた。こちらに来る気はないみたいだ。
ステファン様はうつ伏せで倒れていて、ロクサス様は仰向けで倒れている。
ロクサス様の眼鏡は床に転がっていて、眼鏡も白い線で囲われていた。
「ええと……何があったんですか?」
「それがね、姫君。……私たちは昨日、姫君が少量の酒で酔って倒れてしまったときに」
「は、はい、私……誰かに運んでいただいたんですよね。すみません、ご迷惑をかけてしまって」
「それは良いんだよ。姫君を運べるなんて名誉なことだし」
「気にする必要はありません。疲れていたのに、遅くまで付き合ってくれたのでしょう」
「本当はもっと早く寝かせてやるべきだったな。昨夜は、無理をさせてしまった」
カウンターの向こう側で、ルシアンさんもソーセージと目玉焼きをお皿に移しながら言った。
ソーセージを一本、小さなお皿に移している。
調理台の横の丸椅子の上に座るアルジュナお父さんの前にそれを置いて、「熱いから、冷ましてから食べるように」と注意している。
「ビールを所望する」
「お父さんは犬だから駄目だ」
「私はお前の父ではない」
「リディアの父は私の父でもある」
「外堀を埋めようとするな」
「……というのは、冗談で、犬が好きなんだ、私は。多分犬ではないのだろうが、姿形が犬なのでな」
「犬ではない、私はリディアのお父さんだ」
「まぁ、とりあえず、熱いだろうから、冷ましてからだ、お父さん。ミルクも飲むか?」
「酒を所望する」
「駄目だ」
微笑ましいやりとりをしているルシアンさんとお父さんから視線をそらして、私は隣にいるシエル様を見上げた。
「私、本当に昨日は、楽しかったんです。だから、無理はしていませんよ」
「そうですか、それは良かった。ですが、これからはきっといつでも皆で集まれるのですから、疲れているときに無理をする必要はありませんよ」
「なんだか、……一日一日が、惜しくて、大切で。私の周りにこんなに、誰かがいてくれたこと、今までなかったですから」
「大丈夫だよ、姫君。姫君が呼んでくれたら私たちはいつでも駆けつけるし、呼ばれていなくても、ここにくる。ここは、姫君の美味しい食事を食べることができる食堂だからね」
優雅に足を組んで、レイル様が優しい笑みを浮かべた。
胸の中に、小さな花が咲いたように、ふんわりしたあたたかい気持ちがわきあがってくる。
ステファン様とロクサス様は何故か倒れているけれど、やっぱり、昨日は楽しかった。
「はい、ありがとうございます。……でも、どうしてこんなことに? あと、どなたかが私を運んでくれたのですけれど、私、覚えていなくて……」
「そこなんだよ、姫君。何が起ったと思う?」
「さっぱりわかりません……」
私は首を振った。
料理を終えたルシアンさんも此方にやってきて、小さく溜息をついた。
「レイル様、朝食ができましたよ。私たちがいるとリディアが休めない。楽しそうなところに水を差すのは申し訳ないですが、早々に済ませて、二人を連れて帰りましょう」
「姫君の日常にちょっとしたスリルとサスペンスを……と思ったのだけどね。うん。じゃあ――謎はこのフォックス仮面が、全て解明した……!」
腕を組んで、額に指をあてて、レイル様が言う。
不思議そうに成り行きを見守っていたエーリスちゃんが「かぼちゃ!」と、ちょっと嬉しそうに、私の胸元で体をじたばたさせた。
窓辺のファミーヌさんが「タルト、タタン……」と、すごく呆れたように、ぱしんぱしんと尻尾で出窓を叩いている。
「実はね、姫君。昨日倒れた姫君を抱き上げたのは、当然のように、大方の予想通り、シエルだったのだけれど」
「隣にいましたからね」
シエル様が頷いた。
私の隣にいたのは、シエル様とロクサス様。それは覚えている。
「そこで、世にも醜い争いが起ってね……いや、酔っていたのだろうね、皆」
「皆、ではないですよ、レイル様。私は止めました」
「ルシアンは大人を装っているからね」
「装っている……いや、実際大人ですが」
ルシアンさんが困ったように目を伏せる。ルシアンさんは黒いエプロンを腰に巻いている。
白いシャツに、黒いエプロン。シンプルな服装なのに、筋肉質で背が高いせいでやたらと似合う。
ルシアンさんに朝食を作って貰うとか、ルシアンさんのことが好きな女性たちに、私は恨まれるかもしれない。
そんなことを考えながらルシアンさんを見上げていると、私の視線に気づいたルシアンさんが、にっこりと微笑んでくれる。
大人の男性という言葉が確かにしっくりくる。
私は視線をレイル様に戻した。ステファン様とロクサス様のことは心配だけれど、せっかくの目玉焼きとソーセージが、冷めてしまう。
「レイル様、争いって……?」
「うん。誰が姫君を運ぶのに相応しいか選手権がはじまってね」
「せんしゅけん」
「有り体に言えば、腕力比べ。腕相撲だね」
「僕も参加していませんよ。リディアさんを抱き上げていましたから」
「そ、そうなんですね……」
記憶はないけれど、ずっとシエル様に抱き上げられていたというのは、ちょっと恥ずかしい。
酔っ払って倒れている私を抱き上げていたシエル様、呆れなかったかしら。
というか、私は、何かしらの醜態を晒さなかったかしら。
色々心配なのよ。
「それで、まぁ、どうしても姫君を運びたいって言い張る殿下とロクサスが戦うことになって」
「どうしても……?」
「そう、どうしても。殿下は姫君の寝室に妙齢の独身男性を入れるわけにはいかないっていう保護者面をして、ロクサスはロクサスで、シエルにだけは運ばせたくないと言い張って。で、二人で腕相撲をしたんだよ」
「腕相撲をすると、倒れるんですか……?」
「いや、腕相撲で勝敗がつかなかったからね、それならより多くの酒を飲んだ方が勝ちという話になって、飲み過ぎて色々溜まっていたものがあふれて泣く殿下とロクサスという地獄絵図ができあがって、最終的に、二人とも溶鉱炉へ沈んでいった結果がこれ」
「溶鉱炉に……」
「うん。肩を組んで、サムズアップして、沈んでいったよ。早い話が酔い潰れたのだね。仕方なくここに寝かせています」
「……そうなのですね」
「二人が寝たら、静かになったな」
ルシアンさんの言葉のあとに、シエル様が続ける。
「リディアさんは、僕とルシアンとレイル様で運びました。やはり、女性の部屋に一人で入るというのは、良くないですからね」
「私もいた」
「ええ。お父さんもいました」
「そうなんですね、ありがとうございます……」
「朝食にしようか、姫君。殿下とロクサスは私たちが責任を持って連れて帰るから、心配しないで」
「は、はい……」
ステファン様、色々溜まっているのね。
五年前の記憶ではいつも優しくて、落ち着いていて、大人びている印象が強かったのだけれど。
ステファン様も泣くことがあるのね。
ロクサス様も。
皆、私と一緒。
そう思うとなんだか嬉しかった。
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