解呪の効果、そして誘拐
完成した料理を、私はテーブルに運んだ。
シエル様が私のあとをついてくる。シエル様はルシアンさんと同じぐらい背が高くて、ルシアンさんよりも細身なのだろうけど、ゆったりとしたローブを着ているせいでかなり大きく見える。
大きい男性に後ろをついて歩かれると、森の中で熊に出会ってしまった時みたいにドキドキするわね。恐怖で。
森の中で熊に出会ったことはないのだけれど。多分そんな感じ。
「シエル様、どうぞ召し上がってください。今、お茶を淹れますね。朝食の時はミルクティーなのですけれど、たまたま偶然、お昼ご飯はお肉ばかりになってしまったので、口当たりのすっきりしたほうじ茶を入れてきますね」
「ほうじ茶?」
「はい。お醤油とか、ほうじ茶とか、緑茶とかは、倭国から来た行商人さんが売ってくれるのです。美味しいですよ」
「海を隔てた場所にある島国ですね、確か」
「はい! 行商人さんのツクヨミさんは、くじら一号に乗って海を渡っているんです。すごく可愛いですよ、くじら一号」
美味しいお肉はマーガレットさんのお店で仕入れているけれど、そのほかの食材は市場で購入している。
ツクヨミさんは市場でお店を開いていて、王国にはない調味料やお茶を売ってくれる。
一度だけ、海を渡る時に乗っている船の、くじら一号を見せてもらった。
船というか、くじらである。くじらの上に二人乗りのドーム型の搭乗設備が設置されている。
ツクヨミさんは法術士と倭国では呼ばれている、王国では魔導師のような人で、くじらとお話できるらしい。
操縦桿はないけれど、くじら一号はツクヨミさんの指示に従ってくれるそうだ。
「あなたは……泣いている顔よりも、そうして笑っている方が可愛らしいですよ」
四人がけのテーブルの椅子に座って、シエル様が私ににっこり微笑んだ。
すごく眩しい。頭についている高価そうなきらきらの宝石よりも、シエル様の笑顔がきらきらしている。
「わ、私は、騙されませんので……! お茶を淹れてきます……!」
私はそそくさとシエル様から離れた。
ルシアンさんと同じで、シエル様もきっと女性から人気があるに違いないわね。
だってなんだか手慣れているもの。
心を許した途端に飽きるなどして、ぽいっと捨てるのだわ。
わからないけど、そうなのよ。立場のある方というのは総じてそんな感じなのよ、きっと。
私はキッチンに戻って新しいお湯を沸かした。
その間に汚れものをシンクに詰め込んで、お水につけておく。
コンロの火がとまっているかの確認をして、羽釜やスープ鍋に蓋をして、残った食材を保管庫に戻した。
それからお花柄の可愛らしいティーポットに、ツクヨミさんから購入したほうじ茶の茶葉を入れて、お湯を注ぐ。
トレイにティーポットと、セットの花柄のカップを乗せて、両手で持つとシエル様の元へ戻った。
シエル様はフォークとナイフを持って、お食事を一生懸命食べようとしていた。
「シエル様?」
フォークでハンバーグを刺そうとしているけれど、うまくいかないらしくて、ぼろぼろお皿に溢れている。
「どうしましたか、シエル様……? 食べにくいでしょうか……」
「いえ。その……とうとう目が見えなくなってしまったみたいで、どこに何があるのかわからないのですよね」
「そ、そんな……!」
困り顔で微笑んでいるシエル様の赤い瞳は、確かに焦点があっていないように見える。
本当に体が呪いで蝕まれているのね。
シエル様、かわいそう。自分で撒いた種だけどかわいそう。
でも、だとしたら悠長にご飯を食べていても良いのかしら。しかるべき場所で、治療を受けた方が良いのではないかしら。
シエル様は、この国の魔法を使える人たちの中では最高峰の地位の、筆頭王宮魔道士である。
怪我や呪いを治すのは治癒魔法だけれど、シエル様ほどの方になれば治癒魔法だってとうぜん使えるだろう。
それでもだめだったのだから、シエル様は私の元に来たのよね。
ルシアンさんが言いふらしている噂に縋って。
でも、実際には私は何もできないし。それなのに、私を責めたりも失望したりもしないで、ご飯を食べようとしてくれている。
「シエル様、私、役立たずでごめんなさい……ずっとそうなのです、レスト神官家に生まれたのに、治癒魔法一つも使えなくて……ご飯、食べてる場合じゃないかもしれないけれど、……その、あの、食べますか?」
「リディアさん。……手伝ってくれますか?」
「は、はい……!」
私は手にしていたお茶セットの乗っているトレイをテーブルに置くと、シエル様の手からナイフとフォークを受け取った。
それから、鬼ヶ島ハンバーグを小さく切って、シエル様の口に運ぶ。
薄い唇が開いて、赤い舌がのぞいている。舌の上にも美しい空色の小さな宝石が輝いている。
なんだか見てはいけないものを見ているような気がした。
「……ん?」
シエル様は、ハンバーグの欠片を咀嚼して飲み込んで、首を傾げた。
「美味しくなかったですか? 口に合わなかったでしょうか……で、でも、シエル様、味がしないのですよね? 目も見えないから……なんだかよくわからなかったですよね。今のはハンバーグです、シエル様、ハンバーグを食べましたよ」
私はシエル様の斜向かいに椅子を持ってきて、座った。
シエル様は一度瞬きをすると、口元に指を当てる。
「リディアさん。柔らかくて、まろやかな肉の味と、甘酸っぱいトマトの味がします」
「味、わかりますか?」
「ええ。……すごいな。一口で、効果が出るものなのか……」
シエル様は思案するように目を伏せると、小さな声でぶつぶつ言った。
それから私に視線を向ける。焦点があっていないように見えた赤い瞳は、きちんと私の瞳を真っ直ぐに見つめている。
「……リディアさん。……あなたは、そんな顔だったのですね。視界がぼんやりしている時も愛らしいと思っていたのですが、……とても、可愛らしいです」
赤い瞳に、熱意のようなものが灯る。
私は全身をびくりと震わせた。
「ひぅ……っ」
「慣れていないのですか、リディアさん。可愛いと言われただけでそんなに顔を赤くしては、この治安のあまり良くない南地区では、すぐに、狼に食べられてしまいますよ」
「だ、大丈夫、大丈夫なので……私の守りは鉄壁です、なんせ鉄の処女ですので……! シエル様、もう見えるんですよね、ご飯、自分で食べてください……!」
シエル様が私の涙の滲んだ目尻を長い指先で拭おうとしてくるので、私は逃げた。
かわいそうって思ったのに、ご飯食べさせてあげたのに。
距離感が、距離感がおかしいのよ……これだから騎士団長とか、魔導師団長は良くないのよ。
「思い出しました……! 神官家の使用人が、騎士団長のルシアンさんに近づいたら妊娠してしまうって言っていて……シエル様もですね、さては……!」
「そのような特殊な力はありませんよ。……ところで、リディアさん。この、現実的なソーセージと、鬼ヶ島ハンバーグの配置、わざとですか」
私を口説いて揶揄うのをやめたらしいシエル様が、急に話題を変えた。
シエル様の視線は、真っ赤なソースのかかったマグマに浮かんだ島みたいな鬼ヶ島ハンバーグと、その上にのせた現実的なソーセージにそそがれている。
「並べたら可愛いって思って……」
「並べるというか、上に乗っていますね」
「両方大きいので、並べるとお皿からはみ出してしまうから、上に乗せたんですが……可愛いと思って」
可愛い、わよね。
可愛いと思うのだけれど。
何か問題があるのかしら……ソーセージと豆の煮込みだって、豆の上にソーセージを乗せるもの。
ソーセージとは上に乗るものなのよ。ハンバーグの上に乗っても、特に問題はないわよね。
「なるほど。……ルシアンはあなたに一体何を教え込んでいるのでしょうね。……毎日足を運んでいるという噂は聞いていましたが」
「と、特に何も教えてもらっていませんよ……ソーセージの大きさは教えてもらいましたけれど……」
「後で、僕も教えてあげますね」
「な、何をですか? シエル様にも理想的なソーセージの大きさがあるのですか? ちょっと大きく作りすぎたでしょうか……確かに大きいから、可愛い女の子は食べにくいかもしれませんけど……」
シエル様は綺麗な所作でハンバーグを切り分けて口に運んだ。
それからソーセージを小さく切りながら食べ終えて、スープと限界油葱ご飯も全部食べてくれた。
私はその間、お茶を淹れたり、それから、自分の分のスープを持ってきて食べたりしていた。
他にお客さんもいないし、手持ち無沙汰だったし。
シエル様が一緒にいてほしいというから、仕方なく。
仕方なく、だけれど。
なんとなく、誰かと一緒にご飯を食べるのは嬉しいような気がした。
「……ごちそうさまでした、リディアさん。どれもとても美味しかったです、ありがとうございます」
シエル様が手を合わせて言った。
そういえばシエル様は、騎士団の方々のように食事のお祈りはしていない。
けれど丁寧に両手を合わせて、私に微笑んでくださる。
まぶしい。目の毒というぐらいに眩しい。
「こんなに美味しい料理を食べたのはいつぶりかな。……ルシアンが毎日通う気持ちも理解できます」
「よ、よかったです……シエル様、味がわかるようになったのですか?」
「やはり、ルシアンの言う通り……あなたの料理には特殊な力があるようですね。解呪の力は、ハンバーグに宿っているようです」
「そ、それは、多分、気のせいなんじゃ……シエル様、呪いとか、かかっていなかったんじゃないかなって……!」
シエル様がパチンと指を弾くと、使い終わった食器やシンクに入りっぱなしだった汚れ物が宙に浮いて、一瞬のうちに綺麗になって、キッチンの作業台へと整然と並んだ。
それからシエル様は私の体を、軽々と抱えた。
荷物みたいに、肩に。
「な、な、何するんです、何するんですか……!?」
「ちょっと一緒にきてください。大丈夫、お金は払います」
「いやぁぁ変態ぃ……っ」
私の抵抗も叫び声も虚しく、私は食堂からシエル様に抱えられて、誘拐されたのだった。