エーリスちゃんとお風呂
浴槽の端に、エーリスちゃんが座っている。
まん丸の瞳で、たっぷり溜められたお湯と、お湯に浸かる私を不思議そうに(そしてちょっと怯えたように)見ている。
大衆食堂ロベリアの二階にある浴室は、一人で入るにはちょっと大きめな贅沢な作りになっている。
丸いタイルが貼ってあって、換気用の窓は大きく開いても、隣の家の壁があるので外から中は見えない。
窓の外に景色があれば良いのだけれど、それは贅沢な話だ。
それにこんなどちらかというと狭い路地に家が密集している場所で、そんな作りになっていたら、外から丸見えということなので、色々良くない。
いつか旅行に行くことなどができたら、景色の良い広いお風呂に入ってみたい。
「レスト神官家のお風呂はもっと大きいんですよ、エーリスちゃん。……大きかった、ような気がします。あんまりよく覚えてないのですけれど……」
水魔石と炎魔石をうまく組み合わせると、お風呂のお湯が良い感じで沸く。
この辺りは魔石風呂工事業者の方々が上手に行ってくれるので仕組みはよくわからないのだけれど、王都のお風呂は最近、昔ながらの薪風呂から、魔石風呂に変わっていっている。
自宅にお風呂のない人方々は共同浴場を使用するのだけれど、マーガレットさんが「若い女が一人で使用するのは危険な場所よ……」と言うので、私は行ったことがない。
「ほら、あわあわですよ、エーリスちゃん。入りましょう、気持ち良いですよ」
お湯の中に入れると泡がもこもこしてくる固形入浴剤を贅沢に使用しているので、私はもこもこの泡に包まれている。
もう髪は洗った後で、タオルキャップをかぶってお湯に浸からないようにしている。
なんだかお風呂、久々に入る。
そんなことはないのだけれど、お城の婚約記念祝賀会でエビフライを作ってから、長い時間が経っているような気がする。
「ぷりん」
エーリスちゃんの意思が固い。
いつも私にくっついているのに、お風呂の時は一定の距離を保っている。
最初にお風呂に入った時、エーリスちゃんは浴室の扉の外から私の様子を伺っていた。
今は浴室の中までついてくるようになったけれど、窓辺にちょこんと座っていたり、バスタブの縁に座っていたり、色々だ。お湯の中には断固として入ってくれない。
「お父さんもお風呂は嫌だっていうし、どうしてなんでしょう。気持ち良いのに」
アルジュナお父さんも長い間ファミーヌに捕まっていてぼろぼろだったから、お風呂入るかなって誘ったんだけれど、「いらない」と言われた。
いらないって、どういうことなのかしら。お風呂はいるとか、いらないとかじゃないと思うのだけど。
「エーリスちゃん、お湯、触ってみましょう」
「ぷりん」
「それは入らず嫌いというものです。入りましょう、エーリスちゃん」
「ぷりん」
エーリスちゃんがふるふる揺れている。
ふるふるぽよんぽよん。
「エーリスちゃんで体を洗ったらすごく気持ちよさそうな予感がします」
「かぼちゃぷりん……」
エーリスちゃんの体をあわあわにして、私の体を洗うことを考えてみる。
それはすごく気持ちよさそう。
エーリスちゃんは眉間に皺を寄せた。眉毛はないけれど、多分眉間に皺を寄せて、しょっぱい顔をした。
私はえいや、と、エーリスちゃんの体を両手で掴んだ。
とぽんと、あわで溢れたお湯の中に入れてみる。
「か、か、かぼ……」
「あったかいですよね、エーリスちゃん」
「かぼちゃ……」
しょっぱい顔をしていたエーリスちゃんが、お湯のあたたかさに気づいたように、目を半分にする。
だらんと体の力を抜いたエーリスちゃんを、私はあわでむにむに洗った。
エーリスちゃんの白い体は汚れているようには見えなかったけれど、洗ってみると、さらに白くなったような気がする。
「それにしてもステファン様、お城に帰らなくて良いんでしょうか……」
お母様とお父様は、レスト神官家に戻って行った。
本当は私を連れて行きたかったようだけれど、そのうち落ち着いたら、顔を見に行ってみようかなと思う。
お父様と母様は、仲良しの新婚時代に離れ離れになったようなものだし、二人きりで話したいことも沢山あるだろうし。
「まぁいいか。私が心配しても仕方ないですよね。それよりもご飯です。お腹空きましたね、エーリスちゃん」
お風呂に入って体の怠さは少しすっきりしたけれど、空腹だ。
よく考えたら昨日から何も食べていない。
私の頬や首に触れて私の体を確認してくれたシエル様には「魔力の使いすぎですね」と言われた。
しばらくお料理はしないように、とも。
今まで私、毎日ご飯を作ってもなんともなかったのに。
シエル様が言うには「今まで堰き止められていた体に凝っていた魔力が体を巡りはじめたばかりで、あれほど広範囲に影響を与える魔法を使用すれば、体の負担になります」ということだった。
「女神様の力というのは、使い放題なのかと思っていました」
と、私が言うと、アルジュナお父さんが短く「その逆だ」と言った。
それから、「しまった。私は人の世界には関わらないのだった。お前たちで考えろ」と言って、調理場の丸椅子の上で丸くなって寝てしまった。
その逆というのは「聖剣の力もそうですが、人の体で使用するのは、恐らくは過ぎたるものなのでしょう。日々の料理程度なら問題ないですが、調理場から材料までを魔力で練り上げるとなると、かなりの魔力を消費します」と、シエル様が説明してくれた。
それからレイル様が「どのみち今日は私たちが料理をしようとしていたんだよ、姫君。姫君はゆっくりお風呂にでも入っておいで」と言った。
そんなわけで、私は今、お言葉に甘えさせてもらっている。
一階の調理場では、シエル様やレイル様、ロクサス様とルシアンさんがお料理をしてくれている。
一度はお城に帰ろうとしていたステファン様は、「今日はもう遅いから、明日にする」と、我が家に残った。
明日、というのは。
今日は泊まっていくということなのかしら。
確かにお部屋はあるけれど、着替えがないわよね。
それに、婚約者でもない男性を一晩自宅に泊めるというのはどうなのかしら。
私も、兵士に捕まりそうになった時に、シエル様の家に逃げ込んで泊まらせてもらったので、人のことは言えないのだけれど。
「かぼちゃぷりん」
「そうですね、そろそろ出ましょうか、エーリスちゃん」
お風呂も貸してあげたほうが良いのかしら。
私は悩みながら、お風呂を出た。
脱衣所に敷かれたふわふわのタオルの上で、エーリスちゃんがぶるぶると体を震わせて、水滴を弾き飛ばした。
私はエーリスちゃんをタオルで包んで、その体をゴシゴシ拭いた。
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