ゼーレ・ベルナールの懊悩
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旧キルシュタイン領と、大神殿。
二つの魔女の娘がらみの事件を終えて、日常は、やや静けさを取り戻していた。
ひとときは、フランソワの我儘に振り回されて毎日のように警護の仕事に駆り出されていた聖騎士団レオンズロアだが、今は日常業務に戻りつつある。
といっても、忙しさについてはあまり変わらない。
基本的にはシフト制で月の休みは七日程度確保されており、それ以外にも自己申告制で休日をとれたりもするが、イレギュラーな仕事が入りがちなのが騎士団というものである。
たとえば、唐突に起こるロザラクリマのせいで増えた魔物の討伐だとか。
たとえば、各地で起こる災害の救援だとか。
このあたりの仕事が入ってくると、休むどころではなくなる。
まさしく昼も夜もない生活、というやつである。
遠征に行けば一か月ほど帰ってこれないこともあるし、人としての最低限の生活さえ困難になることもざらである。
全く何もない日は、城の中にある騎士団の駐屯地で鍛錬をしたり、溜まった書類仕事を行う。
聖騎士団とは、なにものにも縛られない無所属な冒険者とは違う。
魔物討伐一つに関しても、報告書が必要になるのである。
かかった日数や、費用。
新しい装備の補充。備蓄食料の補充。
多人数用浮遊魔石移動装置への魔力の補充。
馬の世話、等々。
これらは別に騎士団長であるルシアンが全部行う必要のある仕事ではないのだが、騎士団に入ってくるような人間は基本的には頭を使うよりも体を使うことのほうが得意な者が多い。
書類仕事を任せると一年かかるのではないかというものもいるし、そもそも、字が読めない者もいたりする。
ゼーレ王の方針で、貴賤を問わずやる気と実力のあるものを受け入れる、ということになっているので、仕方がない。
それに比べて魔導士府に本拠地を置いているセイントワイスなどは、魔導士というのはその性質上頭の良いものが多いので、騎士団は学園ではないのだがな――という、ルシアンの悩みとは縁がなさそうで、若干羨ましい。
とはいえ、だから――長い間、ルシアンの抱えている秘密は、誰にも気づかれなかったのかもしれないが。
自分は、亡国キルシュタインの王家の生き残りである。
気の遠くなるほどの長い間、滅ぼされた国や、殺された者たちのための――いや、己のための復讐心をかかえて生きてきたが、旧キルシュタイン領での事件が終わると共に、その感情も消えた。
それは、全て自分を救おうとしてくれた、リディアのおかげだと、ルシアンは思っている。
ほんの少し前までは、子供だと思っていた少女だ。
今は一人の女性として、ルシアンはリディアを想っている。
だからといって強引に自分の物にしたいとは思わない。
いつかその気持ちが自分に傾いてくれたら良いという、微かな期待のようなものはあるが、たとえそうならなかったとしても、ルシアンの剣はリディアのものであり、その心臓もまた、リディアのものである。
傍にいたい――だが、聖騎士団レオンズロアの騎士団長である以上、自分の立場を疎かにはできない。
騎士団を辞めてしまっても良いが、そんなことはリディアは求めていないだろうし、例えばリディアが自分を選んでくれたとして、無職というのもな――という、現実的な理由もある。
今の立場を失ったとしてもルシアンは生きていく自信があるが、シエルが言っていたように、今の立場があってこそ、リディアを守ることができるというのもまた事実だ。
魔女の娘は――あと二人いる。
そんなことを考えながら、ルシアンは城の奥へとシエルと共に向かっていた。
立場上、シエルと顔を合わせることは多い。
今まではろくに喋らない、何を考えているのか分からない男、という印象だった。
最近ではリディアとやたらと距離が近くリディアから信用されている上に、いつの間にか大衆食堂ロベリアの傍に住居を構えている、強力なライバル、という感じだ。
案外喋る。
リディアの前では。
城の中では今までとあまり変わらない。
必要がなければ口を開くことはないし、誰かと特別親しくしているという印象もない。
セイントワイスの部下たちをのぞいて、ではあるが。
ルシアンの出自は、あの時リディアと共にいたシエルには全て知られている。
そのせいもあってか、以前よりはシエルに気安さを感じていた。
友人ではないが、知り合いではある。
ルシアンは誰とでも気軽に話をするが、深く付き合う相手はいない。
誰とも深く付き合おうとしないシエルは、自分とどこか似ているのだろうなと思う。
「ルシアン・キルクケード、ただいま参りました」
「シエル・ヴァーミリオンです。お呼びですか、陛下」
城の奥の王族の間に、警備兵に立場を確認されてから足を踏み入れて、廊下に並んだ扉の最奥にある、ゼーレが休んでいるという部屋の前で足を止める。
挨拶をすると、扉が内側から開いた。
そこにいたのは、自分たちを呼び出したステファンで、ルシアンとシエルを中に入るようにと促した。
中央にある大きな白いベッドに、ゼーレが横になっている。
病みついてしまってから人前に姿を見せなくなって、久しい。
以前は立派な体躯をした、精悍な王という印象だったが、ベッドで横たわるゼーレは、随分小さく、老け込んで見えた。
「ルシアン、シエル、来たか」
ゼーレはベッドから起き上がる。
その体を、ステファンが支えた。
親子というだけあって、よく似ていると、ルシアンは思う。
ゼーレには子供が三人いる。ステファンと、その妹が二人。
三人目の妹を産んで王妃は亡くなり、その後ゼーレは誰も娶ることもなく、側妃を迎えることもなかった。
ルシアンとシエルは、ゼーレの前に膝をつき、深々と礼をした。
「公式の場ではない。畏まる必要はない。呼び立てて、悪かった」
「ゼーレ王、お体はよろしいのですか?」
「陛下、辛いのなら、横になったままで構いません」
ルシアンが尋ねると、シエルも気遣うように言った。
「いや、もう、良いのだ。元々どこが悪かったというわけではない。医師からは、精神的なものではないかと、言われていた」
「精神……?」
「それは……理由なく、食事をとらなくなる、白月病のように?」
「似ているが、非なるものだ。魔女の娘の呪いを受けていたと、ステファンからは聞いた。それは、欲望や願望を増幅させるもの。私は――長らく、死を望んでいた。白い月に向かい、亡くなった妻と穏やかに暮らしたいと、そればかりを考えていた」
ゼーレの言葉に、ステファンが悲しそうに目を伏せる。
実の父の口から「死にたい」と聞くとは、残酷なことだなと、ルシアンは思う。
ステファンも長らくの夢の中から、目覚めたばかりである。
リディアを虐げ、気に入らない城の者たちを罰し、意見をしてくる貴族を遠ざけた。
長らく行ってきた愚物のような行為をとりかえすには、それ以上の時間がかかるだろう。
全てが魔女の娘の呪いだった――などと言っても、受け入れない者も多い。
リディアはすんなり許していたが、そうではない者のほうが、大多数だろう。
フランソワがステファンとの婚約の祝いの場で異形に姿を変えたのは、僥倖だった。
あの場には貴族たちが多くいた。
実際あれを目にしたものたちは、ステファンの言葉を信じることができるはずだ。
「ルシアン」
「はい」
「お前は、キルシュタインの生き残りだろう。私はお前の顔を一目見たときから、それに気づいていた」
「……陛下」
まさかと思い、ルシアンは目を見開いた。
そんな素振りは、ゼーレは一度も見せなかった。
気づいていたとしたら――自分の命を狙うような男を、傍においていたということなのか。
「キルシュタインの制圧を、私はずっと、後悔していた。私は、幼い王子の目の前で――その母を殺した。それは請われてのことだったが、他にやりようがあったはずだと、ずっと思っていた。……母を殺され震えるお前を、私は救うことができなかった」
ルシアンは何も言えずに、奥歯を噛みしめた。
知られていた。
それに――哀れまれていた。
その事実はルシアンの心に傷をつくったが、致命傷までには至らなかった。
今はもう、ルシアンの中では全て、終わったことだったからだ。
「お前が私の前に現れたとき、お前は私を殺しに来たのだろうと思った。それで良いと思っていた。幼子の前で母を殺した。これほど、罪深いことはない。……けれどお前は、私を殺さなかった」
「……私はもう、昔の名は捨てました。今は聖騎士団レオンズロアの、騎士団長のルシアンです。私に、そう生きる道を与えてくれた、者のおかげで」
「そうか」
ゼーレは深く息をつくと、ルシアンから視線を外して、シエルにその視線を向けた。
「シエル。……お前も、だ。ウィスティリア辺境伯家でお前が受けていた仕打ちを知りながら、私はなにもできなかった」
「それはもう、過去のことです」
「だが、本来なら辺境伯の地位に就くべきだろうお前を、守ることもできず、宝石人だと貶められているお前に私は、何も。全ての生き物は平等である。そんな理想を掲げて――私は、理想を口にするだけで、ただ、無力だ」
「陛下。……だから、生きることを、やめたいと?」
「聖剣をステファンに譲り――それから、私の死への願望は、よりいっそう強くなった。それは魔女の娘の呪いのせいだろうが、元々私が内に秘めた願望だった」
「もう、終わりました。全て。だから、気に病む必要はありません」
「……私の中では終わっていない。……すまなかった、二人とも。懺悔もまた自己満足にしかすぎないのだろうが、お前たちに、謝りたかった」
ルシアンは頷き、シエルは目を伏せた。
謝罪は受け入れるが、ルシアン同様に、シエルの中でもある程度は片付いているのだろう。
それは――リディアがいたからだ。
「私は王位を、ステファンに譲る。……私のことは憎いかもしれないが、どうか、ステファンに力を貸してやって欲しい」
「……不甲斐ない姿ばかりを見せてきた。俺を信用することは、難しいだろう。だが俺には、二人の力が必要だ」
ゼーレの言葉の後に、ステファンが頭を下げる。
ルシアンとシエルは顔を見合わせると、「もちろんです」と、臣下の礼をした。
改めて謝罪をされなくとも、最初からそのつもりでいる。
この国を守ることが――リディアを守ることに繋がるのだから。
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