帰るべき場所
ふと気付いた違和感に、私は顔を上げた。
私のお父様は、おいくつか分からないけれどとても若く見える。
けれど――お母様も、若い。
私の少し年上ぐらいに見えるのだけれど、それにしても若い。
「……お母様、無事で、良かったです。私を守ってくれて、ありがとうございました」
私はぎゅうぎゅうと私を抱きしめてくるお父様の腕から逃れて、お母様と向き直った。
お母様は嬉しそうに目に涙を浮かべて、微笑んでいる。
やっぱり凄く若い。
ステファン様と同じぐらいの年齢に見える。
「あの、お母様……」
「リディア?」
「お母様、凄く若くないですか……!」
これは聞いて良いのかしら、駄目なのかしら。
ちょっと悩んだのだけれど、すごく気になる。
私は今、十八歳。お母様が二十歳前後とか、ありえない話なのだけれど。
お父様はものすごく若く見えるけれど、お母様もそうなのかしら。顔、覚えていないから良く分からない。
私は戸惑った表情でお父様を見た。
お父様がすごく狼狽えた。
「違うぞ、リディア……! お父様は犯罪者ではない」
「犯罪者とは言っていませんけれど」
「見た目の話? そうよね、疑問に思うのが普通よね」
お母様は自分の体を確認するように、視線を落とした。
「私も驚いたのだけれど……リディアを産んで、私はすぐにファミーヌに攫われてね」
「はい。マーガレットさんやお父様から聞いています。お母様、マーガレットさんの予言を聞いて、アルジュナお父さんに頼んで、私の力を隠してくれたのですよね。それから、いなくなったって……」
「マーガレット……マクベスのことね? 彼は元気かしら。あの頃は、驚くほどの美少年だったけれど、今はもう大人になっているわよね」
「マーガレットさんは元気ですよ」
「そう、良かった。……私がファミーヌに食べられたのは、私が二十歳の時だったかしら。あれから十八年経っているのね。まるで、夢みたいだわ」
ティアンサお母様は、軽く首を傾げる。
「ファミーヌの体内に取り込まれて……それからの記憶は、ないのだけれど。気づいたら私は、私が最後を迎えた場所……娼館街にあるイブリースの最上階に、他の女性たちと一緒に倒れていてね」
私は、ファミーヌの記憶を思い出した。
ファミーヌは、子供を愛している母親は殺さないと言っていた。
誰かに愛されたかったファミーヌは、愛情に対して強い憧れを抱いているみたいだった。
誰かを守ろうとしたり、誰かを愛している者は――殺さなかったのではないかしら。
私は胸をおさえた。
胸の狭間に居るエーリスちゃんがぎゅむっと潰れて「ぷりん」と言った。
「どういうわけか、私の時は、その時から止まっていたみたいなの」
不思議そうにお母様が言う。
いつの間にかステファン様の腕に抱っこされているアルジュナお父さんが、小さな鼻の下にたぶんあるのだろう、もふもふの毛に隠れて良く見えない口を開く。
「コールドスリープ。仮死状態とも言うが、ファミーヌの体内で、君は冷凍保存されていたような状態だったのだろう」
「鮪みたいに」
「そう、鮪のように。鮪とは何だ、リディア」
「お魚です、美味しいです。つまり、お母様は……二十歳!」
「そうなの」
「そのようだな。幾つになっても君は可憐なままだとは思うが、結婚したての頃の、私のティアンサのままの姿だ……」
お父様が嬉しそう。
「フェル様、もう一度会えて嬉しい。フェル様は、十八年経ってもあまり変わっていないのね。それどころか、男らしさが増して、素敵……!」
お母様も嬉しそう。
両手を握りあったあと、二人はひしっと抱き合った。道の真ん中で。
「……両親のいちゃいちゃを見せられている子供というのは、こういう気持ちなのね……」
私は小さな声で呟いた。
嬉しいのだけれど、すごく恥ずかしい。あと、なんだかちょっといたたまれない。
「神官長様、……それから、リディア様。ご迷惑を、おかけしました。本来なら私など、こうして神官長様やリディア様に話しかけることなど、してはいけない身分の者なのに」
遠慮がちに、私たちにソワレお義理母様が話しかけてくれる。
フランソワと同じように、美しい方だ。
妖艶な美女で、怖い人という印象だったけれど、今はどこか疲れた様子で、体にぴったりくっついているフランソワの体を、優しく支えている。
「フランソワと共に、しばらくは診療所でお世話になろうと思います。その後のことは、私は仕事を持ちませんし、この子にどうしてあげたら良いか分かりませんが、……犯した罪は、罪。償いながら生きていこうと思います」
「お姉様……」
「フランソワ。リディア様とあなたは身分が違う。そんな風に呼んではいけない」
「はい、お母様……」
「フランソワちゃん……」
フランソワが、寂しそうに頷いた。
私はお父様を見上げる。操られていたとはいえ、十年以上ずっと家族だったのに。
全てが終わったらそれも終わりなんて、――なんだか、とても、悲しい。
「ソワレ、フランソワ。しばらくは診療所でゆっくり休みなさい。ファミーヌによって時間を失っていた者たちは多い。その後の支援は、ゼーレ王やステファン様と相談して、決めようと考えている。悪いようにはしない」
「ですが、私もフランソワも、リディア様の本来得られただろう愛情を、神官長様から奪いました」
「それは私に責がある。私はこれから長い時間をかけて、リディアやティアンサとの時間を取り戻そうと考えている。君も、フランソワとの時間を大切に」
「私のことは気にしないでください。私、色々あったけれど、今の生活、好きです。辛いことや苦しいことがあったから、今の私があるんだと、思います」
ソワレ様は、悪くない。
フランソワだって、悪くない。
ファミーヌも――悪いことはしたけれど、必死だった。
「フランソワちゃんは、私の妹です。どこでなにをしていても、離れてしまっても、ずっと」
「お姉様……お姉様、好き……」
「私も好きですよ、フランソワちゃん」
「ありがとう、お姉様。私、お姉様のそばにいられるように、頑張る」
フランソワはごしごしと、涙を擦った。
フランソワとソワレ様が、神官の方々に連れられて、療養所へ向かって歩いていく。
それを見送っていた私に、お父様が口を開いた。
「リディアも、私たちと共に、レスト神官家へ帰ろう。もう不自由な思いはさせない。殿下も城に戻らなくてはいけません。まだ、街の混乱は収まっていないのですから」
「あぁ、そうだな。……リディアを一人にはしたくない。レスト神官家に戻ると言うのなら、俺も城に戻ろう。父上のことが気がかりだ」
「リディア、帰りましょう。私、あなたの話が聞きたいわ。私がいない間、なにがあったのか、どれほど、辛い思いをしたのか」
「私は……」
お母様やステファン様にも言われて、私は眉を寄せた。
私も――帰らないと。
レスト神官家には、お父様とお母様。私の家族がいる。
「姫君!」
落ちていく夕日を背にして、こちらに向かって走ってくる軽快な足音が聞こえる。
大きく手を振っているのは、狐のお面を頭につけた、勇者様。
「姫君、もう目覚めたのだね。良かった。マーガレットから、眠ったまま起きないと聞いて、心配していたよ」
駆けてくるレイル様の後に、「走るな、兄上。魔力が空だろう」と注意をしているロクサス様。
それから、食材の入った袋を沢山抱えたルシアンさんと、シエル様。
「リディア、無事か。……良かった」
「リディア、すまなかった。役割を優先して、君の傍にいることができなかった。……こんなことなら、レオンズロアなど辞めても良いな」
「それは僕も同感ですね。けれど、セイントワイスという立場があればこそ、リディアさんを守ることができる――とも考えます。難しいところです」
「姫君、沢山魔力を使って皆のために料理をしてくれたから、とても疲れただろう。今日は私たちが姫君にごちそうしようと思って、食材を大量に買ってきたのだよ」
「そのせいで、遅れた」
「ロクサス様には包丁を触らせないから、安心をしてくれ」
「リディアさん、体は大丈夫ですか。魔力枯渇の症状がないか、調べましょう」
「皆、シエルが役得を味わおうとしているよ!」
「前々から思っていたのだが、お前のそれは、計算なのか?」
「私の経験上、いつも笑顔の男ほど信用できないものはない」
私は――。
「お父様、ごめんなさい。私、食堂にいたい。……ここが私の、居場所だと思うから」
私は、お父様とお母様に向かって、ぺこりと頭を下げる。
お父様とお母様は顔を見合わせて、ステファン様は――寂しそうな笑顔を浮かべた。
ステファン様は寂しそうだけれど、やっぱり私は、元のリディア・レストには、戻れない。
食堂の料理人リディアが、今の私。
私に向かって勢いよく走ってきたレイル様が、私の体を抱きしめた。
再びぎゅむっと潰されたエーリスちゃんが「ぷりん」と、抗議の声をあげた。
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