ティアンサ・レストの帰還
昨日――大神殿がファミーヌによって壊された時、空は燃えるような真っ赤な夕焼けに支配されていた。
私は丸一日眠っていたいうのは本当らしく、大衆食堂ロベリアの外に出ると、やっぱり空は夕焼けのままだった。
「お姉様、お洋服、私とお揃い」
「フランソワちゃん、良く似合っていますよ」
「お揃い、嬉しい」
フランソワが私の腕にくっついてにこにこしている。
昨日のお洋服のままベッドに寝かされていたフランソワと私は、クローゼットから新しいお洋服を出して、着替えていた。
ステファン様は申し訳なさそうに「服が汚れていることは理解していたが、脱がせることはできなくてな」と言っていて、フランソワが「それは、下心がある証拠」と、半眼でステファン様を睨んでいた。
フランソワとステファン様の関係は複雑すぎて、私には良く分からない。
口を出して良いものかどうかも。
とりあえず喧嘩して欲しくはないので「フランソワちゃん、仲良く」と言うと、フランソワは「はい!」と、良い笑顔で返事をしてくれた。
私にだけ懐いている野良猫みたいで可愛いのだけれど、できればみんなと仲良くして欲しい。
蟠りをすぐに解いてというのは、難しいのだろうけれど。
「お風呂に入りたい、お姉様……でも、お母様たちが、生きているって……だとしたら、会いたい」
「そうですね、フランソワちゃん。私も、お母様に会いたいです」
ステファン様は急ぐことはないと言っていたけれど、やっぱりじっとしてなんていられない。
それに、みんながまだ働いているのに、私だけ眠っているというのは、違う気がする。
私は役に立ちたい。
できることがあれば、手伝いたい。
「怪我人や、ファミーヌに食べられていたと思しき者たちは、大神殿の横にある診療所で、神官たちが治療にあたっている。ティアンサ様や、ソワレさんはそこにいる。星読みの神官マクベス……マーガレットが、教えに来てくれた」
「まくべす……」
「マクベス・フォーレンハイト。王家の記録に残っている。若き父上を導いてくれたという、星読みの神官の名前。今は神官たちと共に、怪我人の治療や看病を手伝っている筈だ」
私の横をゆっくり歩きながら、ステファン様が言う。
マーガレットさん。
マクベスさん。
別の人みたいだ。名前が違うだけなのに、私の知らない誰かのように感じられる。
けれど――マーガレットさんは、私を心配して、私を見守ってくれていた、大家さん。
私にとっては、それだけで十分。
橙色の柔らかい光に照らされて、私とステファン様、フランソワと、私の足元をちょこちょこ歩いているアルジュナお父さん、私の頭の上に乗っているエーリスちゃんの影が、長く伸びている。
「ふふ……」
「リディア、何か嬉しいことが?」
「昔、ステファン様が絵本を読んでくれました。そこに出てくる幸せな家族は、海の見える丘に住んでいて、夫婦と、子供たちと、犬がいるんです。似ているなって、思って」
「……そうか」
幸せな家族は、犬を飼っている。
アルジュナお父さんが「犬ではない。私がお父さんだ」と、厳かな声で言った。
「お姉様……私は、子供……?」
「フランソワちゃんは妹です。私の、妹」
「でも、お姉様、私……お姉様と血が、繋がってない。誰が父親かも、わからない」
「そんなことは、もう良いんです。フランソワちゃんは妹です。ステファン様は、お兄様みたいですね」
「…………お兄様」
ステファン様が小さな声で繰り返す。
フランソワはステファン様を私の腕にくっついたまま覗き込むようにして睨みつけた。
「お兄様と呼ばれて喜ぶ、浮気王子」
「その浮気王子というのは、言いがかりだろう。俺は浮気などしていない」
「私に、愛を囁いた」
「君が俺を操っていたんだろう」
「私、知っている。愛の力があれば、操られない」
「……それを言われると、痛い」
ステファン様が胸をおさえて、眉を寄せた。
私はステファン様とフランソワに挟まれて、どうして良いか分からずに口をつぐんだ。
仲良くして欲しい。
でもまだ、時間がかかるかもしれない。
「かぼちゃ……」
「エーリスちゃんも私の大切な家族ですよ」
「かぼちゃぷりん!」
寂しそうな声にはっとして、頭の上のエーリスちゃんに声をかける。
エーリスちゃんは嬉しそうに羽をぱたぱたさせると、私の胸元にもぐりこんでくる。
「もう、全部終わったんですから、喧嘩しないでください。ステファン様もフランソワも、一度は、なんというか、その、愛しあっていたわけですし……」
「お姉様。それは、勘違い。私は男は嫌い」
「リディア、それは違う。フランソワ……いや、ファミーヌに支配を受けていた時の俺は、俺ではない。……君には、酷い姿を見せてしまったとは思うが……」
「そ、そうですよね……」
私はしゅんとした。
そうよね。それはそうよね。間違ったことを言ってしまったみたいだ。
喧嘩して欲しくなかっただけなのだけれど。
「お姉様、ごめんなさい。浮気王子だけれど、浮気王子とは呼ばないようにする」
「リディア、すまない。気を使わせてしまって」
「い、いえ、あの、良いんです、大丈夫」
そのうち、皆で仲良くすることができるのかしら。
でも――立場を考えれば、ステファン様は王太子殿下だし、私は今はロベリアの料理人で、フランソワもお父様とは血がつながっていない。
ファミーヌのことが全て片付けば、もう会うこともないかもしれない。
それとも私は、レスト神官家の娘に、戻るのだろうか。
私は――どうしたいんだろう。
「リディア!」
夕焼けの差し込む道の先に、人影がある。
それは、お父様と、お父様に寄り添う――私とよく似た、若い女性の姿。
それから、神官の方に支えられるように歩いている、ソワレ様の姿。
「お母様!」
「おかあさま……!」
私とフランソワは、ほぼ同時に走り出していた。
夕暮れの街に、星が輝き始める。
私を抱きしめたティアンサお母様の優しい温もりと、陽だまりの中でお昼寝をしているような、良い香り。
お父様が私たちに覆いかぶさるようにして、抱きしめてくれる。
フランソワの、大きな泣き声が聞こえる。
ソワレ様の啜り泣きも。
私の瞳からも大粒の涙がぼろぼろ落ちて、お母様のお洋服を汚した。
顔も、思い出せなかったけれど。
お母様の香りがする。
「リディア……大きくなったのね。良かった。あなたが、こうして、生きていてくれて」
嫋やかな手が、髪を撫でる。
私はお母様の腕に抱かれて目を閉じた。
今はまだ、何も、考えなくても良い気がした。
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