表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

113/296

深い眠りと王子様



 ――金に目が眩んだ男によって、人魚は見世物小屋へと売られてしまったのです。


 中低音の優しい声が、東屋に響いている。

 中庭には様々な花が咲き乱れている。

 ネモフィラ、クレマチス、ラベンダー、薔薇。

 青と白の花が多いのは、王妃様が好きな花なのだという。


「どうして、ひどいことをするのですか?」


「どうして。……そうだな、男は金が欲しかったのかもしれない」


「お金は人魚よりも大切なのですか?」


「愛より金を求めるものがいないわけじゃない」


 ステファン様は私よりもずっと大人。

 何でも知っている。

 私は感心しながら、うん、と、頷いた。


「人魚はくるひもくるひも、狭い水槽の中で見世物になりました。自由はありません。どこにも逃げることができません」


 ステファン様の膝の上には、絵と文字の書かれた、絵本がおかれている。

 それは、子供向けの本だ。

 私は静かに、ステファン様の声を聞いていた。

 お城に来るときだけは、綺麗なドレスを着せてもらえる。

 お城からレスト神官家に帰るまでの短い時間、私は牢獄から外に出ることができる。

 人魚は、それができない。

 ひとりぼっちで、閉じ込められるのは、とても辛いだろう。


「海に帰りたいと、人魚は思いました。素敵な恋や、あたたかい愛情、煌びやかな、人の世界。そんなものはもういらない。暗く深い海の底に、自由なあの場所に、かえりたい」


「……恋や、愛情は、いらないのですか?」


「自分を愛してくれていると思っていた男に裏切られて、絶望してしまったのだろう」


「絶望……」


「魚と人間、二つがあわさった体の人魚を見て、ある者はおそれ、ある者は馬鹿にし、ある者は化け物だと言って水槽に石を投げました」


 人魚というのは、美しいものなのではないかしら。

 美しいのに、形が違うから――人間ではないから、罵られる。

 それはとても、かなしい。


「人魚は、水槽の水がだんだん黒く濁っていくことに気づきました。まるで、人魚の心のように。やがて、嵐が起こりました。嵐でおきた大水が街を飲み込んで、街は滅びてしまいました」


「滅んでしまったのですか? 人魚は、どうなったのですか……?」


「この話は、ここで終わり。人魚がどうなったのかは書いていないが、きっと、嵐で起こった大水と共に、海にかえることができたのだろう」


「そうですか……良かった。でも……それでは、街の人々が……」


 じわじわと、涙が滲む。

 人魚もかわいそうだけれど、街にも沢山の人がいたはずだ。

 人魚を笑いに来なかった人だって、沢山。

 それなのに、街は、滅んでしまった。


「リディア、君は、泣き虫になったな」


「それは、悲しいお話です」


「そうだな。悲しい話を選んできた。だが、腹が立たないか? 全ては人魚を裏切った、男のせいだろう」


「腹が立つ……」


 ステファン様はぱたんと本を閉じると、東屋の長椅子の上に置いた。

 私の目尻を指先で拭って、小さな子供にするみたいに、髪を撫でてくれる。


「男は人魚に愛を囁き、自分の手元に置いた。だが、金に目が眩んで、人魚を売った」


「……でも、お金に困っていたのかもしれません」


「金に困っていたら、愛する者を売って良いのか?」


「何か、事情があったのかも……」


「それで、人魚が苦しんだとしても?」


「……人魚も、可哀想です。でも、街を滅ぼしたのは、やりすぎな気もします……ステファン様、難しいです、私、誰に怒ったら良いのか……」


 困り果ててステファン様を見上げると、ステファン様は軽く首を傾げた。


「この話の場合は、人魚を裏切った男や、見世物屋の主人、それから人魚を嘲笑った者たちに怒るのが、正しいのだと思うが……困らせてしまったのなら、すまない。今度は別の、楽しい話を読もうか」


「はい……! 楽しいお話は、好きです」


 私はほっとしながら、ステファン様に微笑んだ。

 ステファン様は私に、かなしいや、はらだたしいや、嬉しいや、楽しいを、教えてくれようとしている。

 新しい本の頁を、ステファン様の指が捲る音を聞きながら、私は人魚について考えていた。

 きっと、悲しかったのだろう。

 ひとりぼっちは、かなしい。

 閉じ込められるのは、苦しい。

 裏切られてしまえば、憎しみも、あるかもしれない。


(誰かが、人魚を助けてあげたらよかったのに)


 誰でも良い。優しい誰かが、人魚を水槽から連れ出して、広い海へとかえしてあげたら良かったのだ。

 けれど、人魚にそんな人は現れなかった。

 私が本の中に入って、人魚を連れ出して、一緒に逃げることができれば良いのに。

 そうしたらきっと、悲しい結末には、ならなかっただろう。


「……ん」


 長い夢を見ていたような気がした。

 ファミーヌの記憶。

 シルフィーナの記憶。

 それから私の記憶。


「……リディア、良かった」


 ここはどこだろう。

 ふわふわして、温かい。

 声に視線を巡らせると、ステファン様と目が合った。

 掛け布団の下で、ぎゅっと手が握られている。

 ここは私のお店の二階にある、私のベッド。

 ステファン様はベッドの横に持ってきた椅子に座っている。


「ステファン様……私、どれぐらい、眠っていましたか……?」


「丸一日」


「みんなは……!」


 私はかばっと起き上がる。

 頭が少し痛い。体が重たい。こんなこと、今までなかったのに。

 私ががばっと起きたせいで、私の上に乗っていたらしいエーリスちゃんが、ベッドの上にぽよんと落ちた。

 体をふるふるさせながら「ぷりん……」と小さな声で呟く。寝言らしい。

 枕元では、アルジュナお父さんが丸まって眠っている。

 そして、二つある隣のベッドでは、フランソワが健やかな寝息をたてている。


「大丈夫だ、リディア。フランソワも俺と共に起きていたが、長い間魔物による支配を受けていたせいだろう、途中で倒れるように眠ってしまった」


「フランソワちゃん……」


 ただ、眠っているだけなら、良かった。


「ファミーヌの消滅と共に、皆の支配がとけて、街の騒ぎはおさまったようだ。今は、シエルやルシアン、神殿の者たちが中心となって、傷の治療や建物の修復にあたっている」


「みんなは、怪我は……?」


「問題ないようだ。リディア、心配せず、ゆっくり眠っていて良い。元気になったら、共に行こうか。きっと、嬉しい知らせが待っている」


「嬉しいお知らせ……」


 少しすると頭痛がおさまってくる。

 私はもう大丈夫。たくさん寝たし、割と元気だ。

 少し怠いけれど、ご飯を食べればもっと元気になる筈。


「リディア、無理はするな。急いで向かったとしても、きっとまだ、眠っている。……ファミーヌの消滅とともに、ティアンサ様や、フランソワの母、それから、ファミーヌに食われていたと思われる者たちが、戻ったようだ」


「お母様……!」


 私はベッドから、転がるようにして立ちあがった。

 慌てたせいで本当に転がりそうになった私を、ステファン様が抱きとめてくれる。

 私はステファン様の体にぎゅっと抱きついた。

 なんだか無性に、甘えたい気持ちだった。

 ステファン様、お兄様みたいだ。甘えることができていた、ほんの短い間が、とても懐かしい。


「リディア……?」


「お母様のところに、いきたいです、ステファン様……シエル様たちや、お父様のことも、心配です」


「あ、あぁ、そうだな。……行こうか」


 ステファン様が私の体を力強く抱きしめ返してくれる。

 フランソワが眠っている筈のベッドから「浮気王子……お姉様に触れないで、不埒……」と、怒りに満ちた声が聞こえた。


 

お読みくださりありがとうございました!

評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 最後ー! いや、言っていいはずなんだけど言えてしまうことこすごいというか! くすっと笑ってしまいました
[良い点] 母や義母が生きてた! 丸呑み!? ピノ▽オの鯨!? [気になる点] シエル様“達”(´-ω-`) 現状確実に負けてるぞ、ルシアンさん、ロクサス様。 [一言] >浮気王子 確かにそう。 だけ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ