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ファミーヌの記憶




 ファミーヌは小さな口で、もくもくとタルトタタンの林檎を食べた。

 ぼんやりとしていた瞳が焦点を結び、私を見つめる。


「……タルトタタン」


「タルトタタンですよ、ファミーヌ。美味しいですか……? たくさんありますから、たくさん食べてくださいね」


「かぼちゃぷりん!」


「林檎、美味しい」


 エーリスちゃんとフランソワが、残ったタルトタタンをぱくぱく食べている。

 ステファン様は真剣な表情で、私とファミーヌを見つめている。

 ファミーヌが口を開けるので、私はその口にタルトタタンをそっと入れた。

 タルトタタンが一切れ、あっという間になくなった。

 ファミーヌは、赤く輝く瞳を一度瞬きして、それからふわりと浮き上がった。


「リディア、こちらに」


 ステファン様が私を守ろうとしてくれる。

 私は大丈夫だと首を振って、ファミーヌに向かって両手を広げた。

 半分ぐらい金色の猫の姿になったファミーヌが、私の両手の中で丸くなる。

 ざらざらの舌が、私の頬をちろりと舐めた。

 それから、ファミーヌの姿はきらきら輝く粒子となって、どこかに消えていく。

 私は、目を閉じて自分の体を抱きしめる。

 ファミーヌは、私の――中に。

 寂しい気持ちが、胸に一杯広がった。


『タルトタタン……美味しかったわ。とても優しい味がした。あなたと同じ、優しい味』


 艶のあるやや気怠げな声が、頭の中に響く。

 閉じた瞼の裏側に、景色が広がっていく。


 ――お母様は、私だけは、愛してくれている。


 赤く広がる牢獄の中で、失敗作のエーリスの次にうみだされた私は、自分の姿を見て得意気にそう思った。

 私は――私は、ファミーヌ。

 飢餓を司る、魔女の娘。

 シルフィーナお母様の二番目の娘。


『でも、それは、私の勘違いだった』


 苦しい、痛い、辛い、悲しい。

 シルフィーナお母様から流れ込んでくる感情が、私の全て。

 羨ましい、羨ましい。

 聖女が、羨ましい。恋しい、愛しい、悲しい。宝石人が――私の子供が、恋しい。

 お母様は宝石人のことだけを、愛している。

 私も、頑張れば。頑張ったら、お母様は私を見てくれるかもしれない。

 私を、愛してくれるかもしれない。


 ふと気づくと、私は月の赤い牢獄ではない薄汚れた湿った匂いのする場所に倒れていた。

 鈍い痛みと、体が壁に叩きつけられる衝撃に目を見開くと、そこには、男、がいた。


「餌を探しにきたのか、野良猫。ここにはお前の食うものはねぇよ。みすぼらしい、汚ぇ猫だな。消え失せろ」


 男は私を蹴り、私を壁に叩きつけ、私を、踏みにじった。


「私は……私は、美しい、誰よりも美しい、お母様の娘……!」


 私は私を踏みにじる男の喉笛に齧り付いた。

 餓えが、満たされていく。けれど、まだ足りない。私はお母様の望みを果たす。お母様に認めて貰って、私は愛されなくてはいけない。

 愛されたい。

 私は、聖女に成り代わる。お母様を捨てた男を手に入れて、私が、聖女に。


「……足りない、足りない、まだ、足りない」


 私は人の姿になった。

 薄暗い路地裏から出るとそこは、夜なのに輝いている街だった。

 輝く街の建物の窓硝子に映った私は、お母様と同じ姿をしていた。

 力を、得なくては。この世界のことを、知らなくては。

 人間とは凶暴で、凶悪で、最低な生きものだから、慎重に動かなくては。

 私はその街にある一番大きな建物の中に入り込んだ。

 美しい建物の中は美しい場所なのかと思ったけれど、そこは――欲望と、悲しみに満ちていた。


(男は、女を裏切る。その言葉は嘘。一夜の嘘。ここは牢獄、誰も助けになどこない)


 高級娼館イブリースの最上階で、私は、人間について学んだ。

 悲しみと憎しみ、嫉妬と悲哀に満ちたその場所で、私は――自分のやるべきことを、探した。

 ここにくる人間が、全て教えてくれる。

 王家のこと、レスト神官家のこと。聖女の話、魔女の話。

 それは私の知っているシルフィーナお母様の記憶とはまるで違うものだった。

 けれど、私が聖女になれば――お母様の娘の私が聖女になれば、きっとお母様は誇らしいだろう。

 そうすればきっと、あの苦しみばかりの牢獄から、シルフィーナお母様を救ってさしあげることができる。


「私がお母様の代わりに、全てを手に入れる。待っていて、お母様」


 赤い月では、時間の感覚がない。

 気づけばかなりの歳月が、私が地上に降りてから経っていたようだけれど、失敗などはしたくなかった。

 私は四姉妹の中で一番優秀でなくてはいけない。

 そうしないと、お母様に愛して貰えない。

 やがて、レスト神官家に娘が生まれたと、私の元に訪れた誰かが言った。

 その娘は、聖女なのかもしれない。

 けれど、赤子は喋ることができない。母であれば、知っているだろう。

 そう思い母を攫った。けれど、聖女の母は何も喋らなかった。

 それならば記憶を見ようと、食べてみたのだけれど、女の心は閉じていて、記憶を見ることはできなかった。

 そんなことができるのかと――私は感心した。

 だから、溶かしてしまうのをやめた。子供を愛している母親を、私は殺さない。

 次に私の元に現れたのは、食べた女の夫だった。

 神官長と名乗る男は強かったけれど、私にはかなわなかった。

 男も聖女については何も知らず、私は、私の支配下に置いたイブリースで私の次に美しいと言われていた女を、男と番わせることにした。

 レスト神官家に入り込んで、聖女について調べるように。その力を手に入れるように、と。


(でも、なにもかも、うまくいかなかった)


 皆が皆、愛するものを守ろうとした。

 私を守ってくれるものはいない。私は誰も信用できない。だれも、私を愛さない。

 愛されたいのに。私は、愛されたい。

 誰かに。誰かに――シルフィーナお母様に。


「……リディア。あなただけが、私に、愛のこもった料理を作ってくれた」


「……ファミーヌさん」


 どことなく投げやりで、どことなく悲しげで、どことなく、気怠げで。

 けれど、悲しみに満ちた声だった。


「私の記憶を、見せてあげる。お母様に何がおこったのか、あなたは知る必要がある」


 再び意識がぼやける。

 そこは――庭園のような場所だった。

 花の咲き乱れる美しい庭園で、ステファン様に似た男性――テオバルト様と、黒い嫋やかな髪を持つ女性が、仲睦まじく語り合っている。

 私はその姿を遠くから見つめていた。

 ほんの少し前まで、私の世界は美しく輝いていた。

 そこには愛が溢れていて、私は幸せだった。

 けれどいつまでも続くと思っていた幸福は、あっさり打ち砕かれてしまった。

 女神が現れたのだ。

 女神アレクサンドリア。

 白い月から落ちてきて、テオバルト様の心を奪った。

 テオバルト様は私のことなど忘れてしまったかのように、女神に夢中になった。


「女神アレクサンドリアは、この国に平和と安寧をもたらしてくれるとても大切な方だ。大事にしなくてはいけない」


 テオバルト様は私に諭すようにそう言った。

 そして――そのうち、私に見向きもしなくなり、今はもう、アレクサンドリアのことしか見ていない。

 羨ましい。

 女神というだけで、皆を癒すという不思議な力があるというだけで、テオバルト様の心を奪ったアレクサンドリアが羨ましい。

 憎い。

 悲しい。

 私は――消えてしまいたい。

 けれどそれは、できない。

 だって私には――。


「リディア……!」


 私を呼ぶ声が聞こえる。

 私は、ロベリアの調理場の床で、ステファン様に抱えられている。


「ステファン様……」


 悲しくて、悲しくて、涙が零れた。

 そして私の意識は、深い眠りの底へと沈んでいった。

 遠くでフランソワやエーリスちゃん、ステファン様の私を呼ぶ声が聞こえた。


お読みくださりありがとうございました!

評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります!よろしくお願いします!

連日更新していましたがちょっと忙しくなってきたので、日曜日はお休みにしようかなと思います。


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― 新着の感想 ―
[一言] 何て悲しい。 人の心を大切にしない者が悲劇を生む。 悲劇は連鎖する。 みんなが幸せになるといいのに。ですよね。 またの更新お待ちしています。健康第一。です。
[良い点] こう見ると本当に相手の不幸や幸せは自分の幸せや不幸と表裏一体ですね 更に言うなら、テオパルドの建前か本音かはわからない女神と築くマクロな人社会全体の幸せは、シルフィーナの求めてたであろうミ…
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