老けるファミーヌ
ステファン様は玉座から降りると、私を庇うようにして前に出る。
ファミーヌの放った黄金の矢が、風を切り私に向かって、飛んだ。
私はぎゅっと目を閉じる。
矢は私を貫かず、ステファン様が手の中に出現させた聖剣が、金色の光を纏って襲来する矢を叩き落とした。
「約束通り、お前の時間を奪ってやろう。──枯れ枝のように成り果てろ」
ロクサス様の魔法が、私のお母様の姿をしたファミーヌの姿を変えていく。
ファミーヌの姿が、お母様の姿から、フランソワの母親であるソワレ様の姿、それから、さまざまな女性の姿へと変わっていき、そうして最後は金色の髪をした、赤い瞳の美女になる。
女性の体から瑞々しさが失われていき、まるで枯れ枝のように変化していく。
「私の、私の美貌が、私の美しさが、許さない、許さない、許さない……!」
ファミーヌは激しく身を捩る。
シエル様の魔法の拘束から逃れるようにしてじたじたと暴れる。
ファミーヌの周囲にいる人々が、怯えた顔でファミーヌから離れていく。
「人間のくせに、人間たちが寄ってたかって、お母様から全てを奪ったアレクサンドリアを、その娘を守るなんて……!」
「女神アレクサンドリアの力があろうがなかろうが、リディアは、リディアだ。心優しく、健気で、泣き虫だった──俺の大切な、婚約者だ」
ステファン様の声が、静かに響く。
私を庇うようにして抱きしめるステファン様の腕を、私はぎゅっと掴んだ。
そうだったわね──ステファン様は、私が、魔力のない落ちこぼれだった時から、私を、大切にしてくれた。
私のために怒ってくれて、私に、感情を教えてくれた。
懐かしくて、切なくて、胸が苦しい。
お父様も、フランソワも、ステファン様も、ファミーヌに時間を奪われて、大切な何かを奪われた。
それなら、ファミーヌは……?
どうして、誰かの日常を、奪おうとするのだろう。
それが、魔女シルフィーナの、望みだから?
「うるさい、うるさい、うるさい……愛なんて、幻想、そこには欲望があるだけ……男は裏切る。支配すれば、誰も私を裏切らない!」
ファミーヌの体が、大きく膨らんでいく。
枯れ枝のように変化していた体から、甲殻類のような足が生える。
その胴体がぼこぼこと変化して、巨大な蜘蛛へと変わっていく。
ファミーヌの周りにいる人々の姿も、神殿に取り付いていた巨大な蜘蛛へと──。
「駄目……!」
このままでは、キルシュタインの時と同じになってしまう。
礼拝に来ていたのだろう幼い子供を連れたお母さんが、子供を抱きしめている。
幼い少女の腕が、足が、その顔が、赤い目をした蜘蛛へと変化して、それでもお母さんは、子供を抱きしめ続けている。
悲鳴や、泣き声が、助けを求める声が、大神殿前の広場に満ちる。
「お願い……女神様、みんなを助けたい……!」
誰も苦しまない世界なんて、そんなものはないのだろうけれど。
悩んだり、苦しんだり、それから、疲れたり、いろいろなことが嫌になったり。
みんな、いろんなものを抱えて生きている。
それでも、誰かを愛したり、大切にしたり、抱きしめ合ったり、手を繋いだり。
苦しいことと同じぐらいに、楽しいことがあって。
美味しいご飯を食べて、眠って、起きて、それだけでも十分だって、思う。
誰かの日常を、奪うなんて──嫌。
美味しいものを食べて、笑っていてほしい。愛がどんなものかとか、恋がどんなものかとか。
そんなことを考えなくても、人は誰かに、優しくできる。
だってステファン様は、何もなかった私に、何一つなかった私に、優しかった。
「リディア!」
ルシアンさんが私の前に飛び出して、私に向かって放たれる矢のような糸の雨を断ち切った。
ステファン様が私に覆いかぶさるようにして、私の体を庇ってくれる。
祈るように両手を胸の前で組むと、空からしゃけおにぎりとてんむすが、ころころ降ってくる。
しゃけおにぎりとてんむすが、蜘蛛に変化していく皆のもとに届いた。
おにぎりが体にぶつかり、蜘蛛にされた人々の、大きな口の中へと落ちる。
途中まで、蜘蛛に変化した子供も、お母さんにおにぎりを食べさせてもらって、元の姿に戻っていく。
街にはおにぎりの雨が降って、ころころと、地面を転がったおにぎりは、役目を果たしたとでもいうように、地面に吸い込まれるようにして消えていった。
「お前は思い違いをしている、女。女神アレクサンドリアなどには興味がない。俺は、好きな女を守りたいだけだ。友人としてな……!」
「リディアさんは僕の友人です。女神の力があろうとなかろうと……それは、変わらない」
おにぎりの山の上に、すごく小さいけれどまんまるな、おばあさまが座り込んでいる。
おばあさまの腕を掴んでいたロクサス様が、その腕を離した。
シエル様の魔法陣が、おばあさまの体を包み込む。
おばあさまは呆然としたように、何処か虚空を見つめている。
「おかあさま、私、頑張りましたよね、おかあさま……おかあさまから愛された、宝石人に、私は、なりたかった……」
しわがれた声で、辿々しく、おばあさまは言った。
「……かぼちゃぷりん」
エーリスちゃんが、いつの間にか私の胸元に潜り込んでいた。
もぞもぞと動いて顔を出すと、私を見上げて、その目から大粒の涙をぽろぽろこぼした。
「エーリスちゃん、あの子はエーリスちゃんの妹、ですよね。……ステファン様、ごめんなさい。私、ファミーヌを……それに、ファミーヌの中には、私のお母様や、フランソワのお母様が……」
ファミーヌを消してしまうということは、ファミーヌに食べられてしまったのだろうお母様たちも、一緒に消してしまうということ。
それに、誰かが傷つくのは、やっぱり嫌。
「リディア。君の、好きなように。恨みも、怒りも、君の泣きそうな顔を見ると、消えていく。君が無事で、君が俺に微笑んでくれる。俺の時間は失われたが……今はそれで、十分だ」
「ステファン様、ありがとうございます……シエル様、私をロベリアに……おばあさまを連れていきます」
「……ええ、わかりました。殿下、リディアさんと共にロベリアに。娼館街でも暴動が起こり、セイントワイスとレオンズロアが暴動の鎮圧にあたっています。放ってはおけない。後のことは僕たちに任せてください」
シエル様が魔法の構築をやめて、優しく言った。
やっぱり私、穏やかな時のシエル様が好き。
戦っている時のシエル様はとても綺麗だけれど──いつもの、シエル様の方が、好き。
そうして私たちは、大衆食堂ロベリアに、シエル様の転移魔法で戻った。
呆然としたまま動かない、ファミーヌおばあちゃんを連れて。
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