リディア、三分間クッキング
大衆食堂ロベリアの調理台の上に、エーリスちゃんがぽよんと飛び乗って、手のような羽のようなものをぱたぱたさせながら「か、かぼ、かぼちゃ……!」と、私に何かを訴えている。
景色の一部は大衆食堂ロベリアに変わったのだけれど、調理台やコンロやオーブン、シンクなどはあって、けれど壁はない。
それなので、神官の皆さんや、大神殿に礼拝に来ていたのだろう今は避難されている方々が、少し離れた場所で私の様子を見ている。
私の傍には、フェルドゥールお父様と、フランソワがいる。
アルジュナお父さんは大衆食堂ロベリアの調理場にある丸椅子の上で、そこが定位置みたいに丸くなった。
ステファン様は立派な玉座に身を預けるようにして、目を閉じている。
脇腹から流れている血が、血ではなくて、赤い薔薇に姿を変えて、ステファン様の体には薔薇からのびた蔓が巻き付いている。
蔓には、まんまるな形の白くて目の赤い蜘蛛のようなものがくっついている。
「呪いの可視化。そして、幻想の可視化。君は君の望むままに、世界を造ることができる」
アルジュナお父さんが厳かな声音で言った。
「じゃあ、キッチンじゃなくて、遊園地って思えば、ここは遊園地に……?」
「聖なるは癒しの力。心と体を癒すもの。ここが君の最適解であるから、この景色が選ばれた。遊園地が何なのかは知らないが、それが君の解だとしたら、遊園地になるのだろう」
「お姉様、遊園地、一緒に行きましょう」
「リディア、お父様が遊園地なら、いくらでも連れていってやる。なんでも買ってあげるよ」
私の両脇にいるフランソワとお父様が、遊園地という単語に瞳を輝かせた。
楽しいところなのね、遊園地。
行ったことがないからわからないけれど。
「はい、みんな元気になったら、行きましょう、皆で……今は、ご飯、作らないと」
「かぼちゃー」
「エーリスちゃん、何か食べたいものが……?」
「かぼちゃ!」
「桃のシャーベットは、また今度です。今は、沢山作れて、皆で食べられるものが良いような気がします」
「ぷりん……」
「ステファン様は、食堂のご飯が好き……食堂のご飯、……沢山作れる、食堂のご飯」
私の前の調理台の上に、ぽんぽん、と、羽釜に入ったほかほかに炊き上がったご飯と、焼きたての鮭、海苔とお塩が現れる。
「しゃけおにぎり」
私はぽん、と、両手をあわせた。
おにぎり、すぐできる。簡単。美味しい。おにぎりを嫌いな人なんてこの世界に存在しないんじゃないかなっていうぐらいに、大人気のメニュー。大人から、子供まで。
「でも、ステファン様はエビフライが好き……」
私が呟くと、焼き鮭の横に、海老の天ぷらがぽん、と姿を現した。
「てんむす……」
「テンムスとは……?」
フェルドゥールお父様が不思議そうに首を傾げる。
お父様が呟くと、新しい呪文みたいに聞こえる。
私はシンクで手を洗ったあと、ボウルにお水を汲んで戻ってきた。
羽釜のご飯にお塩を振って、切るようにして混ぜていく。
ボウルのお水で手のひらを濡らして、ご飯を手のひらに乗せると、中心にほぐした鮭を入れる。
きゅっきゅ、と軽く力を入れて三角形にして、最後に海苔をぐるっと巻いて、お皿に乗せた。
もう一度手を濡らして、ご飯を乗せて、真ん中に海老の天ぷらを入れてきゅっきゅと、三角形にする。
海苔を巻いて、できあがり。
「できました、しゃけおにぎりと天むすのおにぎりセットです!」
「お姉様、美味しそう……」
「かぼちゃぷりん!」
おにぎり、すぐできる。すぐできるし、美味しい。
もっとたくさん作らなくちゃと、お米を手のひらに乗せようとすると、羽釜や鮭やエビの天ぷらが、虹色に輝いた。
次の瞬間、調理台の上にはたくさんの鮭おにぎりと天むすが並んでいた。
「お父さん、おにぎりが、ひとりでに、おにぎりが……」
「この空間は、君の魔力でつくられた、君の空間。おにぎりは、……おにぎり? おにぎりとはなんだか良く分からないが、おにぎりは、本物であってほんものではないもの。君の魔力が練り上げた、君の記憶がつくりだすもの」
「よくわかりませんが、わかりました。ともかく、おにぎりがたくさんできました、良かった」
「かぼちゃ……」
「いっぱいあるから食べて良いですよ、エーリスちゃん。多分、私、好きなだけおにぎりを増やせます」
これはおにぎりを増やせる魔法だ。
エーリスちゃんに、フランソワが鮭おにぎりを手にして、大きく開いた口におにぎりを押し込んだ。
エーリスちゃんはフランソワに壁に投げつけられたことを覚えているのか、かぷりとフランソワの手もおにぎりと一緒に齧った。あんまり痛くないらしく、フランソワは「動物、好き」と、くすくす笑った。
お皿の上に、なくなったおにぎりの代わりに、新しいおにぎりが現れる。
フランソワの手を齧るのをやめて、もぐもぐと、エーリスちゃんがおにぎりを食べている。
おにぎりを食べると、エーリスちゃんの体は色々あってちょっと疲れた感じだったけれど、艶々でもっちりした白っぽさを取り戻した。
「リディア、怪我人を連れてきた。準備はできているな、さすが、私の女神だ」
ルシアンさんが、ファフニールに傷だらけの神官の方々を、乗せられるだけ乗せて戻ってくる。
ファフニールを地上に降ろすと、その上から飛び降りて、私の元までやってきて、私の頭を撫でてくれる。
「ルシアン君! 君は一体リディアとどういう関係なんだ……!」
「友人です、神官長」
フェルドゥールお父様がわなわなと震えている。
私はルシアンさんの手を取って、「無事で良かったです」と微笑んだ。
怪我、なくて良かった。ルシアンさんたちが強いことは知っているけれど、心配だった。
ルシアンさんは口元をおさえて、俯いた。
「……友人か?」
フェルドゥールお父様が目を細めて、冷たい声で言う。
「今はまだ、友人です……」
「男は愚か……」
声を絞り出すようにして答えるルシアンさんに、フランソワがぽつりと言った。
「お父様、ルシアンさん、おにぎりを、みんなに食べさせてください。おにぎり、本物のおにぎりじゃないですけど、本物のおにぎりと同じで、ええと、その、呪いをといて、傷を癒すことができて……」
「大丈夫だ、リディア、分かっている。皆、手伝ってくれ」
ルシアンさんが私のつたない説明を聞いて、優しく頷いてくれる。
私はほっとして、ルシアンさんを見上げた。フェルドゥールお父様が「私は認めないぞ、ルシアン君」と言いながら、おにぎりの乗ったお皿を持ち上げる。
「お姉様の頼みなら、なんでもする」
フランソワとフェルドゥールお父様、ルシアンさんが手分けをして、ファフニールの上でぐったりしている神官の方々の元へと向かう。
成り行きを見守っていた他の神官の方々も、我に返ったように、大神殿での救助に参加しはじめる。
ルシアンさんの連れてきた神官の方々の体にも、薔薇の花が絡みついて、首に、まんまるい目の赤い蜘蛛が、齧りつくようにしてへばりついている。
「ステファン様、口を開けてください」
私はお皿の上に鮭おにぎりと天むすを乗せて、玉座の傍に行って、ステファン様に呼びかけた。
ステファン様がうっすらと目を開き、私の顔をぼんやり見つめる。
「リディア、俺は……情けないな。……俺が君を、守らなくてはいけなかったのに、君に、助けられて……」
「そんなことは良いんです。おにぎりです、食べて、ステファン様」
「……あぁ」
「元気になったら、食堂で、本物のおにぎり食べてくださいね。美味しいですよ、おにぎり。ステファン様が好きだって言ってた、食堂のご飯が、たくさんありますから」
長い時間を奪われて、体をぼろぼろにしているステファン様を見ると、なんだかとっても悲しくなってしまって、目尻に涙が滲んだ。
私に優しかったステファン様が、本当のステファン様。
私に、怒ることや、悲しむこと、楽しいことや嬉しいこと――感情を、教えてくれた。
淡い恋愛感情に似たものはもう、ないけれど。
お兄様がいたらこんな感じだったのだろうな、というような、親愛の情が湧き上がってくる。
「……ん」
ステファン様はおにぎりを一口齧って、ごくんと飲み込んで、深い息をついた。
青ざめていた顔色が、血色を取り戻してくる。
体に絡みついていた薔薇の蔓がするすると消えて行って、取りついていたまんまるい蜘蛛が、蜃気楼みたいに消えていく。
ステファン様は二個のおにぎりをあっという間に食べ終えた。
食べ終わった頃には体の傷はすっかり癒えて、その翡翠色の瞳にも生気が戻っていた。
「リディア、……ありがとう。俺は、リディアに救われてばかりだ」
「そんなこと、ないです。無事でよかったです、ステファン様」
奪われた時間は戻らないけれど。
でも――みんな、無事で良かった。
お父様も、ステファン様も、フランソワも。
「――やはり、邪魔だわ。いつも、邪魔をするのね、女神アレクサンドリア……!」
そんな声が、私たちを見守っていた避難している人々の中から聞こえる。
人が波のように、二つに分かれていく。
別れた先にいたのは、黄金の弓矢を構えた美しい女性の姿。黒髪に菫色の瞳。私に、似ている。
矢の切っ先が、真っ直ぐに私を捉えている。
「ティアンサ!」
フェルドゥールお父様が叫ぶ。
あれは――お母様の姿。
ファミーヌは、姿を変えられる。食べたものの姿や能力を、自分の物にすることができると、言っていた。
つまり――それは。
「そこまでだ、魔女」
「焦りは、行動を単純化させます。姿を見せた時点で、あなたは、負けた」
いつの間にか、ロクサス様とシエル様が、群衆の中に紛れていた。
シエル様の拘束魔法の鎖が、お母様の姿をしたファミーヌに絡みつき、ロクサス様が矢を構えているその手を掴んだ。
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