レベル99の勇者様たちの大蜘蛛討伐戦
ステファン様をファフニールに乗せたルシアンさんが、私たちの元へと戻ってくる。
ファフニールから降ろされたステファン様は、ぐったりとして動かない。
美しい金の髪や綺麗だったお洋服のそこここに蜘蛛の糸がへばりついて、体中が傷だらけだった。
「ステファン様、大丈夫ですか、ステファン様……!」
深く目を閉じているステファン様に、私は駆け寄った。
ルシアンさんが地面に寝かせてくれたステファン様の傍に、膝をつく。
ルシアンさんは私の頬をそっと撫でて、「殿下は任せた。私も行ってくる」と言って、すぐにファフニールに飛び乗ると、レイル様の元へと空を駆けていく。
「長らく、魔女の支配下に置かれていた上に、聖剣の力をあれだけ使ったのだから、体力も魔力もかなり失われている。古の時代に女神より神祖様へと与えられた聖剣は、王位継承者へと受け継がれていくものだが――人に御せざる力でもある」
「お父様……ステファン様、血が……」
フェルドゥールお父様が私の隣で膝をついて、ステファン様に手を翳した。
大蜘蛛に切り裂かれたのだろう、ステファン様の脇腹が赤く染まって、白い石畳の床に赤い染みを広げていく。
フランソワは少し離れたところで、何も言わずに私たちを見守っている。
アルジュナお父さんは私の隣にちょこんと座って、エーリスちゃんはアルジュナお父さんの頭に乗って、ステファン様を心配そうに見つめている。
「癒しの風よ」
フェルドゥールお父様の構築した魔法が、ステファン様の体をふわりとあたたかく取り巻いた。
けれど――その傷は治らず、ステファン様が瞳を開くことはなかった。
「ファミーヌは、飢餓による死の魔女。ファミーヌの力によってつけられた傷は、死の呪いを帯びている」
アルジュナお父さんが私を見上げる。エーリスちゃんが「ぷりん」と、生真面目な口調で言った。
「でも、フランソワの傷は、シエル様が治してくれたのに….」
「ファミーヌは、女には情をかけるところがある故な」
アルジュナお父さんが、小首を傾げる。
エーリスちゃんも首を傾げながら、「ぷりん……」と神妙に言った。
「蜘蛛に紛れて、ファミーヌの本体がいるということか」
ロクサス様が傍に来て、冷静な口調で言う。
「あるいは、どこかに、紛れている。誰かのふりを、している。ファミーヌは、姿を変えることができる」
「面倒な」
アルジュナお父さんの返答に、苛々と、ロクサス様は腕を組んだ。
神殿の上空では、レイル様が「蜘蛛ごときが、私にかなうとでも思うのか、この勇者フォックス仮面に!」と高笑いをあげながら、襲い来る蜘蛛の足を、二本の剣で切り裂いている。
空高く飛び上がったファフニールの背から舞い降りたルシアンさんが、蜘蛛の背に降り立って、剣をその背に突き刺した。
何匹もいた蜘蛛たちが、絡み合うようにして次々と倒れていく。
「シエル、手早く終わらせよう。殺さない程度に弱らせるのは、私たちには難しい!」
「あぁ。殺すのは簡単だが――殺さないのは、な。魔物の良いところはどれほど叩きつぶしても、誰にも文句を言われないところだったのだが、今日ばかりは、そんなわけにはいかない」
動かなくなった蜘蛛たちの、切り取られた足や、硬そうな皮膚に包まれた体の傷が、修復していく。
のそりのそりと起き出して、再びレイル様たちに向かっていく。
レイル様とルシアンさんは蜘蛛に致命傷を与えないようにしながら、攻撃を避け、動くことができなくなるように、足や目を潰しているようだけれど、魔女がどこかにいるかぎり、蜘蛛たちは無限にたちあがるように見えた。
「一気に弱らせて、シエル。弱らせたら、私がなんとかする」
「……僕も、壊さないのは不得手ですが、やってみましょう。二人とも、退いていてください」
シエル様の足元に魔方陣が浮かび上がる。
魔方陣はシエル様の服や髪をふわりと靡かせた。
ルシアンさんが呼び戻したファフニールが、レイル様とルシアンさんの体を拾い上げる。
「裁きの黄金」
シエル様の詠唱と共に、空に暗雲が立ち込める。
何本もの雷が蜘蛛たちに降り注ぎ、その体を焼いた。
激しい魔力の奔流に、その衝撃に、瓦礫が舞い上がり、神官の方々が作り上げている結界にぶつかる。
避難している人々から、悲鳴とも感嘆ともいえない声があがった。
広範囲に降り注いだ雷が止むと、黒く焼け焦げて動かなくなった蜘蛛たちに、レイル様が手を翳す。
「魔女に取りつかれる前まで、時間を戻すよ。時の魔法、変若水」
レイル様の言葉と共に、小山ほどに大きかった蜘蛛たちが、蜃気楼のようにぼやけて消えていく。
大蜘蛛の消えた後には、瓦礫の上に、何人もの神官の方々が、重なり合うようにして倒れている。
「皆、怪我人を姫君の元へ。壊れた建物は、私が修復する。急げ!」
「兄上、もう魔力が空だろう。邪魔な瓦礫は、俺とシエルに任せろ」
「ルシアンとレイル様は、怪我人を運んでください」
レイル様の指示に、ロクサス様が首を振って言った。
シエル様と共に、もう見る影もない崩れた大神殿へと向かっていく。
私ははっとして、私の隣にいるアルジュナお父さんの小さな肩を掴んだ。
肩というか、首というか、体というか。
毛玉みたいなので、よくわからないけれど、ともかく掴んだ。
「お父さん、私、私にもやることが……お料理、しなくちゃいけないです、皆を、助けるために」
ステファン様や、蜘蛛にされていた人たちや、大神殿の中に取り残されてしまった人たちのために。
「ただ、信じればよい。君の力は君の中にある」
「……でも、どうやれば良いのか、わからなくて」
「例えば呪文とは、精神を集中させて魔法を構築するための、たんなる言葉。自己暗示のようなものにすぎない。私は強い。その言葉は、本当に人を強くすることができるように。それは、言霊。何の力もないものだが、力になるものだ」
「難しいです、お父さん」
「つまり、君には詠唱が必要なのだろう」
「詠唱……?」
「好きなように、唱えると良い。君の望みを、君が、叶えるために、リディア」
呪文。詠唱。――呪文。
魔力のない私は、学園で魔法の授業を端っこの方で眺めながら、魔法良いな、詠唱、格好良いな、と思っていたものだった。
(シエル様みたいな、格好良い詠唱……)
どうしよう、思いつかない。
でも、思いつかないとか言っている場合じゃないのよ。緊急事態だし。
「――うん。……現れよ、女神のキッチン!」
私は両手を胸の前で組んで、祈るように詠唱を唱える。
「女神のキッチン……」
「女神のキッチン」
「かぼちゃぷりん!」
「お姉様……可愛い……!」
お父様と、お父さんと、エーリスちゃんとフランソワが、それぞれ感想みたいなものを呟いてくれる。
どうしよう、恥ずかしい。
エーリスちゃんとフランソワだけが褒めてくれた。良い子だ。
私の声にこたえるようにして、大神殿前の広場の景色が変わっていく。
そこに現れたのは、見慣れた私の食堂。
これで二度目の、召喚された大衆食堂ロベリアの調理場だった。
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