勇者は遅れてやってくる
聖剣レーヴァテインの光が、天を貫くようにして輝きを増す。
空高く浮かび上がる白き月までその光は届くようで、巨大な蜘蛛が何匹も大神殿に覆いかぶさって蠢いている光景はおそろしい筈なのに、どこか神聖さがある。
(テオバルト様に、似てる……)
エーリスちゃんの記憶で見た、あれは――魔女シルフィーナの記憶。
雄々しく美しく、神々しい、始祖テオバルト様。
ステファン様はその血を受け継いでいる。
(シルフィーナと、テオバルト様は幸せそうに見えたのに……)
魔女の娘であるファミーヌは、自分が聖女になるのだと言っていた。
それはもしかして――赤い月で苦しみ続けているシルフィーナの夢、なのかしら。
女神アレクサンドリア様が現れて、テオバルト様を奪われてしまったから?
だから、フランソワを操って、同じことをさせたのかしら。
聖女だと偽って、私からステファン様を奪った。
かつて自分がされたことの、復讐のために。
テオバルト様の――その血を受け継いでいる、ステファン様の心を得るために。
(だとしたら、とても、寂しい)
心を操って、手に入れた愛情なんて、それは本物の愛といえるのだろうか。
恋がどんなものかとか、愛がどんなものかなんて、私にはまだよく、分からないけれど。
でも、得られない心や不幸な自分を嘆いて、泣いている毎日よりも。
美味しく食べて貰いたくて楽しくお料理をして、美味しいって笑って貰える今の方がずっと良い。
お友達がいてくれて、エーリスちゃんがいてくれて。
皆のことを全部分かるわけじゃなくて、知らないことも多くて。
知らないことが多いから、すれ違ったり、悲しい気持ちになったりすることもあるけれど。
でも、少しづつ。理解できることが増えて、私だけじゃなくて他のひとたちも、何かを抱えて生きていることが、分かって。
誰かの力になりたいって、思うことができるようになった。
お友達に、笑っていて欲しいって――思うようになった。
(自分の周りにいる人みんなが、自分の操り人形だとしたら、全員自分の思い通りに動くのだとしたら……)
求めることをなんでも言ってくれて、してほしいことを、なんでもしてくれて。
思い通りになる世界で満たされるものは確かにあるのかもしれないけれど――。
でも、結局それは、世界に自分一人だけしかいないのと、同じなのではないかしら。
「ステファン様……っ」
一匹の蜘蛛の背の上に立つステファン様に、もう一匹の蜘蛛の足が振り下ろされる。
輝く聖剣はその足を簡単に切り落として、それから、蜘蛛の背を引き裂いた。
断末魔の声と共に、巨大な蜘蛛がその体をうねらせる。
空中に投げ出されそうになったステファン様は、別の蜘蛛の足に飛び移った。
ステファン様の体よりも何倍も何倍も大きな蜘蛛が、ステファン様を押しつぶそうと、齧りつこうと、突き刺そうとしている。
ステファン様の体が蜘蛛の足の一本に弾き飛ばされて、宙に浮いた。
それは、瞬きをする時間もないぐらいに一瞬のことで、宙に飛ばされたステファン様の体が、崩れた大神殿の上へと落ちていく。
その下には、一匹の蜘蛛の姿。
黒々とした背中がざっくりとさけて、その背中にはぎざぎざの歯が並んだ大きな口が開いている。
ステファン様は剣を真下に向ける。
聖剣の眩い光が蜘蛛を貫き、蜘蛛は苦し気にのたうち回った。
「殿下……!」
「ロクサス様、ステファン様が……!」
空中に投げ出されたステファン様の体が、瓦礫の上に落下していく。
空から地上まではかなりの高さがある。
落ちてしまえば――助からない。
お父様や神官の方々が構築した、白く光る魔法の鳥が、ステファン様の元へと飛んでいく。
「間に合わない……っ」
焦りを孕んだお父様の声音に、私は腕の中のアルジュナお父さんとエーリスちゃんをぎゅっと抱きしめる。
ステファン様が、死んでしまう。
(私の力なら、死にゆく人も、助けられる……!)
どんな怪我でも病気でも、癒すことができる。
ステファン様に駆け寄ろうとした私の眼前に、大きな魔方陣が現れる。
魔方陣から現れた、狐面をつけた黒衣の男性は、それはそれは堂々と胸を張って大きな声で叫んだ。
「ルシアン、殿下の救出を! シエル、蜘蛛を討伐するよ。それは勇者の役目だ!」
「了解」
狐面の勇者、レイル様の指示で、ルシアンさんは首飾りを一瞬のうちに黒い竜の形をした空中浮遊装置に変化させた。
神官の方々が作り上げた輝く鳥が、蜘蛛の糸に絡めとられて消滅する。
ルシアンさんの乗ったファフニールは、蜘蛛の足や糸をかいくぐって、落下するステファン様の元へと目視できないほどの速さで飛んでいく。
「姫君、お待たせ。勇者というものは遅れてくるものだけれど、怖い思いをさせてしまってすまない。ロクサスは無事に姫君を守ったようで偉いね、よく頑張った」
「あぁ。……兄上も無事に戻られて、なによりだ」
ロクサス様、嬉しそう。
私も、嬉しい。
レイル様の明るい声を聞くと、不安も、胸苦しさも、消えていってしまう。
「あれが、ファミーヌ? 随分、数が多いね」
「ファミーヌは人を操り、その姿を魔物のように変化させることができる。おそらくあれは――」
「人……?」
シエル様の言葉に、嫌な予感がして、私は思わず呟いた。
視線の先で、落下するステファン様を拾い上げて、ルシアンさんがファフニールで空高く飛んだ。
蜘蛛は空を飛べないので、足をのばすだけで、追いすがることはできない。
「そうとわかればやることは一つだね。殿下が私たちに残しておいてくれていた、残りの蜘蛛を討伐するよ。死なない程度に弱らせて、拘束する。姫君、蜘蛛のためのごちそうを、用意しておいて」
「は、はい……!」
私がつくったお料理を食べて貰えたら、蜘蛛も、元の姿に戻るはず。
レイル様に言われて、私は頷いた。
私にも――できることがある。
「大神殿にとりつく蜘蛛……だとしたら、あれは、ファミーヌにとりつかれていた神官の可能性が高い。それ以外にも、恐らく神殿の中に逃げ遅れた者がいるはず。救えるものは、全員救います」
レイル様が軽々と瓦礫を乗り越えながら、まるで空を飛ぶようにして、蜘蛛の元まで走る。
シエル様の手の平の先に、美しい円形の魔方陣がうまれた。
「神官長、防護壁を」
「了解した、シエル君」
シエル様の魔力が魔方陣に満ちていくのが分かる。
他者の魔力を感じることなんて私にはできないけれど、それぐらい圧倒的な質量が、魔方陣に満ちている。
「劫火の青」
短い詠唱と共に、レイル様やルシアンさんに向かって蜘蛛からまき散らされている白い糸の束が、あっという間に激しく青く燃え上がった。
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