大神殿襲撃
神官の方々の「無事ですか、神官長!」という声や、「皆を避難させろ!」という声が、建物のそこここから響いてくる。
天井からさらに何本も、巨大な柱のような虫の足が轟音とともに突き刺さり、部屋全体を立っていられないぐらいに震わせた。
割れた天井から、夕暮れ時の空が見える。
燃えるような夕焼けの中に、眩暈がするほどに大きな、何か、の姿がある。
天井からはえているように見えたファミーヌが、割れた天井の上に吸い込まれるようにしてふわりと浮かんでいく。
ファミーヌの下半身は蜘蛛のようになっているのかと思ったけれど、長い足を持った眩暈がするほど巨大な蜘蛛の形の魔物と、美しい女性の姿をしたファミーヌは、別々の存在のようにも見える。
優雅に蜘蛛の足の一本の節の上に、長い足を組んでファミーヌが座った。
ステファン様が大木のような蟲の足を足場にして、ファミーヌに切りかかる。
白く輝く聖剣レーヴァテインの残影が、虹のようにその軌道を残した。
「消え失せろ、不幸を振りまく魔女よ……!」
聖剣がファミーヌの体を貫いた。
ファミーヌの体が、蜃気楼のように消えていく。
「あはは……っ、一番頭が悪くて一番不格好なエーリスを倒したぐらいで良い気にならないで。エーリスは、四人の中の失敗作。私が一番強く美しい。だって私は、お母様そっくりにつくられたのだから!」
ファミーヌの姿は消えてしまったけれど、その声だけは部屋の四方から響き渡ってくるようだった。
「ぷりん……っ」
エーリスちゃんが私の胸の間から顔を出して、なにかしらの文句を言った。
エーリスちゃんの方がずっと可愛いから大丈夫なのよ。
「神官長、ロクサス、リディアとフランソワを連れて避難を! 建物の外に、本体がいる」
ステファン様は床に軽々と足をつくと、厳しい声で私たちに言う。
お父様の張った結界に、先程よりも本数の多い沢山の虫の足が頭上から、私たちを押しつぶすようにして突き刺さってくる。
無数の足を、ステファン様が聖剣で切り裂く。
蜘蛛の足は、眩い光に浄化されるように、粒子のように消えていく。
「逃げるぞ、建物の中では身動きがとれん。それに、こう狭い場所でばかでかい相手に俺の力を使うと、他の人間を巻きみかねない」
蜘蛛の足の襲撃が一瞬止んだ。
その隙に、ロクサス様が私の体を軽々と抱き上げる。
正確には、私とエーリスちゃんと、私の腕に抱かれているアルジュナお父さんを。
フランソワの手を、お父様が握る。
「……神官長様」
「父で良い。幼い君には罪はなく、君と共に過ごした時間は私の記憶に、残っている」
「お父様」
崩れ落ちていく大神殿を、フェルドゥールお父様の案内で外に向かって走る。
神官の方々が私たちの姿に気づき、守護結界を張って瓦礫から守ってくれる。
背後から、蜘蛛の足が、土の中にいる蟻を潰そうとしているかのように、何本も頭上から突き刺さることを繰り返す。
「ステファン様……!」
「俺は大丈夫だ、リディア。昔のように、呼んでくれて嬉しい」
ステファン様は神殿の中で蜘蛛の足を剣で受け止め、切り裂いている。
僅かに息をきらしながら、ちらりと私の方を振り向くと、優しく微笑んだ。
通路に大きな瓦礫が落ちてくる。それは外に向かう私たちとステファン様を分断するようにして、ステファン様の姿を隠してしまった。
「ロクサス様、ステファン様が!」
「今は外に。お前を守ることが、殿下の望みだ」
崩れる神殿から、燃え盛るような夕焼けの中へとロクサス様は真っ直ぐにすすむ。
神官の方々やお父様の作り上げた守護結界の通路に、細い糸が何本も巻き付く。
『何も知らなければ、何も気づかなければ――私が、聖女に成り代わる。ただそれだけですんだのに。せっかく、誰にも気づかれないように、慎重に、物事をすすめていたのに』
どこからともなくファミーヌの声が聞こえる。
細い糸が密集して太い糸に形をかえて、結界の通路をぎりぎりと締め上げた。
『全員食べてあげる。全員、食べてしまえば、全員私のものになる。記憶も、知識も、能力も、その姿も、全て私のもの』
「ティアンサも、食べたのか……化け物め……!」
お父様の呟きに、私は目を見開いた。
フランソワのお母様はファミーヌに食べられた。
だとしたら、私のお母様も――。
『誰を食べたかなんて覚えていないけれど……そんな名前だったかしらね。昔、攫ったかしら。聖女について尋ねても何にも教えてくれないから、食べてしまったかしら』
「お前だけは許さない、魔女め!」
お父様の叫びが、神殿に響き渡る。
お母様は――私のせいで、私がうまれたせいで、食べられたの?
お母様は私にアレクサンドリア様の力が宿ることを、マーガレットさんに聞いて、知っていた。
そしてそれから、アルジュナが私の力を封じた。
それはたぶん私を、守るために。
お母様は私を、守ろうとしてくれていた。
守護結界が、糸に切り裂かれるようにして、硝子が砕けるように粉々に割れる。
一瞬のうちにあたりを埋め尽くした糸が、私たちに襲いかかる。
ロクサス様の舌打ちが聞こえる。
ロクサス様を中心として、冷たい風が渦巻いた。
私たちの体を雁字搦めにしようとする糸が、花が枯れるようにして、細くしなびていく。
『邪魔をしないで』
「どんなものにも終わりはある。永遠などはありはしない。お前の時間も奪ってやろう、女。その美しいと自慢の容姿を、死の直前まで枯れさせてやろう」
『口だけは達者な、戦う力のない塵だと思っていたのに』
「それは、気の毒なことだ」
ロクサス様の口元が皮肉気に歪む。
枯れたよう床に落ちて、床を白く埋め尽くす糸の上を、私たちは神殿の外を目指して進んだ。
私たちの背後で大神殿が無残に崩れていく。
大神殿の入り口から外に出ると、そこにはすでに避難した人たちが神官の皆さんに守られるようにして、守護結界の中に身を寄せている。
大神殿には何匹もの巨大な蜘蛛が折り重なるように絡みついていて、荘厳だった大神殿は無残に崩れて、潰れていた。
「ステファン様……」
私は、ロクサス様の腕の中から降りた。
大神殿の中に、ステファン様は残った。
その姿は、見えない。
「私、何もできないの……? いつも守られてばかりで、何も、できない。私には、女神様の力があるのではないの……?」
私は腕の中のアルジュナお父さんを抱きしめながら、呟いた。
私はやっぱり、役立たずだ。
守られてばかり。
お母様にも、皆にも。
「君の力は、戦うためのものではない」
私の腕の中で、アルジュナお父さんが小さな声で言った。
――だとしたら、何のために。
聖女の力があるせいで、争いがうまれたのだとしたら、何もできない力なんて――要らない。
「リディア。殿下は、聖剣を継ぐ者だ。俺たちはお前を守るために、ここにいる。聖剣の主である、殿下もまた。お前を守ることが俺たちの役割。お前にはお前の役割がある」
ロクサス様が空を見上げながら言う。
視線の先に、何かが、一番星のように輝いている。
そこには、空高い場所にいる巨大な蜘蛛の一匹の体の上で――ステファン様が聖剣を高く掲げている姿があった。
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