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餓えのファミーヌ



 豪奢な金の巻き毛が、逆さまになってゆらゆらと揺れている。

 大きな胸、くびれた腰。

 これでもかというぐらいにスタイルの良い体を、コルセットで更に締め上げているその女性は、下着姿だ。

 下着姿の美しい女性が天井から逆さ吊りになっている。

 下半身は天井に埋まっていて、その先がどうなっているのかはよくわからない。

 私はテーブルの上のエーリスちゃんを掴むと、自分の胸元に突っ込んだ。

 それから、うとうとしているアルジュナお父さんを抱き上げる。


「リディア、私の後ろに!」


 フェルドゥールお父様が立ち上がり、私を庇ってくれる。

 私はソファに座り込んだままのフランソワを引っ張って、お父様の後ろに隠れた。フランソワは天井の女性を、目を見開いて見つめ続けている。

 ステファンがゆれる女性の前に立ちはだかる。その手が光り、輝く聖剣がすらりと現れる。

 ロクサス様がステファン様の隣に立った。

 戦いは苦手だと言っていたけれど、臆することなく女性を睨みつける。


「お前が魔女の娘か。自ら姿を現してくれるとは、探す手間が省けた。さすが魔物だけあるな、醜悪な姿だ」


「醜悪? 醜悪ですって……? 私ほど、美しい存在はいないというのに。全ての人間は、私の前に平伏すの」


「自己愛性人格障害か? 見栄えが良いだけで無条件に愛されるなど、その愛はただの幻想だ」


 ロクサス様が吐き捨てるように言った。


「皆、幻想の中で生きているのでしょう? 所詮は全て、紛いもの。愛など、ない。それは欲望でしかない」


 女性は、赤い唇を吊り上げる。

 エーリスちゃんは、大きい体だったときのエーリスちゃんは、もっと無機質な話し方をしていた。

 その声にも感情があまりこもっていないように思えた。

 けれどその女性は、違う。

 自分の意志があり、感情があり、それはまるで私たちと同じように、考えて話すことができるように。

 意志のある魔物。

 人間と同じように、意志のある魔物。

 いつかシエル様が言っていたことを思いだした。

 宝石人は赤い月から落ちてきた、意志を持つ魔物である、と。

 宝石人は争いを好まないようだけれど――意志を持つ魔物に敵意や悪意があるとしたら。

 人はいままでよりいっそう、魔物を恐れるようになる。

 見た目も人と同じ、ただ悪意や害意がある意志のある魔物。

 それが魔女の娘だとしたら、人の中に紛れてしまえば、とてもみつけることなんてできない。


「幻想の中で幸せだったでしょう、ベルナールの王子。聖女だと思い込んでいた私のお人形に向ける愛は本物。囁く愛の言葉も、本物。本心からの、愛の言葉。全ての愛は幻想。欲望からうまれるもの」


「ふざけるな。お前か。お前が……リディアと共に歩むはずだった、俺の時を奪い、皆の心を惑わせた。貴様のその罪、万死に値する」


「誰が相手でも同じでしょう? それが誰でもあなたは愛す。女という形のものならば、誰でも良い。男など所詮はそんなもの。愚か。愚か。愚かで――残酷で、最低で、汚い」


 ステファン様の怒りに満ちた言葉に、女性はころころと鈴を転がすような声で笑った。


「欲望にはきりがない。色欲、嫉妬、憎悪、嫌悪、自己顕示欲、承認欲求、自分が誰よりも偉い、誰よりも愛されたい、誰よりも優れている、目立ちたい、愛されたい、誰かが邪魔、消してしまいたい、死ねば良い、死ねば良い、要らない人間は、死ねば良い――いちまい、皮を剥けば、皆同じ」


「黙れ。貴様に人間の何がわかる。魔物の分際で」


 ロクサス様が醒めた瞳で女性を見据えている。


「ステファン、あなたはリディアを裏切り、ロクサス、あなたはフランソワを裏切った。愛の言葉など全て偽り。皆自分が一番可愛いの。だから見たいものしかみない。欲望にはきりがないから、自分の見たいものを見て、信じたいものを信じる」


 女性は自分の体を両手で抱きしめて、くねらせる。


「欲を肥大させた人は、一番操りやすい。皆、私のお人形。私の前に跪きなさい。この世界は私のもの。私は聖女となるためにここにきた。お母様の悲願を果たすため――私は、ファミーヌ。餓えによる死を司る魔女の娘」


「餓え……?」


 私は思わず呟いた。

 餓え。

 それは、お腹が空くということ。 

 お腹が空くと、すごく、悲しい。


「餓え。それは足りないということ。満ち足りない。何を得ても、何をしても、欲望は果てしなく、餓えが増大し続ける。飢餓に苦しみ命を絶ち、飢餓に苦しみ他人を襲い、飢餓を満たすために――私に、支配されなさい」


「ファミーヌ! お母様をかえして、お母様、ソワレお母様を……!」


 フランソワが私の横をすり抜けて、女性に――魔女の娘ファミーヌに向かっていく。

 ロクサス様がその手を掴み、ステファン様が聖剣をふりあげる。

 ぐらぐらと、大きく足元が揺れた。

 転びそうになった私を、お父様が支えてくれる。

 フランソワは腕を掴んでいるロクサス様の手を、無理やり振りほどいた。


「ステファン様!」


 私は大きな声で、ステファン様の名前を呼んだ。

 天井が、大きく裂ける。

 瓦礫とともに、ステファン様めがけて、何か――大きく尖った黒いものが、振り下ろされる。

 それは節のある、蟲の足にみえる。

 大神殿の柱と同じぐらいに太い。天上を引き裂いて、ステファン様ごと床を貫こうとする蟲の足を、ステファン様の聖剣は軽々と切り裂いた。


「ロクサス君、フランソワをこちらに!」


 お父様が片手を前に出す。

 ロクサス様はフランソワを乱暴に、私の方へと突き飛ばした。

 私たちを包み込むようにして足元に青い魔方陣が現れて、円形の透明な防護壁が私たちを落ちてくる瓦礫から守った。

 


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