なんとなくの居心地の悪さ
シエル様とルシアンさん、レイル様を見送ったあとの大神殿の応接間は、なんともいえない沈黙で支配されている。
アルジュナお父さんはソファの上ですやすや眠っていて、フランソワも色々あって疲れたのか、私の膝を枕にしながらすやすや眠っている。
私もすやすや眠りたいと思いながら、ロクサス様に助けを求めるように視線を向ける。
ロクサス様は足と腕を組んでソファに座っていて、長い沈黙も全く気にしていないように見えた。
ぱちりと目が合うと、「どうした」というように、訝しげな顔をされる。
だって、沈黙が辛いのよ。
黙り込んだままここにいなくてはいけないなんて、これなら大衆食堂ロベリアでお料理をしていた方がずっと良い。
「か、かぼ、か、かぼちゃ、ぷりん……」
テーブルの上に座っているエーリスちゃんが、羽をぱたぱたさせながら、何かを私に訴えている。
「エーリスちゃん、シャーベットですね、シャーベット。帰ったら、作ってあげますからね。桃のシャーベット。生クリームを入れて、アイスクリームにしても美味しいですよ」
「かぼちゃ……!」
「良くその、丸いものの言葉がわかるな、リディア」
「ぷりん……」
ロクサス様が感心したように言う。
エーリスちゃんはロクサス様のことが好きじゃないみたいだ。ちらっとロクサス様の方を見てから、ぷいっと顔を背けた。
「リディア。……改めて謝罪をさせて欲しい。……今までずっと、すまなかった」
黙り込んだまま痛いぐらいの視線を私に向けていたステファン様が、真剣な表情で言った。
「ええと、その、大丈夫です。……殿下も、フランソワもお父様も、化け物……ファミーヌに、操られていただけで……」
「しかし、俺は……深く、リディアを傷つけただろう」
「それは私も同じだ。私がリディアを守らなければいけなかったのに。――ティアンサは、リディアを化け物から守ろうとして命を落としたのだろう。私は何もできず、化け物に飲まれてしまった」
「殿下もお父様も、もう大丈夫なので。色々ありましたけれど、今、結構楽しく暮らしていて……大衆食堂ロベリアに、お客様がたくさん来てくれて、お料理、美味しいって言ってくれるの、楽しいんです」
ステファン様と同じような表情で、お父様が肩を落としているので、私はできる限りの笑顔を浮かべながらそう言った。
「……リディア。……苦しい思いをしたのに、君は、昔と変わらないな。健気で心優しい、俺の大切なリディアのままだ」
「え、あ、あの……」
ステファン様、何か勘違いをしているのではないかしら。
私は健気でもなければ、心優しくもないもの。
ここは、ちゃんと訂正しておかないといけない。
「殿下、私、いまでこそ楽しくお料理していますけれど、少し前までは、殿下のこと嫌い嫌いって言いながらお肉をすり潰したりしていて」
「肉を」
「お肉をすり潰してミンチにするのです。ハンバーグとか、ミートボールとか、ソーセージのために」
「……それでリディアの気が晴れるのなら、どれほどすり潰してくれても構わない。むしろ、すり潰して欲しい。俺を……!」
「で、殿下のことは、すり潰しません……っ、ともかく、私、そんなに優しくもなければ、健気とかでもなくて、だから、私も悪口を言いましたし、お互い様で……」
ステファン様が力一杯すり潰して欲しいとか言ってくるので、私はびくりと震えた。
聖都のこわいはなしで、まことしやかに囁かれている『人肉ハンバーグ』という都市伝説があるのだけれど、それを思いだしてしまうわね。
こわい。
「ステファン殿下。安心するが良い。今のリディアには、俺がいる。まぁ……俺だけではないが。友人として、リディアの傍に」
ロクサス様が嘆息しながらそう言った。
これは、助け船、というやつなのかしら。
ステファン様にたくさん謝られて居心地の悪い私を、助けてくれようとしているのかしら。
ロクサス様、優しいところがあるわね。
「それだ……! それなんだ、ロクサス君」
お父様が急に激しく反応した。
私は更にびくりと震えて、私の膝で眠っているフランソワが「う-ん……お姉様、シャーベット……」と、呟いた。
「私がリディアを苦しめている間に、ふと気づけば、リディアの周りには男性たちが……! ロクサス君はフランソワの婚約者だったというのに、いつの間にかリディアの傍に。それに、シエル君に、ルシアン君、レイル君まで……! どういうことなんだ、リディア……!」
「お父様、みんな私のお友達になってくれて……私、みなさんがいてくれたから、泣いてばかりいましたけれど、今、元気になったのですよ」
お父様、いつも私に酷いことばかり言っていたのに。
まるで別人みたい。
そういえば、私が小さな頃からお父様はファミーヌの手の上で操られていたということだから、本来のお父様がどんな人なのか、知らないのよね。
思ったよりも表情豊かなのね、お父様。
綺麗な顔が、狼狽しているせいか、崩れているのよ。
「お父様は認めません。リディア、街で暮らす必要などない。レスト神官家に戻っておいで。お父様との失われた十八年間を、今から取り戻そう。まずは、肩車などをさせてくれないか」
「お父様、私、もう十八歳なので、肩車はちょっと……」
「そうか……それでは、これからは毎日お前の世話を、私がしよう。十八年分の愛情を込めて」
「お父様、私、もう十八歳なので、自分のことは自分でできます……」
私はぶんぶん首を振った。
そっか。
お父様が正気に戻ったということは、私はレスト神官家の娘に戻れるということ。
大衆食堂ロベリアの料理人でいる必要はなくなったということ。
でも――。
「神官長。リディアは立派に、食堂の料理人として食堂を経営している。それに、聖女としても――役目を十分果たしている。リディアの自由を奪う必要はない」
「ロクサス君、君はリディアの何なんだ」
「友人だが」
「お友達です。ロクサス様、最初はこわかったですけど、……お友達です。ちょっと特殊な趣味をお持ちだなとは思ってますけれど……」
メイド服を着せて女性を連れ回す趣味があるとは言えないわよね。
私は思わず顔を赤くした。
それは内緒だ。ロクサス様の特殊なご趣味のことは、秘密にしておいてあげないと。
「リディア……ロクサスになにかされたのか……?」
「妙な誤解をしないでいただきたい、殿下。リディア、語弊のある言い方をするのはやめろ」
「君はリディアに向かってやけに高圧的な口調で話すが、旦那かなにかなのか……? ロクサス君、リディアが欲しければ私を倒してからにしなさい。それに、特殊な趣味のある男が傍にいる生活など、リディアが危険だろう……!」
「フェルドゥール神官長、落ち着いて下さい」
ロクサス様、大変そう。
「……男はうるさい……男なんて嫌い……お姉様と私だけ、いれば良いの……お姉様……」
フランソワが私の腰に顔を擦り付けながら言った。
「――女神は男をもてあそぶ趣味があるのね、いつの時代も」
そのときだった。
天井から、艶のある女性の声がする。
天井を見上げると、そこには、一目見ただけで心を奪われるほどの美しい女性が、逆さづりになって天井からにょっきりはえていた。
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