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第22話 私はバカだから

 ……翌日、私はまだ日も昇らないうちに家を出た。



 住所の場所は、やっぱり墓地だった。お兄ちゃんのお母さんが眠っているのは、なんの変哲もない、立派でピカピカなお墓だ。



「ハルコさん、お兄ちゃんを私にください」



 お線香をあげて、手を合わせながら呟いた。答えは、私が天国に行けたなら、その時に聞いておこう。



 ハルコさん。それが、お兄ちゃんを産んだ人の名前だ。



「それと、厚かましいんですけど、これも見せてください」



 手に取ったのは、ビニールの袋に入れられた一冊のノート。表紙には、『2021.7.1~12.31』と書かれている。



 間違いなく、日記だ。誰のモノかは、考えなくたって分かる。



「そっか」



 お兄ちゃんは、ここで弱音を吐いていたんだ。



 ……。



「ありがとうございます」



 せめてものお礼として、お墓をもっとピカピカに磨いてから背を向けた。今度は、お兄ちゃんと来よう。



「あら、ミコ。久しぶり」



 考え事をしながら墓地から出ると、声をかけられた。随分、意外な人物だ。



「チヅル、どうしてここに?」


「この墓苑、ウチの寺が管理してるから。今日は、父の代わりに見回ってたのよ」


「へぇ〜」



 そういえば、名家のお嬢様だって言われてたっけ。まさか、お寺の娘だったとは。



「元気そうで何よりね」


「そっちこそ」



 墓地。いや、墓苑だっけ。



 とにかく、このあたりは妙に静かだ。何を言えばいいのか困って、急に静寂が訪れる。空気もひんやりしてるし、昼間でも少し不気味。



「……まぁ、バレちゃったって感じね」


「うん。何か、聞いたほうがいい?」


「えぇ、楽になるわ」



 じゃあ、お言葉に甘えて。



「いつから、お兄ちゃんの事を知ってたの?」


「小学生の頃から。毎日お墓に来てる男の子がいたら、気になるに決まってるでしょ?」



 言えてる。



「じゃあ、幼馴染だったの?」


「いいえ、私が一方的に知ってただけ。初めて話したのは、高校生になってからよ」



 どうやら、面識の有無はさておき、チヅルは私よりお兄ちゃんとの付き合いが長いらしい。



 必要もないのに、嫉妬心が湧いてくる。



「どうして、副会長になったの?」


「ここで、泣いてるのを知ってたから。いつの間にか、私だけが本当の会長を理解してるって勘違いしちゃったのよ」


「もし、お兄ちゃんがイケメンじゃなかったら、それでも気になってた?」


「とんでもないこと聞くわね、ホント」



 一息ついて。



「なってた。その一途さを私に向けてほしいって、勝手に思ってたわ」


「じゃあ、いい」



 仕方ない、許してあげよう。



「会長は、手に入った?」


「ううん、まだ」


「そう、頑張ってね。また、ゆっくり会いましょう」



 言って、チヅルは私を通り越した。相変わらず、クールな女だ。



「ねぇ、もう一つだけ」


「なに?」



 背中を向けたまま、静かに訊いた。



「お兄ちゃんの日記、読んだ? 多分、ずっと前から書いてるんでしょ?」



 普通、気になって読んじゃうハズだ。墓荒らしとは言えない、絶妙なラインだし。好きだったなら、我慢出来ないでしょうし。



「……昔、どうしても気になって一回だけ」


「どう思った?」


「どうって、耐えられなかったに決まってるでしょ」



 そして、石を踏む音が遠ざかっていった。



 多分、あの男を潰す前の事だろう。もしも後なら、チヅルは罪を知っている事になる。



 けど、私以外に、受け入れられる女が居るとは思えない。だから、この線はないに決まってる。



 とはいえ、いずれにせよ私が触れたのより、もっと壊れそうで悲痛な叫びが並んでいたハズだ。そうでなければ、チヅルは『好き』を隠す必要がなかっただろうから。



 ……矛盾してる。



 お兄ちゃんは、守りたかったハズの人だけに自分の弱さを見せていたのだから、この違和感は当然だ。



 普通、逆だと思わない?ここでだけは、弱音を吐かないようにするって思わない?



 一体、どうしてなんだろ。



 帰りのバスの中、その疑問だけが、いつまでも私の胸の中に滞留していた。



 ……実家に戻ってから、お母さんとご飯を作った。煮物とか、揚げ物とか。なるべく、野菜を美味しく食べられる料理だ。



「コウに、作ってあげてね」


「うん」


「後悔、しないようにね」


「う、うん」



 一体、何回ド肝を抜かれればいいのだろう。



 どうやら、私だけがちゃんと嘘をつけていると思い込んでいたらしい。蓋を開けてみれば、友達に片思いがバレまくってるし、両親に至っては驚きもしていない。



 ホント、バカみたい。



「変だよね、やっぱり」


「変じゃないよ」



 否定は、瞬きの隙間もないくらいの速度で返って来た。



 あまりにも違和感がないから、また私がおかしくなったのかと思ったほどだ。



「だって、兄妹だよ?」


「でも、変じゃないよ」



 ジュウと、アスパラガスが揚げる音。お母さんにとって、この話はいつもの世間話と何ら変わらないモノらしい。



「お母さん、頭が悪いからお父さんやコウみたいに上手に教えてあげられないけどね。大丈夫だよ」



 頭が、悪いから。



 ……その言葉を教えてもらったお陰で、何度救われた事か。



「コウも、帰ってきたらよかったのにね。お母さんも、会いたいな」


「年末には、絶対に連れてくるよ」


「うん、お願いね」



 ……お母さんの寂しそうな顔を見て、今、私の覚悟が決まった。ずっと分かっていたけど、いつだって逃げてきた過去を直視する覚悟だ。



 これは、元凶を絶つたった一つの方法。お兄ちゃんが、二度とお母さんにこんな顔をさせない方法。



 私の片思いを、終わらせる方法。



「あのね、お母さん」


「なぁに?」


「一つだけ、教えて欲しいの」



 そして、ようやく最後のパーツを手に入れた。



 もう、誰も逃げられない。



 お兄ちゃんも、私も。



 × × ×



「ただいま」



 家に帰ると、お兄ちゃんは机に突っ伏して眠っていた。



 どうやら、直前までお酒を飲んでいたらしい。机の上にはハイボールが残ったグラスと、小分けにされたチョコレートが幾つか転がっている。



 パソコン、音楽は掛かったままだ。シンガーは、カエデ・クロキ。最近流行りの、若きジャズピアニストらしい。



 この人、いつも悲しい曲ばっかり弾いてる。だから、私は好きじゃない。



 だから、静かにマウスを動かしてプレイヤーを閉じた。



「風邪引いちゃうよ」



 背中を叩くと、お兄ちゃんはゆっくりと目を覚まし、「おかえり」と呟いてから洗面台へ向かった。



 顔を洗って、シャコシャコと歯を磨き、水道で水を汲んで一口。深くため息をついて、再び椅子に座った。



「疲れてるなら、ベッドで寝ないと」


「大丈夫だよ」


「元々、お兄ちゃんのだったんだから気にしないでいいでしょ」


「今は、ミコのモノだからな」



 ポリポリとこめかみをかいて、チョコを摘んだ。歯磨きをしてすぐに食べると、一口目はチョコミント味がするからお得で好きらしい。



 こんな事、他の女の子が知ったら幻滅する。ケチ過ぎてみっともないって、残念がるに決まってる。



 ……だから、私しかいない。私だけが、理解してあげられるのだ。



「でも、今日からはベッドを使えるよ」


「新しい部屋、見つかったのか」


「違う、お兄ちゃんが私のカレシになるから」



 言うと、お兄ちゃんは寝ぼけ眼を少し開いて微笑んだ。



「どういう意味?」


「もう、誤魔化されないよ。ここで決着をつける」


「随分、強い言葉を使うんだな」


「だって、そうしないと分からされるから」



 今日だけは、見惚れたり喜んだりしちゃダメ。だから、毅然としていなきゃいけない。



「俺は、何を聞けばいいの?」



 罠だ。



 また、いつものように私から言葉を引き出して、そのうち返す弾を無くさせる罠。訊く事を訊けば、相手は乗ってしまうに決まってる。



 何度も、この言葉にやられてきた。今なら、全てがここで踏みとどまる為の布石だったって思える。



「別に、何も聞かなくていいんだよ。私が、少し長い愛の告白をするだけ」



 そして、私は大きく息を吸い込んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] クライマックスかあ。 さて、なにを言うのだろう。
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