第18話 彼らが天使だなんて、誰が想像出来るの?
× × ×
「ごめんください」
「はぁい」
それは、とある休日の事だった。
掃除を済ませてから、お兄ちゃんの枕の匂いを嗅いでいると、突然来訪者が現れた。
扉の前に立っていたのは、黒いスーツを着た坊主頭とソフトモヒカンの二人の男。言っちゃ悪いけど、どう見ても普通の人間ではない。
明らかに、死線を超えて来た額の皺と、首元まで伸びている刺青。体も、お兄ちゃんよりもっと大きくて。ジャケットを捲ったら、拳銃の一つでも出てきそうな雰囲気だ。
「ど、ど、どちら様ですか?」
頼んでいた睡眠薬が届いたと思ってつい扉を開けてしまった私は、思わず震えてしまった。この二人、一体何者なのだろうか。
「コウ君、いる?」
「い、い、いませんけど」
「君、コウ君の彼女? 羨ましいじゃん」
勘違いに喜ぶ暇も無く、目を逸らしながら答える。
「えっと、妹です」
「へぇ、そう」
全然、私になんて興味ないって様子だ。この人たちからすれば、私はおこちゃまもいいところなのだろう。
悔しいとさえ、思う隙も無いけど。
「俺ら、コウ君に就職支援してもらったモンでさ。ちゃんと資格が取れたから、礼を言いに来たんだ。これ、菓子折りね」
言って、坊主頭の人が紙袋を寄越した。駅前の有名店の、高級もなかだ。あずきクリームが入ってるヤツ。
「そ、そうだったんですか。ご丁寧に、ありがとうございます」
「でさ、俺らS市を出る事になってさ。だから、お別れの挨拶もしたかったんだけど。急に来て悪かったな、妹ちゃん」
なんだか、寂しそうな表情だった。
家を知ってるって事は、お兄ちゃんが教えたんだろうし。今は、悪い人じゃないのかな。
「あ、あの」
「うん?」
「よかったら、部屋で待っていて下さい。兄も、もう少しで帰ってくると思いますので」
「いいよ、俺らおっかねぇだろ」
あっさりと、断られてしまった。正直言って、意外だ。
「でも、兄もそろそろ帰ってきますよ」
「なら、ここでいいよ」
そして、二人は扉の前の柵に寄りかかると、ボーっと空を見上げた。
「……あの、これよかったら」
差し出したのは、一度戻って持って来た微糖の缶コーヒーだ。お兄ちゃんが、会社から時々持って帰ってくるけど、私は苦いのが飲めないし、お兄ちゃんはブラックしか飲まないのだ。
「ありがと、妹ちゃん」
「いただきます」
所作を見て、少なくとも私の同期の子たちより、正しい礼儀作法を知ってるんだと思った。やっぱり、その筋の人たちだったのかしら。
どうなんだろう。よく、分かんない。
「コウ君、今日も仕事?」
「は、はい」
「忙しいね、あの人も」
言って、ソフトモヒカンの人が小さく笑った。
「兄の事、よくご存じなんですか?」
「知ってるよ。結構、長い事面倒見てもらったから」
「俺ら、ネンショ―上がりでさ。シャバに出て困ってた時、コウ君が助けてくれたんだよ。ここ一年くらい、ずっと見て貰ってさ」
……え?ちょっと待って?
「失礼ですけど、お二人は何歳なんですか?」
「今年、18歳になったよ」
年下じゃん!嘘でしょ!?こわっ!
「あんなに尽くしてくれる人、見たことなかったからさ。俺らも、ちょっと頑張んなきゃなって思えたんだ。だから、カタギになれたのよ」
「俺らの親、結構救えないヤツらでさ。何も教えられなかったし、だから、コウ君に会うまでは勉強どころか漢字もほとんど読めなかったんだぜ?」
「お前、漢字以前にカタカナの『ヲ』が分かんなかったもんな」
「へへ、うるせぇよ」
今までに見て来たどの人間より、明るい性格をしている二人だと思った。陽キャとか、そういうレベルじゃない。
「だから、感謝してるんだ。マジで愛してる、最高の兄貴って感じ」
「俺も、コウ君だったら結婚したいもん。これガチ」
「そ、それはダメですよぉ……」
小声で否定すると、二人はニヤニヤしながら私を見た。
「妹ちゃんさぁ、全然コウ君に似てないな」
「あの、義理の妹なので」
「へぇ、だからコウ君の事好きになっちゃったんだ」
まぁ、誤魔化す必要もないか。
「なんで分かったんですか?」
「そのワイシャツ、コウ君のヤツでしょ。俺、よく分かんねぇけど、普通の妹は兄貴のワイシャツ着ねぇと思って」
言われ、私は自分の格好を見る。お兄ちゃんのワイシャツと、下はホットパンツで生足だ。
少し、無防備過ぎたって、今になって気づいた。
「あ、あはは。まぁ、大好きです。はい」
「ウケる」
「仕方ねぇよなぁ」
初対面で、兄が好きだなんて知って、感想はそれだけらしい。
私が言うのもなんだけど、普通は引くでしょ。
「でも、落とせないだろ」
「まぁ、そうですね」
「ありえないくらい、女と絡むの拒んでるもんな」
「理由は訊かねぇけどさ、ずっと勿体ねぇって思ってたんだ。だから、妹ちゃんがコウ君を落とせるように、いい事教えてやるよ」
「コーヒーのお礼だな」
いい事って。ずっと一緒にいた私なら、大抵の事は知ってると思うけど。
「な、なんですか?」
「コウ君って、ウィスキーしか飲まないだろ。ハイボールか何かにして」
「そ、そうですね」
「あれな、他の酒を飲むと一瞬で酔っ払うからなんだぜ。マジで、別人になる」
「……ま、まま、マジなのですか?」
「マジなのです」
この、確実に私の人生の中で最も恐ろしい見た目をした二人が、何だか聖女と天使に見えてきた。
「酔っ払って、メガネ外したらいよいよツモよ。マジでふにゃふにゃになる」
「頑張ってるのも、本当は誰かに褒めて欲しいからなのかもって言ってたぜ。グデーってなりながら」
「確か、死んだ母さんがどうとか。まぁ、冗談めかしてたけど」
……そういえば、頭を撫でてくれって。あの時は、私に責任感をくれる為だと思ってたけど。
もしかして。
「つーか、あの時のコウ君やたらエロかったよな」
「いや、エロいってどういうことですか?」
「写真あるぞ、見る?」
「見る見る!」
坊主頭の人のスマホには、メガネとネクタイを外してボタンを二つ開け、赤くなりながら悲しげに笑うお兄ちゃんの姿があった。
トロンと下がった瞼に、いつもはフレームで隠れている涙ボクロ。少し首を傾げて、きっと「ばか」と言ったのだろう。小さく、口が開かれていた。
「さ、誘ってやがりますね」
「だろ?」
確かに、この顔と乱れ方はエッチだ。私に襲われても、文句一つ言えないに決まってる。
「この写真、貰っていいですか?」
「いいよ、ライン教えな」
という事で、私は二人と連絡先を交換してお兄ちゃんの写真をゲットした。
まさか、こんなにいいモノが手に入るだなんて。
「あれ、二人とも。お疲れさま」
「コウ君! お疲れっす!」
写真に見惚れていると、二人は帰ってきたお兄ちゃんに向かって深々とお辞儀をし、それからニコニコ笑って話をしていた。
どうやら、二人は本当にお兄ちゃんのことが大好きらしい。旅立ちには少しの悲壮感もなく、明るくて楽しいハグを交わしていた。
お兄ちゃんが、その手に何かを抱えるのが、実は死ぬほど羨ましかったけど。
「頑張って、ずっと応援してる」
「うす、コウ君も頑張ってくださいね」
「また、何年後かに会いましょうよ」
そして、二人は帰っていった。お兄ちゃんは、そんな二人を廊下からずっと眺めている。
きっと、私と似たような過去を経験している二人があぁなってしまうのは、当たり前のことだったのかもしれない。
そんなことを、密かに思った。