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パティスリー『はちあわせ』  作者: うわの空
ミルクレープ
10/11

1

 

 ここまで気が合わない奴が、この世に存在するのか。

 そう思わせる人間は残念ながら存在する。

 私の場合、この男がそうだ。



「「げっ」」


 おっさん二人の低い声が、店内に響いた。

 私たちの姿を視認した少女、あこちゃんが「あちゃー」といった表情をする。彼女はよくこの店の手伝いをしているので、常連である私の顔を覚えている。同じく常連客である、この男の顔も。

 ――なんだって毎回毎回、この男と鉢合わせてしまうのか。


「……お前、行きつけの店をかえてくれないか」


 私が話しかけると、無精ひげのオヤジが「はあ?」と眉根を寄せた。


「お前がかえろや。ワイはここに通い詰めて十五年になるんや」

「私だって十五年だ。……わかった。行きつけの店はかえなくていいから、今日は帰ってくれないか。明日出直してくれ」

「アホぬかせ。出直すのはお前やろ。ワイは今日、どぉーしてもケーキが食べたいんや」

「その顔でケーキとか言うな、似合わん」

「お前に言われとうないわ」


 私と無精ひげオヤジの間に、見えない火花がバチバチと散った。


 ちなみにこのひげオヤジとは、ここ『Patisserie Bee&Bee』でよく会うが、互いの名前を知ろうとしない程度に仲が悪い。なので私は内心で、こいつのことを「ひげオヤジ」と呼んでいる。

 多分関西人。

 同年代っぽいので五十代前半。

 私と同じく独身。

 だと思われるが、どれもこれも本人に確認していないため真偽は不明である。訊こうとも思わん。


 私はひげオヤジを無視して、ショーケースを覗き込んだ。

 キラキラと輝く美しいケーキたち。どれもこれも魅力的だが、今日食べるものはすでに決めてある。

 ショーケースから視線を上げると、私たちのことを見守ってくれていたあこちゃんと目が合った。

 ……すまないね、あこちゃん。いつもオヤジたちの変な会話を聞かせて。

 私はあこちゃんに笑いかけ、言った。


「「ミルクレープひとつ」」


 ――またしても被った。


 私とひげオヤジは、不機嫌な顔を互いに向ける。

 それから大きく息を吸って、


「「イートインで!」」


 ――……なん…………だと………………。


 私はひげオヤジを睨みつけた。


「おい。メニューから何から被せてくるんじゃない。気持ち悪いな」

「お前が被せてきたんやろが。きしょすぎて鼻水出たわ」

「飲食店でよくもそんな汚い単語が使えるな。品性のかけらもない」

「額から汗噴き出とる汚らしいおっさんに、品性とか言われとないわ」

「こ、これは……! 外が暑かったからでっ」

「あのう……。お取り込み中すみません」


 あこちゃんが申し訳なさそうに、我々に声をかけてくる。「あこちゃんはなんも悪くないんやでえ」と、ひげオヤジが猫なで声で言った。きもい。

 あこちゃんはひげオヤジのきもい声に苦笑してから、そっとイートインスペースを指す。


「イートインスペースなんですけど、現在手前のテーブルが故障しておりまして……」


 私達はあこちゃんの指し示す方に目を向けた。確かに手前のテーブルには赤色のカラーテープが張り巡らされ、「使用禁止」と書かれたA4用紙がはりつけられている。

 この時点で私はぞっとした。というのも、このケーキ屋にテーブルはふたつしかないからだ。

 そのうちのひとつが壊れているとなると、当然ながら、


「相席になってしまうのですが、よろしいでしょうか」


 こうなる。


「「よくない!」」


 私とひげオヤジは大人げなく叫んだ。お互い、相席したくないレベルで毛嫌いしているわけだ。そこは気があう。

 しかし、それじゃあケーキをお持ち帰りしたいかと言われると、これも違う。


「……お前、テイクアウトすればいいだろう」


 私が言うと、はんっとひげオヤジは鼻で笑った。


「店内で紅茶と一緒に食べるのを楽しみにしてきたんや。お前こそ持って帰れや」

「私はコーヒープレスを楽しみにしてきたんだぞ。コーヒーはテイクアウトできん」

「なんやとコラ。ケーキにはストレートティー、これしか勝たんやろが」

「お前の常識を私に押し付けるな。ケーキには、コーヒーだ」

「それでえっと……どうなさいます?」


 あこちゃんが控えめに問いかけてくる。私とひげオヤジは、同時に彼女の方を向いた。


「「もちろん、イートインで!」」


 あこちゃんが眉をハの字にして、愛想笑いしたのがわかった。



       *



 ひげオヤジと知り合ったのは、やはりこの店が最初だった。というよりも、ここ以外でこの男と出会ったことは一度もない。

 ケーキが食べたくなって店に行くと、必ず出くわす厄介な男。それが、ひげオヤジ。

 人間には「生理的に無理」というものが存在する。私にとって彼がそうであった。


 初めて出会った時――その時も店の都合で相席になったのだが――私はすでに彼が嫌いだった。そこに特別なエピソードはないし、決定打となった発言も行動もない。ただ互いに「こいつは苦手だな」と考えている雰囲気はあった。

 だというのに、店に来るたびにこの男と会うし、なんの因果か知らないが百パーセント相席になる。

 私は、故障しているテーブルをうらめしく思った。どうして今日に限って故障しているのか……。というかどこが故障しているんだ? 案外使用しても問題ないのではないか。


「あっちで食ったほうが美味そうやな」


 私と同じことを考えていたらしいひげオヤジが、カラーテープだらけのテーブルを見て呟いた。私は「ふん」と鼻息を漏らす。


「使ったらどうだ? 壊れているテーブルなんて、お前にはお似合いだ」

「っかー! なんやその態度、腹立つわー」

「――そちらのテーブルは脚が折れかけているせいでかなりガタついてます。お食事するのは難しいと思いますよ」


 私とひげオヤジのドリンクを持ってきたあこちゃんが、忠告するようにそう言った。

 流石に我々もいい年こいた大人なので、使用禁止と書かれたテーブルをわざわざ利用することはない。しかしあこちゃんには、座ってもおかしくない状況と思われたらしい。


「いややなあ、あこちゃん。今のはジョークやで、ジョーク」


 ひげオヤジはそう言って、アイスティーを受け取った。私はコーヒープレスと砂時計、角砂糖にミルクも貰う。


「にしても寿命か? あのテーブル、まだ綺麗そうやけどな」


 紙おしぼりを開けながら、ひげオヤジがあこちゃんに尋ねた。木製のテーブルには確かに色ツヤがあり、使い古されたものには見えない。

 あこちゃんは「ああー」と困ったように笑った。言葉を選んでいるように見える。

 私はピンときて言った。


「もしかして、お客さん同士で揉め事があって、それで壊されたとか……?」


 私の言葉に、ひげオヤジも「ああ」と指を鳴らした。


 というのもこの店、何故だか知らないが店内で喧嘩する客が多いのだ。


 十五年も通い続けているといろんな光景を見るが、「ハッピーファミリーの日曜日」とか「ラブラブバカップルのデート風景」といったものを見たことはほとんどない。逆に、「不倫がバレて修羅場の夫婦」とか「別れ話の最中に暴れだす女」などは見た。

 つまるところ、嫌な言い方にはなるが、何故だか治安が悪いケーキ屋なのだ。

 ケーキ自体はおいしいし、スタッフにもなんの問題もないはずなのだが。


「そらまた、どエラい喧嘩やったんか? 大変やなあ」


 ひげオヤジの質問に対し、あこちゃんは「あははー」と棒読みで笑い、去っていった。それが答えだった。


「……分かっているとは思うが」


 ストローでアイスティーの氷をがしゃがしゃとかき回している男に言う。


「私は、いくら相手がお前だろうと、喧嘩でテーブルを壊すような野蛮な真似はしない。……お前がどうかは知らないが」

「アホ。ワイは物に当たるような小っちゃい男とちゃうんや。……お前がどうかは知らんけどな」


 お待たせしました、という可憐な声とともに、ミルクレープがふたつ、運ばれてきた。




 ミルクレープはまさにスイーツ界の芸術品だと思う。


 私は運ばれてきたケーキをためつすがめつ観察し、そして感嘆した。

 この店のミルクレープは、果物が一切入っていない。土台にタルトやパイ生地などが使われていることもない。

 クレープ生地とホイップクリーム、このふたつのみで勝負している潔い一品。そこがまず好きだ。最近ちまたで見かける、「映え」を狙っていそうなカラフルなものより、こういったシンプルなもののほうがいい。

 生地、クリーム、生地、クリーム。どの層も丁寧に重ねられていて、「ここだけちょっとホイップが少ない」とか「この一枚だけ生地の焼き色が濃すぎる」といったこともない。こういったところに、パティシエの几帳面さがよく出ていると思う。


 ――では、頂くとしよう。


 私はコーヒープレスを手元に用意し、フォークを手に取った。


「いただきます」


 フォークを横にして、ケーキにあてる。そのまま慎重に、一番下の層まで進めた。フォークが皿とぶつかり、かちんと小さな音が鳴る。


 ――よし。あとは、切り崩した部分が汚くならないように……。


 こぼさないよう、そして崩さないよう慎重に、切りとったケーキを口に近づける。あまいクレープ生地とバニラの香りが強く感じられた。


 ……ああ、すでに幸せだ。自分の部屋をこの匂いにしたいくらいだ。


 口の中に入れると、ホイップクリームがほわりと溶けだした。噛んでやれば、何層にも重ねられたクレープ生地とクリームが混ざり合い、一体化していく。

 なめらかなクリームと、柔らかくもちもちとしたクレープ生地とのハーモニー。


 ――……美味い。


 やはりケーキは一口目が一番美味い。私は目をつむり、ミルクレープの甘みを堪能した。

 そしてゆっくりと開眼し、コーヒーを一口飲む……。


「って、はあ!?」


 思わず声を上げた。


「なんやねん。騒々しいオヤジやな」


 私の目の前にいる男――ひげオヤジは鬱陶しそうにそう言うと、フォークに巻き付けた一枚のクレープ生地を頬張った。


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