06。思い出した
ザッブン
「うあ」
バチャバチャ
「う、あぁ」
ブオー ボオー
「ま、待って…いか…うばぁ、ゲホッ、ゲホッ」
海人が海に落ちたことなど誰も気がつかない。部屋に戻ってこない彼を気にしだすのも暫くあとのこと。
船酔いの気分転換のために新鮮な空気を吸いに行って、気分がよくなりそのまま部屋に帰ったのだろう。
そんな風に考えられても不思議ではない。なにせ動ける者たちは不馴れな船上での看病に大忙しなのだから。
「ハァハァ……何とかしないと」
洋服を着たまま泳ぎ続がされることになり、不安と恐怖で息が荒くなっていた。辺りに掴まれるものなどない。今浮かんでいるのは海の真っ只中なのだから。
加えて白波がそこかしこで暴れている悪条件。焦らないはずがない。
『…おちついて…』
「えっ?なに?」
誰かに呼び掛けられた気がした。そんなことがあるはずがない。
『…あわてちゃダメ…おちついて』
「落ち着いて?」
落ち着けと言われてそう易々とできる状況ではない。
落ち着け、落ち着け。
海人の頭のなかに同じ言葉が繰返し流れた。
「あっ!」
去年の夏休み前だ。プールに制服を着たまま落とされたんだ。なにも告げられずに授業中に、しかも当時の担任から。その時も慌てた。
訳もわからず、冷静になれば足がつくのに溺れかけた。
『水難事故の訓練だ』
僕を引き揚げた担任は生徒全員に向けて言った。
『緊急事態はいつくるかわからない。今からやりますよぉ、何て教えてくれないんだ』
担任の眼はいつになく真剣だった。
『何が起きてもまず冷静になれ。焦らずに一度、落ち着け』
その時は、溺れかけた恐怖と落とされた怒りで落ち着けなかった。
その後の水難事故の対策講義も頭に入らなかった。服を着たまま入水したときの対処もあった気がするが、覚えていない。
翌日、担任は謝りに来た。申し訳なかったと。初めて受け持った学級の生徒が川で事故に遭ったこと。普段からよく相談されて親しかったこと。海人がその生徒とよく似ていて重なったこと。
辞表を握りしめやり方は間違っていたが、絶対に伝えたかったのだと。
担任は涙を流し謝り続けた。その後、父に付き添われて学園長のもとへ赴いた。
『…あわてるな、おちつけ…』
あのときのことを思い出したからと言って冷静に落ち着けるような状況ではない。
それでもやらなければならないことは明確になった。
生きるんだ。生きるのこるためには泳ぎ続けるんだ。諦めずに抗い続けるんだ。きっと方法は見つかる。諦めなければいつか…。
とうとう海に落ちました。
海に選ばれた彼が…