ブレス・ユー
音楽が微かに流れている。聞き覚えのないクラシックだが、耳に心地よい。ベッドシーツに色彩がちらつく。タバコ臭い。
裸の彼が私に背を向けて、ベッドの端に座っている。その背中はやや、丸まっている。彼はじっと、テレビに映るオーケストラの演奏を見ている。聴くのに集中しているようにも見えるし、ただ眺めているだけのようにも見える。
遠くでパトカーのサイレンが鳴る。演奏が終わり、やがて訪れる静寂。タバコの灰が落ちる音も聞こえそうだ。
彼が何か呟いた、ような気がした。私にはそれが、「別れよう」と言っているように聞こえた。よく見ると、彼の横顔は微笑んでいた。苦笑いのようにも見えた。
私はこの暗い部屋で、彼が隣にいるにもかかわらず、孤独でいるような気がした。彼には彼の家庭がある。そこでは、私に見せたことのない、平和な顔で笑っているかもしれない。
私は一人だ。友達もいない。いくらきつく抱きしめてもらっても、拭いきれない孤独が、体の内側から寒気として浸ってくる。
かつて彼は、自分のことを偽善者だと言った。
あれはたしか、雨の日で、私たちは喫茶店にいた。私たちは黄昏時によく、その喫茶店で時間を共にしていた。
彼は自らを偽善者だと言って、その後すぐに「ぼくを偽善者にするのは君だ」とつけ加えた。私がその意味を尋ねても、彼は何も言わず、コーヒーを啜るだけだった。
本当はあの時、意味を尋ねなくても、彼の真意は伝わっていた。だから私は今、哀しいし、孤独を拭いきれないのだろう。
おもむろに彼は、ベッドの端から立ち上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、私に差し出した。どうしてかと思ったら、気づいた。どうやら私は泣いていたようだ。自分でもびっくりするくらい、シーツが濡れていた。
私は一息で、ミネラルウォーターを半分ほど飲み干した。
「一本、吸う?」と彼は、タバコを一本、ケースからのぞかせて、無邪気に笑った。
「うん」とうなずいて、私も笑った。
初めてのタバコは、苦くて、むせてしまった。でも、隣で笑う彼の顔を間近で見て、気づいた。
人は孤独だから繋がれるんだ。
目の端に浮かぶ涙を手の甲で拭い、私は彼の胸に飛び込んだ。
いつ終わりが来るかわからないけど、私はいつまでも、彼の幸せを祈るだろう。