そして、前へと進みだす
「やけにザックリだな」
凍り付いた艦橋でようやく艦長が口を開く。
「仕方がありません。何年といった正確な事までは計算ができるわけではありませんので。西暦1300年前後100年弱の間ではないかと」
それはあくまで今現在のさくらの位置が変わっていなければという但し書き付ではあるが、よほどの大移動が起きていない限り、北極星の位置が大きくずれているのに外の気温に大きな変化が無いというのだから、疑う余地は無いだろう。艦橋の幾人かはそう考えた。
「しかし、それは本当なのか?そりゃあ、月がいきなり三日月というのは確かにおかしい。それは分かるんだが・・・」
やはり、タイムスリップの可能性を受け入れられない面子というのは居る。では何故、昨日満月だった月が、今は三日月に見えているのか説明が出来るわけではない。ただ、現状をどう認識すべきか迷っているに過ぎない。
「いずれにしろ、夜にあれこれ確認できる手段は限られている。夜明けを待って確認する方が確実でしょう」
航海長のその一言で始まろうとしていた終わりのない論議は未然に防がれた。さて、後は、皆が肉眼でも確認できるようになったひのきを見ていた。一体あちらではどのような認識を持っているのかと。
それから少しして、ひのきがさくらの近くまでやって来た。
やはりと言うか、ひのきではタイムスリップという説を信じていないらしい。
「さくらもトラブルを起こしているという事でよろしいか?」
信じていないと言うか、今わが身に起きている異常事態を信じたくないといった方が適切だろう。幾度かの意見の往復でひのき側からの確認はそれだった。
「いえ、こちらとしては、月と推定現在地から天測を逆算した結果、『今日』以外のどこかへ飛ばされたと仮定しています」
結局、意見の隔たりが埋まる事は無く、先ほどのさくら内でまとまったことをそのままひのき側へも伝えることでようやく無益な通信の往復を終えることになった。
双方とも、何かおかしい事が起きているのは確かだから、無暗に動かないでおこうという事だけは共有出来る様になった。
二隻の間での情報共有が終了し、夜明けを待つこととなったひのき側では、夜明け以後の行動について話合われていた。
ひのきにおいても、月が三日月であることは認識されていた。それがおかしい事は認識していたが、艦長や航海長らが全く触れないので、誰も話題にしなかったに過ぎなかった。
「さくらでは、700年前へタイムスリップしたという話になっているらしい。俄かには信じられないし、そもそもこちらは東シナ海に居るはずがない」
「しかし、現にさくらが現れてしまいました。少なくとも、我々がもといた場所からの推定位置に拘るのは危険です。もし、我々の推定位置が確かであれば、そろそろ北海道の山並みが水平線に見えだす頃です。夜明けを待って確認するしかないでしょう。さくらと我々、どちらの認識が現実なのかを」
ひのき側では夜明けとともに北海道の山並みが水平線に見えるだろうという意見が大勢だった。
「あの、良いですか?」
若い科員がその場に手をあげた。艦橋の幹部が発言を促す。
「さくら側の言っているタイムスリップ説についてです。星座からおおよそ、艦内の時計と時差がない事を確認して天測を行いました。結果として、ここが五島列島沖の東シナ海と仮定した場合ですが、確かにあちらの言う様に、700~800年前という事になりそうです」
艦橋ではお前まで何言いだしてんだという顔をする者が多い。
「北極星というのは地球の歳差運動によっていくつかの星に移り変わっていきます。現在の北極星であるポラリスも完全に天の北極に固定されておらず、動いています。この角度を詳細に測定し、歳差運動による星の位置を計算することで、現在時間を逆算することが出来ます。そのため、ここが東シナ海だというならば、彼らの主張は間違ってはいません。もし、我々や彼らの『現在位置』が双方の考える場所と違うというのであれば別ですが、そうなると我々は一瞬にして本州を飛び越えて太平洋上に居ることになってしまいます」
そう言われては返す言葉が無かった。確かに日本海らしくない海象を目にしているので、誰もがここを日本海だと自信を持って言えなくなっていたことは確かだった。
「じゃあ、どうする。このまま南下しても北海道はおろか日本自体が無いかもしれん」
そう言う話になってしまうのは当然だった。
「それなら、UAVを出して辺りを見ればどうでしょう」
一人がそう提案した。
かえで型哨戒艦の固有武装は76ミリ砲1門、20ミリバルカン砲1門、12.7ミリ機銃2丁である。しかし、小型護衛艦の補完として、水陸両用戦や機雷戦を行えるように余剰スペースを設けている。そのため、30人しか乗り組んでいないのにまだ20人程度の乗り組みが可能なスペースがある。艦の後部には広い平甲板も備えており、状況に応じて大型ゴムボートや機雷掃海具を設置したり、ヘリの離発着が可能となっている。
余市防備隊や舞鶴哨戒隊の哨戒艦にはそうした余裕を利用して、密漁船や密航船の監視、追跡を念頭にUAVが搭載されていた。
本来の装備として計画された高級なGPS連接型ではなく、急場しのぎに開発された標的機をベースにした機体でしかないが、簡易なカタパルトで発進させ、回収は艦尾に設置してある専用フックで引っ掛けて行う。
活動時間もせいぜい数時間でしかないが、艦の周りの船舶の監視や追跡程度の事であれば十分役に立っている。データリンクの様な連接機能は無いが、警戒監視だけならばそれで十分だった。
「まずはUAVで周辺を探るか。それで北海道や東北なり九州が見えれば御の字だ」
そう決まった時にはすでに東の空が白み始めていた。
日の出の少し前、ひのきからさくらへと連絡があった。まずはひのきに搭載されたUAVで周辺を探るので、行動はUAVでの探索後にしようというのだった。さくら側でもそれに異論は無かった。
UAVの準備が整ったのは既に日の出を過ぎて辺りが良く見渡せるようになってからだった。あたりは水平線しか見えない。
UAVの映像はひのきを中継してさくらのCICへも送られており、リアルタイムで見ることが出来た。
まずは射出されて高度を取った。そして東へと向きを変える。
「お、島が見えるじゃないか」
さくらのディスプレイに映し出された映像には高度を取って東へ向いた途端、島影が映り込んでいた。UAVはそちらへと近づいていく。
「間違いない、あれは五島列島だ」
さくらの乗組員にとっては見慣れた山並みだった。そして、ひのきへもその旨を伝えた。
二隻は五島列島へと向かう事を決断し、行動を開始した。佐世保への帰港を考慮した結果、まず向かうのは宇久島であった。
しばらくすると水平線の先から島影が見えて来る。ここですでに異常な事に気が付いていた。
「レーダーに大型船が映りません。先ほどから島影は捕らえているので故障という線はあり得ません」
オペレーターのそんな声だった。それは見ればわかる。対馬海峡にまるで大型船が居ないというのはおかしい。
かえで型哨戒艦は対空兵装が無いので、本来対空レーダーは備えていないのだが、76ミリ砲を管制するために射撃管制レーダーを備えている。当然だが、射撃管制レーダーは対空レーダーとしても機能する。 FCS2がない現在、多少贅沢ではあるが、三菱が開発した小型護衛艦の統合電子マストの簡易型を装備しているので、空の全周警戒も出来る。GPSが無くともUAVの運用が出来るのも、このレーダーのおかげだった。
だからこそ、五島空港を離発着する飛行機や対馬海峡上空を通るであろう国際線の旅客機、或いは自衛隊や海上保安庁の機体。それら一切を探知できないことは更なる異常だった。当然だが、あのUAVは探知できていたので、レーダーの異常ではあり得ない。
この現実はタイムスリップを受け入れる素地のあったさくらより、そもそも東シナ海に居る事にさえ否定的だったひのきにおいて衝撃的だった。
ひのき側はタイムスリップを受け入れるしかない、そんな空気が漂っていた。
ここまで大型船に一度も会わず、飛行機も探知していない。更には電波信号は目の前の艦以外のモノをまるで受信できていない。島影が水平線に見える状況で何らの電波受信も無いとなると、それはもう、明治時代以前に自分たちが居るのでもない限りは説明のしようがなかった。