出会い
夕暮れ時に現れる強いオレンジの光りと赤と紫のコントラストに染まる空と海。
前の世界で強く私の記憶に残っている光景。
まるで世界にひとりきり。なのに包み込まれるような安心感と解放感。
底知れない力を秘めたその光景に泣きたくなるような感覚を覚えていたものだ。
その光景を凝縮したかのような色が目の前にある。
強い光りを湛えて。
「……これが、そうなのか?」
父も兄もとても素敵な声で、私は生まれた時から聞き慣れていたけれど、目の前の人の声はぞくっとするような響きを持っていた。
……けど、人を見て「これ」とは如何に。
「久方振りですね、殿下」
お父様が私を隠すように前に出て王子に話し掛け、来訪の理由を聞いている。
私はお兄様をちらりと見上げた。
王子は私を見て言葉を発していた。その王子のお供にお兄様とくれば何となく私に関係がある事は察せられる。
「先程奥方にも伝えたが、緊急要請だ」
「……我が子らでは対処出来ませんでしたか」
お父様の声が少し鋭くなり、同時に私を包んでいるお兄様の体が強張る。それは問いかけであり、また、使う側、使われる側への呆れが滲んだ言葉だった。
「アークライヤーは既に王国の中枢へ大きな力を預けております。この上何を望まれているのか」
背中しか見えていない私には、お父様が今どんなお顔をしているのか分からない。
けれど、その背は冷気を纏わせている気がする。
「あなた」
この客間にはお兄様達をもてなしていたお母様もいて、冷気駄々漏れのお父様に声をかけ鎮めようとしている。
「お話はおかけになってからしてはいかがです?」
確かに、立ったまま重大なお話をするのもね。
お父様は一瞬お母様に視線を向け、王子と向かい合うように席についた。
「リディア、こちらにいらっしゃい」
お母様に呼ばれ、私はお兄様を見上げた。お兄様は苦笑をしながら私をお母様達のもとへ促す。
こういう、ぴりぴりした空気って不安になるなぁ。
「アークライヤーには多大な貢献をして貰っている。其方の子らの力不足でもない。」
私がお父様とお母様の間に落ち着くと王子が早速と話始める。気が急いているのは何となく分かった。
「此度東のザラクの森で演習を行っていた者達が傷を負い戻ってきた」
「想定外の魔物でも出ましたか」
「魔物が群となって襲来したと聞いている」
アークライヤーでも魔物の襲来が多くなっている。
各地で魔物の動きが活発になっていてもおかしくはない。それが何故なのかはまだわかっていないけれど。
「討伐で尻込みするような育て方はしていないはずだが……?」
凍てつくような眼差しがフラニエル兄様に注がれる。
正直に言おう。
……無茶苦茶こわいっ!
私の左半身がお父様から発せられている冷気でカチコチである。
「……ふっ、」
こんなおっかないお父様を笑うなんて大した王子だわ。ちょっと見直した。
「失礼。奥方も同じ事を言われていたものでな」
すみません、ウチはスパルタ式子育てなもので。
ちらりと見たお母様は扇で口許を隠してにっこり笑っていた。こちらもこわいっ!
「討伐に関してはサフィールとジークフリートが直接赴いている」
笑ったかと思ったら真面目な顔でお父様に向き合う王子。お兄様達が直接赴いているって事は何かしら情報を持って帰れるはずだから、こちらも準備をしないといけないかな。
「問題は怪我人だ。王家につめている魔法師が癒しを施しているが、傷が治っても苦しそうに呻くばかり。毒性があるのかと対毒魔法を行使しても、薬湯を飲ませても変わらない」
魔法師は光魔法の属性持ちで、程度の差はあれど癒しの魔法を使える。王家の魔法師は特に優秀な者が多くいるはず。
傷が癒せても症状が治らないとなると確かに神経毒とか考えるわよね。
でも、魔法も薬も効かないとなると専門家と呼ばれるわが家に来るのも頷ける。
「光魔法を扱えるイルマは隣の領へ嫁ぎました」
そうそう。王家だけでなく、各領には魔法師が常駐しているのよ。前世でのお医者様のような存在よね。
お姉様は強い適正を持っており、隣領へ求められたのもそれがひとつの理由。
始まりは政略結婚だったけれど、今ではちゃんとお互いを尊重し合える仲だとお姉様が仰っていたので心配はしていない。
お父様は相談を持ち掛ける場所が違うのではないか、と暗に王子に仰っているんだわ。
「父上、兄上からお叱りは受けると伝言を承りました」
今まで黙していたフラニエル兄様の言葉にお父様の表情が一層無くなった。
重苦しい沈黙がおりる。
「……はぁ……」
おっと、いけない。
思わずため息がほろりと。
いや、でもこんなまどろっこしい事してても事態が動くことなんてないもの。私、悪くないわよ?
だから皆してこっちを見ないでちょうだい。
「レオンハルト王子殿下、名乗るのが遅くなって申し訳ありません。リディア・アークライヤーですわ」
その場でなるべく優雅に見えるように立ち上がり、カーテシーをして挨拶。
左足を斜め後ろの内側に引いて右足を曲げるこの独特のお辞儀、初めて行った時はふくら脛がぷるぷるしたものよ。今では綺麗な所作でご挨拶が出来るようになったわ。
「こちらにいらした目的をはっきり仰って下さいませ。無駄に時間を要して取り返しのつかないことになってしまっては困ります」
「リディア」
「お母様、時は有限なのです」
突然の暴挙ともとれる私の行動にお母様は私を諌めるように名を呼んだけれど、人の命が掛かってるってことならばこの時間を無駄にする訳にはいかない。
「いらした理由は分かりました。けれど、目的を仰って下さらなければ当家は動きようがございません」
王子は目をぱちくりと瞬き、お兄様は苦笑を漏らしている。お母様も呆れているみたいだけど、知った事ではないわ。お父様の沈黙は正直こわいけれど、人命の前には敵わないわよ。
「あ、ああ……、サフィールからアークライヤーには魔物に詳しく、魔法の素養が高い者がいると聞いた。その者に尽力願いたく、フラニエルの案内で参ったのだ」
王子は驚きつつも私が聞きたかった目的を教えてくれた。これでサフィール兄様が指している人物が誰だかわかった。
お父様やお兄様達の役に立ちたくて魔物の研究も、魔法も磨いた。十中八九私の事だろう。
私はお父様の隣に再度腰掛け、その手を握りしめる。
きっとお父様は私を関わらせたくなかったはずだ。
だから言葉巧みにはぐらかしたりしていたんだわ。お父様ってば、戦闘ばかりに目がいく脳筋だけれど、伊達に社交をこなしていたわけではないのね。
流石貴族の中でも一目置かれてるだけあるわ。
「お父様」
「…………分かっている……」
能面のようになっていたお父様のお顔が、眉間に皺を寄せた人間のお顔になった。
悩ませてしまうのは申し訳なく思うけれど、私ってばお父様とお母様の子ですもの。出来る事があるならやるだけ。
あら、これはお母様に似たところだったわ。
「王子殿下、わたくしが参ります」
「……なに?」
「あら、サフィール兄様が仰っていた者が誰かご存じではなかったんですの?」
「いや……」
まぁ、では初対面の「これ」発言はなによ?
思わず首を傾げてしまったが、そんな時間もまた惜しいわね。
「では、参りましょうか」
早速と立ち上がればお母様から視線が。
ちらりと振り返ったらにっこりしてらっしゃる。
あ、これこわいやつ……。
「殿下、大変申し訳ありませんが、我が娘が赴く為の支度をさせて下さいませ」
「あ、ああ。構わない」
あら、王子は未だ混乱中のようね。
そんなふうに眺めていたらお母様が優雅に立ち上がり、王子へ退出の挨拶を行っていた。
お母様に視線で促されたので、次いでとばかりに私も続く。支度と言いつつきっとお説教が待っていると分かっているけれど。
私の名はフラニエル・アークライヤー。
たった今、愛しい妹が母と客間を出て行ってしまった。残ったのは私と王子殿下、そして氷の美貌の父。
5人の子がいるとは思えないほど若々しい父はその見目も然ることながら、未だ武に関しては化けもの扱いされるくらいに畏れ敬われている。
そんな父が溺愛している妹を父のもとから離すのは正直色んな意味で恐ろしい。
確かな強さを持つ父がいるから我ら三兄弟は安心していられた。
妹が傷つくことがないと。
末の妹、リディアは不思議な子だ。
とても理屈では語れないような存在で、そう、それは父にそっくりだと思わずにはいられない。
ただ、突拍子もない事を行ってもそこに根拠となるものがある分、リディアは理性的で聡明だ。
そして唯一父の行動も言動にも動じず理解する変わった子でもある。
長年連れ添っている母でさえ、父の行動や言動に振り回されているというのに。
王都で起きた出来事は想定外のことで、事態の終息に兄はリディアの力を借りることを決めた。
父が渋ることは分かっていたが、リディアが了承し父を説得してしまうだろうと兄は言っていた。
王都は危険が渦巻く場所だ。出来れば連れては行きたくないが、仮にも我ら三兄弟は人の命を預かる立場。
手立てがあるのに使わない選択を取れない。
せめて、信用に足る者がその立場と権威で妹を守ってくれるようにと第二王子殿下を連れてきたが……。
漆黒の髪を持つこの王子は、本来正妃となるべき立場の第二妃の子で、リディアよりひとつ上の年頃だ。
王となるべき資質を持つにも関わらず、いずれ王となるだろう兄王子を支える立場に徹している。
込み入った事情は私よりもジークフリートが知っているだろう。何しろ、奴はこの王子をいたく気に入っているからな。
ジークフリートが気に入っているから信用に足ると兄も私も思っているのは事実。
リディアが16の歳を迎えればいずれは王侯貴族の子息達が通う王都の学園で出会っていたはずだし、早くに出会って交流を持てば自主的に守ってくれるだろう。
「ジークフリートが毎日しつこく自慢する娘がどのような者かと思っていたが、確かに気持ちが強い姫君のようだな」
「自慢の娘ですので」
先程はリディアの言動に混乱していたようだが、今は面白そうに口角が上がった王子の言葉に父が至極当然のように答えている。
確かにリディアは気持ちが強い子だ。
父と母の美貌を余すことなく受け継いだかのように美しく聡明。その見目を裏切るかのようにやんちゃだが、そこがとても可愛いところだろう。
「だが、果たしてサフィールが言っていた者が姫君かどうかは私には判断しかねるな」
王子は父を強い瞳で見つめている。
王子の懸念も当然だろう。何しろ、普通の姫君は魔物に詳しくなどない。いくらアークライヤーの者だからと言われたところで、実際に見るリディアは姫君然としていて、勇ましささえ感じないのだから。
「私達がどのように伝えようと殿下は目にしてからでないと信じはしないでしょう。それは上に立つ者に必要なものでもあるのですから」
父の言葉に王子の口許が引き締まった。
次の瞬間にはため息が漏れていたが。
「そうだな。其方らが否定をしないのであれば実際に見てみるまでよ」
少し困ったような表情の王子はそう言うとそれ以上言葉を続けることはなかった。
「殿下、ひとつだけ約束をして下さい」
代わりに父が口を開く。
「申せ」
「娘を、リディア・アークライヤーを守って下さい」
悪意から。外敵から。あらゆるものから。
そのひと言にこめられた強い想いに、王子だけでなく私も姿勢を正した。
「……私の力の及ぶ限り」
「頼みます」
心配性の父や兄を尻目にやる気満々のリディア。
その前にお母様のお説教が待っている様子。
頑張れ。