第二話(担当:葵生りん)
ピピピピピピピ…………
目覚まし時計の音に目が覚め、スマホを操作して目覚まし時計を止めた。
6:30。
いつもどおりに着替えて、顔を洗って、台所に立つ。
ジャガイモ、人参、ウィンナーを切って、コンソメスープの素を入れる。コーヒーメーカーの電源を入れて、フィルターと豆と水をセットする。
洗ったレタスをちぎってミニトマトと一緒にザルにあげておく。
スープがクツクツいってきたら、フライパンを熱して卵を冷蔵庫から出す。
温まったフライパンに卵を落としてコショウを振って差し水をしたら蓋を閉めて蒸らす。
蒸し焼きにしている間に、今度は食器の用意。
食器棚にはどれもお揃いのものが3組。
(………………3組?)
頭をひねると、流しの三角コーナーに捨てられている卵の殻が3つだということに気づいた。
(この家に暮らしているのは、私と姉と………それから、それから…………あとは、誰だったっけ?)
悩んでいる間に、足音が聞こえた。
足音に重なるように、テレビが時刻を7時20分になったことを告げていた。
姉の足音にしては重い。
誰?
誰?
緊張している間にも、カチャリ、と扉が開いた。
「おはよう、優子ちゃん」
なんで私の名前を知ってるの?という問いは、心臓がどきりと飛び跳ねた衝撃でどこかにいってしまった。
バスケでもしていそうなすらりと背が高くて少し筋肉質なその男の人が目に焼き付いて離れなくなるようにと心の底で思いながら見つめる。
「えぇと、あの、おはよう……」
誰?
この人は、誰?
一緒に暮らしていて、私を知っているのに、なんで私はこの人を知らないんだろう?
冷や汗をかきながら、コーヒーをカップに注いで渡す。
「えっと、砂糖とミルクは?」
「え? 要らないよ。いつもどおりのブラック」
「あ、そうだよね。うん、たまには気分変えることもあるかなって思って」
焼けたパンを渡して、「ありがとう」とさわやかな笑顔を浮かべる男の人から無理矢理視線をはがして、お皿にレタスとミニトマトと、目玉焼きを盛りつける。
誰?
誰なの?
一緒に暮らしていて、知らないはずがないのに。
あぁそれにしてもなぜだろう。
吸い寄せられるように、見つめてしまう。
サクリとパンをかじる姿に、寝癖が跳ねそうな後ろ姿に、目を奪われる。
テレビが、7時40分になったことを告げる。
姉が起きてきた。
そして私は、姉が恋に落ち、彼が恋に落ちる瞬間を見た。
なぜだか急に、涙がこぼれそうになった。
あぁ、なんでこんなに、心の中がもやもやするんだろう。
* * *
「食べてあげよっか?」
「え?」
「消しちゃうんだよ」
「なにを?」
「ふふ、記憶を」
「誰の? なんの?」
「誰の、どの記憶でもいいよ」
「…………?」
「例えば、彼の中の君の記憶。彼の中のお姉さんの記憶。お姉さんの中の、彼の記憶。君の中の、彼の記憶」
夢現の受け答え。
背筋がひやりとして、少しだけ意識がはっきりする。
私の部屋。
多分、夜。
窓から差し込む月の光。
それを遮るように窓辺に腰掛ける男の人影があった。
「好意って、とってもおいしいんだよね」
ぺろりと舌舐めずりをしたのは、毛先が黒い白髪の男。
アイドルみたいにキレイな顔立ちの男だ。でもアイドルみたいなさわやかな笑顔ではなくて、そこはかとなく暗くて冷たい笑顔。
「君は最初、お姉さんの記憶を食べてもいいって言ったんだ。お姉さんの中の彼の記憶がぜんぶなくなったら、次に彼の記憶を。彼の中のお姉さんの記憶もぜぇんぶ食べちゃったから、昨日は自分の中の彼の記憶を食べていいって言ったんだよ」
言っている意味がわからない。
わからないけれど、でも、でも今朝、姉や彼やそして私の記憶がなかったのは、私がこの男に願ったせいってこと?
「君は彼の中の自分の記憶とどっちにするかとっても迷ったんだよ。そして結局、自分の中の彼の記憶を選んだ。変なの。彼に忘れてもらいたいって思っていたくせにさ」
どくん、と心臓が波打って、そのまま止まったように思えた。
くすくす、と男は笑う。
「――さぁ、次はどれを食べてもいい?」