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愛しい記憶喪失  作者: 紫生サラ・葵生りん・鈴木りん・長谷川
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第一話(担当:紫生サラ)

 朝のニュース番組をテレビに写しながら、私はキッチンで三人分の朝食を用意する。天気予報を告げる溌溂とした女性の上の方で音も立てずに朝の星占いが流れていく。ちょうど目を向けると、私の星座が過ぎた後だった。

 七時二十分。

 いつもと同じ時間に、彼がリビングへと起きてきた。

「……」

「あ、おはよう優子ちゃん」

「おはよう、祥吾さん」

 私は彼の反応を見ながら歯噛みしながら挨拶を返した。

 今日も忘れていなかった……。

 後ろ髪の寝癖が自己主張を始めそうなのを気にする様子もなく、彼はネクタイを絞めながらいつものようにリビングテーブルの席についた。

 私は用意しておいた朝食と落したばかりの珈琲を藍色のマグカップに注いで、彼の前にコトリと置いた。

「ああ、ありがとう」

「うん。髪、はねそうだよ」

「うん? あ、本当だ。直したつもりだったんだけどな」

 彼は右手でマグカップを口に運びながら左手で自分の髪に触れる。彼の男性特有の太く長い指の動きを私は静かに見つめていた。

 朝野祥吾。彼の名だ。今年で二十四歳になる。高校時代にバスケで過ごした事もあり、スラリと身長も高く、スーツの似合う引き締まった体付きをしている。やや不器用な所もあるが、それ以上に真面目な性格もあってか、バスケ部では副部長だった。

 私が彼と出会ったのも高校生の時。

私が一年で、彼が二年。

中学からバスケをしていた私は、高校に入ったら迷わずバスケ部に入部しようと決めていた。

二面あるバスケットコートの一面を女子、もう一面を男子が練習をする。

三十人近くいる男子バスケ部員の中で、私はすぐに彼の存在に気がついた。走っている姿やドリブルする姿、声が、動きがとかそんな事じゃない。理由もわからず目が追っていた。

中学で三年もバスケをやってきたにも関わらず、基本のパス練習でボールを手からこぼすほどにくぎ付けになっていた。

 一目惚れだった。

「はい、パン焼けたよ」

 私は焼き上がったばかりのトーストにバターを塗ってから彼に手渡した。

「うん、ありがとう」

 彼はトーストを受け取るとテレビに目を向けながらサクリとかじる。

私は、海外セレブのスキャンダルを聞き流しながら、彼の星座占いの文字を目で追う。どうやら魚座の運勢はいいようだ。

 時間は七時四十分。

 いつもと同じようにこの家のもう一人の住人がリビングへとやってきた。ガチャリとドアが開く。その音に反応して祥吾さんの視線がその方向に向いた。

現れたのは彼と同じ歳の女性。

 身長は私と同じくらい。目鼻立ちのはっきりとした端正な顔立ち、黒目がちな大きな瞳がまっすぐに彼の視線とぶつかった。

 祥吾さんは少し、震えたように私に小さく呟いた。

「優子ちゃん……あの人は誰?」

「……」

 あの人は、高岡紀子。私の姉。

 姉は、病に侵されている。原因不明の謎の病気。

 痛みも、違和感も、見た目の変化もない。自覚症状もない。

 正確には自分に何が起きているのかを知ることができない。彼女の病は記憶に関する病気だからだ。

 その記憶障害は、自分の名前や家族、過去の出来事などを失うことはない。ただ特定の人間の記憶のみ欠落するという奇妙なものだった。

姉は、自分の愛する人間の記憶が一日しかもたない。

異性に対する恋愛感情の中で最も強い感情を抱く人間、最愛の人の記憶がなくなってしまうのだ。

 私が初めて祥吾さんに会った時。その横にはすでに姉の姿があった。

姉は高校時代、男子バスケ部のマネージャーを務めていた。私が、彼を見かけ、初めて言葉を交わした時には、すでに二人の交際は始まっていた。

 私が、初めて彼を見かけたあと三か月後にその事を知った。

 驚きと共に落胆と歓喜の入りまじる複雑な感情と共に、彼の想いをすべて飲み込んだ。

 姉の彼氏だから、普通に話す機会も多くなる。何かを相談される事もある。その一方で二人の間に割って入ることがいかに困難なのかを思い知る。

姉と祥吾さんが仲よさげに話し、寄り添いながら帰り道を歩いて行くその後ろ姿を私はただ視界の片隅に置き続けた。

 その光景に何度も胸を締め付けられながらも。

 二人の交際は順調に進み、大学の時には結婚の約束までしていた。

 お互いの親公認の仲であった二人の結婚は間違いなかった。

大学三年の時、それは起きた。

 姉の中から突如として祥吾さんの姿が消えたのだ。

 病が姉を襲ったのだ。その日、デートの約束をしていたにも関わらず、姉は家でいつものように過ごしていた。

 携帯が鳴り、着信に彼の名前が出ても誰だかわからず、私に手渡したほどだった。

 戸惑う姉と失意に沈む祥吾さんを見ながら、私は鼓動が早くなるのを感じていた。

 これは、もしかしたら……!

 自分自身への嫌悪感よりも先行して、ただ願っていた。

 私が彼の隣を歩ける事を。

 自分の記憶の喪失すら自覚できない姉と祥吾さんはどれほど一緒にいられる?

 私はただ、彼のそばで彼を支えながら待てばいい。ただ待っているだけでも今まで以上にチャンスがある。

 発病から一年後。姉の症状は軽快することはなく、僅かに残っていた彼への断片的な記憶まで蝕んでいった。

それでも二人の関係は終わらなかった。というのも、姉は祥吾さんに出会うと、改めて彼に惹かれるからだ。

初めて出会った時のように好きになる。それを会うたびに繰り返す。好意を示されれば、愛情や愛着は薄れにくいものだ。高校時代から恋人関係であった二人ならなおさらだ。

 しかし、単に手をつなぐことすらも躊躇い、はにかみながら喜ぶ姉の姿は、長く恋人関係を持ってきた対応とは明らかに違う。たった一日で、僅か数時間で、恋人同士の関係が進展しないように、姉の意志を尊重する祥吾さんとの関係は手をつなぎ、言葉を交わす以上に進展はしない。それをただ毎日繰り返す。そんな関係がずっと続くはずがない。

 私は姉を思う悲愴の仮面の下で、息を潜めながら笑みを浮かべていた。

それから間もなく、また異変が起きた。

今度は祥吾さんの記憶の中から、姉の姿が消失したのだ。彼は姉と同じ病に罹ったのだ。

二人は病に侵されている。

一日の始まりに二人は出会い。恋に堕ちる。

「あの人は私の姉さん。高岡紀子っていうの……」

「紀子さん……」

一日の終わり、眠りと共に最愛の人の記憶を失くす。

私は見つめ合う二人を見ながら、テーブルの下で拳を握りしめた。

私は毎朝、早く起き、姉よりも早く彼に会う。

彼が、私の事を忘れていないだろうかと期待を持ちながら。そして毎朝その淡い期待は裏切られ、私は毎朝、二人が恋に堕ちるのを見続けた。

私は、まだ一度も忘れられた事はない。

でも、明日はきっと……




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