298 慰安旅行 4
簡単なはずだった。タケルも女神さまの加護があるから大丈夫だって言っていたし、守ってくれるようなことも言ってくれた。
それに確かに命は助かったし、誰一人死ななかったのは奇跡と言えるだろう。
では何が問題なのか。
それは……鞄だ。私の大事な、大事な鞄が海の底に沈んでしまったのだ。
タケルが言っていたように日が暮れだしたころから雨と風が酷くなって嵐がやってきた。
穏やかだった海が荒れるのはあっという間だった。青く澄んでいた空は黒い雲で覆われて、雨を次から次へと落としてくる。その雨は風のあおられて横殴りになっていた。
突然の嵐に船員たちが右往左往している。
「た、タケル~、これは本当に立っているのがやっとだよ~」
強い風と横からくる雨に目も開けていられない。
「そうだな。思っていたよりずっと酷い嵐だな」
「ねえ、船の中で魔法を使うんじゃ駄目なの?」
「こう包み込むように防御魔法を使わないといけないからこの場所が一番効率がいい」
「う~、仕方ないね」
風はどんどん強くなって、船が沈むのは時間の問題だ。
このままでは船が壊れてしまう。
私はタケルに言われたように、船を包み込むイメージで防御魔法を使った。
魔法が効いたのか船の揺れが全くなくなる。雨と風があたらなくなったので目を開けることができる。
船員が驚いた顔で私たちを見ている。それはそうだろう。この魔法は雨もはじくので嵐がやんだかのようだ。でも波の高さは目に見えるので、本当は嵐が鎮まっていないことはわかる。
「二人は魔術師だったのか。こりゃあ命拾いしたなあ」
「船長に知らせてきます」
「はあ、もう駄目かと思ったぜ。こんな嵐で助かるなんて運がいいなぁ、俺たち」
「ああ、運がよかったよ。魔術師様が船に乗ってたんだからな」
船員たちは助かったと思ったのか好きなことを言っている。運が良かったらそもそも嵐に会ってないと思うよ。
「ねえ、タケル。いつまでこの防御魔法をしていればいいの?」
「嵐が去るまでだな」
「いつ去るの?」
「小一時間かな」
「えーっ! そんなにも? 無理だよ。腕が疲れるよ」
私は手のひらを重ねて前に突き出している。これが私の魔法のイメージだった。
「イメージは頭の中にあるんだからその手は必要ないだろ」
「うーん、手を下ろしたら魔法も消える気がする」
私のイメージはしょせんそんなものだ。正式に魔法を習っていないから応用がきかない。
「はぁ? 困ったなぁ」
タケルが呆れたような顔をするけど、できないものは出来ない。
「手がプルプルしてきたよ」
自慢じゃないけど体力は全くない。助けを求めるようにタケルを見るとタケルが腕を支えてくれる。少しだけ楽になった。
でも一時間はキツイ。キツイけど頑張らなければならない。防御魔法の向こう側では荒れた雨風が猛威をふるっている。
「う~、なんかべたべたする。海水がかかったのかなぁ。風呂に入りたい」
「風呂は船を降りないと無理だ。これが終わったら洗濯の魔法でさっぱりすればいい」
いつ終わるのか、一時間は長く感じた。それでもいつかはやってくることがわかているから頑張れる。。
「はぁ、終わったぁ」
「おい、気を抜くなよ。嵐は静まったけどまだ波は高いからな」
「うん、うん、大丈夫」
嵐が鎮まって魔法を解除した私は、タケルからの注意に頷く。
腕が自分のじゃないみたい。防護魔法の使い方は変えないといけないわね。
船長さんや船員たちにも感謝されているうちにタケルとはぐれてしまった。
「重そうな鞄ですね。持ってあげますよ」
腕をぶらぶらさせていたからか、アッと思ったときには鞄を奪われていた。その船員に悪気はなかったと思う。私が大事な鞄を奪われて慌ててしまっただけだ。
取り返そうとして手を出したときに船が横に揺れて、踏みとどまれなかった私が船員を押す形で、その船員と一緒に海に真っ逆さまに落ちてしまった。
(タケル~)
心の中で助けを求めたけど、聞こえるはずがない。
波がなければ多少は泳げるのだから問題なかった。でも嵐が鎮まったとはいえ、まだまだ波は高かった。あっという間に波に飲み込まれる。
あの船員さんは大丈夫だろうか……それに私の鞄は?
海に飲み込まれているというのに、不思議と怖くなくそんなことを考えていた。