286 ウルガはスパイ―クリリside
クリリは悩んでいた。このまま立ち去るべきか、止まるべきか。
昨日のあの男を神殿で見かけたのだ。タケルがスパイではないかと疑っていた男だ。まさか神殿と関わりでもあるのか?
盗み聞きは行儀が悪いって院長先生に怒られそうだけどクリリは止まることにした。
神官らしき男と会話をしているウルガはどこにでもいそうな男でスパイには見えない。
それでもクリリはユーリアナ女神さまの石像を磨きながら聞き耳を立てていた。クリリの耳は遠くの会話でも盗み聞くことが出来る。わずらわしいことも多いけど、こういう時にはとても便利だ。
「そうか。やはりあの娘には治癒魔法が使えるのか。あの薬もそれで作り出したのかもしれんな」
ウルガからの報告を聞いた神官はブツブツと呟いている。薬と聞いてクリリには彼らの狙いがわかった。そして神官が大きな勘違いをしていることにも気づいた。あの薬は作れるものではなく、くじに当たったって手に入れたものだから、もう手に入らないのだ。
「ですがあの店には勇者様がいるようですし、これ以上は近づけません。それに女神さまの加護もあるのならそっとしておいたほうがいいのではないですか」
ウルガは昨日とは別人だった。昨日はもっと図々しく商人っぽい感じだったのに、今日はまるで役人のようだ。
神官とウルガにはクリリは見えていないのか、それとも小声だから聞かれていないとでも思っているのか周りを気にしていない。クリリの方がそんなことでいいのかと言ってやりたくなる。
「ふん、どうせ大した女神さまの加護ではないのだろう。こんな街で細々と商売しているようだし、たかがしれている。問題は勇者様だな。どうにかならないのか」
ウルガは慌てて手を何度も横に振っている。
「無理です。彼は魔王を倒した男ですよ。一見そんな風には見えないですが、一万の兵が相手でも一瞬で勝負がつくと聞いております。手を出したりしたらどんな目にあうかわかりません」
「だがあの薬が手に入れば、どれだけのお金が手に入る? お前の頭はそのためにあるのだろう。何か考えろ」
神官は諦めきれないようだが、ウルガは首を横に振るばかりだ。
「お金より命です。勇者を相手に勝負になるはずがありません」
「うーん。……そうだ、勇者は時々領地に帰ると聞いておる。その時を狙えばどうだ」
「領地に帰るのですか? それなら…いえ、彼はどこにでも転移することができるそうなので関係ないのではないですか? それにその後はどうするつもりですか。攫っても奪い返されますよ」
「ウルガ、ダメダメばかり言ってないで有効な手段を考えろ。これが今日からのお前の仕事だ。これは私だけの考えではない。上からの指示だ。逆らうことは出来ないと考えよ」
神官から最後通告を受けたウルガはガックシと頭を下げている。クリリは上にいる人たちが馬鹿だと大変だなとウルガに同情した。女神様の加護と勇者を敵に回すのは馬鹿としか思えない。神官なのにわからないのだろうか。
クリリは石像を磨いていた手を止めた。なんとなくユーリアナ女神さまの石像が動いた気がしたのだ。
だが石像はいつもと同じようにほほ笑んでいる。
(…動くはずないか)
いつもと違って洗濯の魔法ではなく、自分の手で磨いていたから勘違いしたようだ。
(それにしても神官なのに大した女神じゃないとか不敬すぎる。それにあのウルガって人、神殿のスパイだったのか。神殿関係が一番厄介だって言ってたから、タケルさんに報告しないといけないな)
クリリはユーリアナ女神さまにナナミさんの安全をお願いして、神殿を後にした。