234 吟遊詩人の唄声
「なーんだ、本当に親子丼しかないの? てっきり何か別のここだけの名物でも考えたかと思ったのに」
ご主人であるライックさんには言えないけどガッカリした私は思わず呟いてしまった。
「おいおい、人の店でなんてこと言うんだよ」
ライックさんがなぜか私の後ろに立っていた。
「ほほほ。つい本当のことを言ってしまってすみません」
「本当のことって、親子丼は一番売れてるんだぞ」
ライックさんは偉そうに言ってるけど、親子丼は自分で作れるから、改めて頼むのもなぁ。いや、待って。日本でも親子丼のすごい店があったっけ。もしかしてライックさんの親子丼も……。
「……普通だ」
「この親子丼、ナナミさんの作ったのと同じ味だね。とっても美味しいね」
クリリはこんなこと言ってるけどこの親子丼はただの家庭の味の親子丼に過ぎない。
「はぁ~がっかりだよ」
「そうかなぁ。この親子丼はとても美味しいわよ。ネーミングも素晴らしいわ。コッコウ鳥の卵と肉を使って作るから親子丼。いいわ~」
「エミリアなら気にいると思ってたわ」
エミリアは日本の食べ物が大好きだから、親子丼も気に入ったみたい。
「ゴルギーの肉とコッコウ鳥の卵で作った他人丼の方が俺は好きだよ」
クリリはゴルギーの肉が大好きだからね。
「「他人丼だって??」」
エミリアとライックさんの声だ。でもライックさんは厨房にはいってなくていいのかな。お昼時でお客さんいっぱいいるのに。
「お父さん、何サボってるのよ。みんな待ってるのよ」
娘さんのミーザがライックさんを呼びに来た。こんなお父さんを持って大変だね。
「だが、新しい料理が生まれそうなんだ」
まるで自分が新しい料理を生み出すかのように言ってるけど大丈夫なのかな。
「それって親子丼より美味しいの?」
「ああ、クリリが美味しいって言ってる」
この親子は似た者親子だね。でもさすがにお腹の空いた大勢のお客さんに囲まれて厨房に連れていかれた。ふう~これでゆっくり食べられるよ。
「ねえ、ねえ、私にも他人丼食べさせてよ」
エミリアは他人丼も食べてみたいと言い出した。クリリが余計なことを言うからライックさんだけでなくエミリアまで……本当に困ったよ。
「あー、今ゴルギーの肉が品切れなんだよね。タケルが取りに行ってくれるまで待ってて」
ゴルギーの肉は煮込む以外の食べ方だと硬くて人間には食べれない。でもカレーとかすき焼きとか肉じゃがとか他人丼とかとにかく煮込む料理には最高の食材なのだ。それでついつい使い過ぎちゃった。
「全部カレーに入れるからだよ」
クリリはそう言うけど全部をカレーに使ったわけではない。たくさんクリリとタケルのお腹に入ったんだから。でもレストランのカレーがなくなったら大変だから半分は使ったかもだけどね。
「ところで、クリリ。吟遊詩人はいつ来るの?」
そう、今日は親子丼ではなく吟遊詩人の唄を聴きに来たのだ。そしてリクエストするつもりだ。魔王退治の時の唄を聴きたいって。
「そういえば来ないね。お昼は稼ぎどきなのに変だなぁ」
クリリも頭を傾げてる。どうしたのかなって言ってるといかにもって感じの人が現れた。楽器を持っているから間違いない。彼が吟遊詩人だ。
「クリリ、吟遊詩人だよ」
「ナナミさん、良かったね」
吟遊詩人は唄う場所が決まっているのか空いている席に座るとおもむろに歌い出した。
透き通るような声、そして高音も低音も使い切る実力。この人すごい歌い手だ。
「わー、すごいね。魔王退治の唄はどんな感じなんだろう。ねえ、エミリアもそう思うでしょ」
エミリアの方を見ると固まったまま動いていない。そんなに感動しているもかしら。
「ア、アルマン」
吟遊詩人はエミリアの知り合いだったみたい。ちょうど唄が終わったところだったのでエミリアの声は吟遊詩人にも聞こえていた。
「エミリアじゃないか」
「アルマンはどうして吟遊詩人なんてしてるのよ」
「私の声が埋もれるのは世界の損失だよ」
確かに彼の声は凄いと思うけど世界の損失かどうかはわからない。
「ねえ、もしかして元カレ?」
さすがにそれはないかと思ってからかうつもりで尋ねたら、二人とも真っ赤になってしまった。アルマンさん、それって犯罪ですよ。エミリアは歳は食ってるけど見た目はクリリと同じくらいにしか見えない。
アルマンとエミリアは親子にしか見えないよ。