第八十七話 知っていても会っていなければ意味がない
ザクザクと土を掘っていく。深さは適当でいいとか初心者には一番困る指示をされたので、とりあえず止められるまで掘ってみようかな。
演劇部のお手伝いをしてから、何となく暇を見つけては出来る事を探すようになった。部活に憧れが出たのか、何となくあの空気感が楽しかったから。
とはいえエルの所は人手が足りているしプリメラの所は個人で作品を作るタイプだし、出来る事はほとんどなかったのだけど。
最終的に、ケイトの所で手伝い……なのかな、これ?遊んでるのと変わらない気もする。
「マリア、そのくらいでいいよ」
「ん、これ何を植えるの?」
「さぁ……俺は種貰っただけだし。多分改良されてるやつだから名前聞いても分かんないだろうけど」
「随分適当ね」
「学園にある植物は知らねぇ方が多いんだよ。ほら、植えるから立って」
「はーい」
すでに見慣れたケイトのつなぎ姿は、いつもと変わらず土に汚れているし本人も気にしていないのだろう。ただ私は普通に制服のまま、汚れても明日の着替えの心配は無いし作業着を持ち歩く習慣もないから。
腕を捲って軍手をすればスコップで穴を掘るくらいは楽勝だが、令嬢としてはギリギリアウトな気もする。だから普段はやらないけど、今は文化祭準備の期間だし多目に見てもらえないかなぁって思ったり。
「顔に土ついてる」
「え、嘘」
「だからタオルしたらって言ったのに。違うこっち」
「ん、だって苦手なんだもの」
私の頬を軽く撫でて離れていくケイトの指には茶色い粉がついている。一応髪だけは纏めたけど、汗を拭った時にでも着いたかな。
ケイトのいう通りタオルを巻いておけば良かったのかもしれないけど、息し辛くて苦手なんだよね。蒸れるから口回りがべったりして気持ち悪いし。
「また顔擦る前に手洗って来たら?その間に種蒔いとく」
「え、でも」
「後はこれ蒔いて終わりだから、大丈夫」
まだ作業が残っているなら手伝おうと思ったけれど、どうやら仕事はもうほとんど無いらしい。私の掘った穴の数とケイトの作業速度を考えれば、手を出すだけ無駄というかむしろ邪魔。
荷物は持ってきているし、どうせケイトは着替えずいそのまま帰るんだろう。なら私がここで突っ立っていても仕方がないし、どうせなら少し距離のある化粧室に行こうかな。鏡で他に土がついていないか確認したい。
「じゃあ、行ってくるね」
「ん、行ってらっしゃい」
視線は下に向けたまま、ヒラヒラと手を振るケイトはもう土いじりに夢中だ。
大多数には無表情にしか見えないんだろうけど、その頬が少し緩んでいる事に気が付ける人って私以外にいるのかな?
鞄の中からハンカチだけ取り出して、少しだけ早足に一番近くにある化粧室を目指した。
× × × ×
化粧室……女子トイレの意味合いが強いと思っていたけど、広すぎて本当にお化粧の為だけの部屋に見える。手洗い場も別になっているからあながち間違ってはいないだろう。女子トイレの女子力が高過ぎて落ち着かない。
「あ、もう跡がついちゃってる」
鏡に写る私の顔は見たところ特に汚れていない、ケイトが拭いてくれた所だけだったのかな。
纏めていた髪を外してみたら想像通り、元々くねくねしている天然パーマに加え高めに結ったと一目で分かる跡がついてしまっている。
生まれ持った髪質だから想定内ではあるけど、仕方がないからもう一度結ってしまおう。どうせ後は帰るだけだし。
「……よし」
最後に前髪を直して、少し化粧台から離れると全身が写る。見た感じは大丈夫そうだけど、一応スカートを叩いてみた。目で見えない何かがついてないかなーっていうのと、鏡を見ると見た目を整えたくなるよね。
くるっと回って後ろも確認してみたり。いつもはここまで気にしないんだけど、誰もいないから。人がいたら迷惑になったりするとアレだし、いくら広くてもトイレの一角。用事もないのに居座るのもね。
とはいえ、ケイトも待たせているからそろそろ戻ろうかな。
そう思って鏡から視線を外した瞬間。
「あ……」
「あら、……」
扉が開いて、入ってきた人はとてつもなく綺麗な人だった。
金糸のストレートヘア、翡翠色の瞳、白い肌に映える赤い唇。人目を惹き付ける華やかさと、触れる事を躊躇わせる儚さが絶妙なバランスで同居している。
腕捲りをしたシャツと膨らみのないスカートはカトレア様に通ずるシンプルさだが、そのギャップさえ彼女の美しさを際立たせる要素でしかない。
そして、そこで気が付いた。彼女を見た事があるという事に。
カトレア様から連想された彼女は、赤い頭巾の少女だった。
合宿場で心を奪われた演劇のヒロイン、名前は確か……クリスティン様。
「っ……」
思わず声をかけそうになったけど、冷静に考えて相手にとって私は見知らぬ相手。芸能人相手の様に騒ぎ立てるのは迷惑、最悪気持ち悪いと思われかねない。
共通の話題としてはカトレア様がいるけれど、本人がいない所で勝手に使うべきではないだろう。
ここは可もなく不可もなく、会釈だけして立ち去ろう……と思っていたんだけど。
「丁度良かった……貴女に会いたかったの」
「は……」
「初めまして、マリアベル・テンペストさん」




