第四話 難しい事なんて早々無い
簡単な事だ、そう言いたげな彼の目が私を見る。むしろ何故そうしないのだと目が語っていた。
分からないなら聞けばいい。分からないなら、教えて貰えば良い。
全く思い付かなかった提案はまさに、目から鱗。簡単な事なのに……いや、簡単だからこそ凝り固まった価値観では導け無かった答えは天啓の様だった。
大袈裟じゃなくて結構本気で。こちとら死亡フラグがかかってますからね!
「ふふっ」
「……なに、いきなり」
嬉しくて思わず笑みを溢した私に少年は不気味だと言わんばかりに後ずさった。いきなり笑った事は確かに驚かせたかもしれないけどその反応はどうかと思う。とは言え今はそれ以上に嬉しいのでスルーしてあげよう。
「ありがとう」
「……?」
「よしっ!それじゃあ、わたしは行くわ。さらば少年!」
「え──」
視界の晴れた私は相当テンションが上がっていたのだろう。
まだ何か言っている少年の声は右から左、ドレスを託し上げ走り出した私に『公爵令嬢マリアベル』の猫はどこにもいなかった。 令嬢である前に三歳児だしね、私。
短い腕にドレスの裾を抱えて短い足を必死に動かし全力疾走。
向かう先?それは勿論、お母様のお部屋。
× × × ×
「アン、お母様はおへや?」
お母様の部屋について、どっから出てきたのか分からない神出鬼没の能面メイド『アン』に問う。
勿論ドレスも髪もつく少し前に整えて、ね。何時から何処からいたのか分からないアンにはバレてるかもしれないけど、言われないから気にしない。気にしたら敗けだ、気にしたらキリがない。
「はい、そうですが……お嬢様、奥様は」
「そう、ならいいわ」
答えたアンの言葉を遮り、母の部屋の扉をノックした。
アンが何を言うかなんて、これまでの経験で想像がつく。忙しいとか、疲れてるとか、嘘か真か分からない理由で私をここから遠ざけるつもりなんだろう。
事実、ノックをした私に初めて能面が崩れた。予想外だったんだろう、お嬢様、と私を呼んだ声は焦りが伺えた気がする。感情有ったんだ……いや当たり前なんだろうけど、あまりにも能面過ぎて真面目に無感情なんじゃないかって疑ってましたよ。
「お母様、マリアベルです。はいってもよろしいでしょうか?」
「……マリア、ちゃん?」
「はいりますね」
「お嬢様──」
アンが止めるよりも早く扉を開けた。マナー的には問題だけどここで引いてしまっては前と変わらない。
止められるなら、止められる前に行動する。
少年と話して得た私の武器は荒削りすぎて諸刃どころじゃないけど、今は諸刃だろうが逆刃だろうが使わないと進めない。
扉を開けて中に入るとすぐに、窓際の椅子で本を膝に驚いた顔をした女性がこちらを見ていた。
久しぶり……なんて可笑しいけれど、私のお母様だ。絢爛豪華な部屋とは少しミスマッチな、派手と言うよりは清楚と言うべき出で立ち。こちらを見て真ん丸くさせているパステルパープルの瞳も、記憶と違わない。
「しつれいいたします、お母様」
「マリアちゃん……どうしたの?」
突然の訪問にお母様も相当驚いているらしい。親子関係としては問題有りな反応だけど今までの交流を思えば正常な反応だ。
軽くドレスを摘まみ上げて頭を下げる。了承無しに突撃お部屋訪問を強行した身として、最低限の礼儀だ。突撃している時点で礼儀云々言える立場じゃないけど、その辺はスルー。
三歳の小さな小さなご令嬢で有る私には今、幼さとスルースキルくらいしか武器が無い。自分で言ってて何たる無理ゲー。しかし達成ねば私が殺られる。使える物は最大限利用しないと。
そうと決意したらもたもたしていられない。お母様の目を見つめ、私は口を開いた。
「わたくし、お母様にしつもんがございます」
「まぁ……何かしら?」
「お母様は……わたくしのこと、おきらいですか」
「っ……!?」
言えた。ちょっと噛んだけど、及第点だろう。まだ三歳なのだから言葉が滑らかに発音出来なくとも問題は無いはずだ。今回に至っては内容が内容だし、私が噛んだ事よりも余程重要な話だ。
娘から突然の質問……なのか微妙な発言にお母様は目を瞠った。驚いているのと、内容を理解して悲しんでいる、そんな表情。
表情からすれば、嫌われてはいない……だろうか?表情を鵜呑みにするなら、私には嬉しい結果だけど……。
「ど、して……嫌いだなんて、そんな」
「ならどうして、会いにきてくださらないのですか」
そう、そこが私の楽観視を阻んでいる。
会いに来ても会って貰えない。会えなくても会いに来て貰えない。
どうやら私は自分で自覚する以上にストレスが溜まっていたらしい。傷付いた様な、心外だと言いたげな、お母様の表情がとても腹立たしく感じる。
嫌いじゃないなら、どうして会ってくれないの。会いに来てくれないの。
勝手に悲しそうな顔しないでよ、何もしてないくせに。会おうと、話そうと、行動しようともしてないくせに。私ばかり必死になって、あなたは待ってるだけ。それなのに自分だけ辛いみたいな表情しないでよ。
「わたしのほうが、ずっとずっとつらかった!!」
「マ、リア……マリアちゃ」
「さみしいのもつらいのも、わたしなのに!マリアの方がいっぱいがんばって、いっぱいきずついたのに!お母様がそんな顔しないで!!」
酷い癇癪だ。見た目が子供だから許される、私の精神年齢を考慮すると暴挙と言える光景だ。
泣き喚く私にお母様も泣きそうだ。お母様の場合は泣きじゃくる私の放った『本音』も原因の一つだろうけど。
私も初めて気が付いた私の……いや、『マリアベル』の本音。私自身と、この体の本来の持ち主である三歳のマリアベルの感情が混ざり、一つの声になってどんどん口から流れ出していく。
「マリアは、お母様がだいすきなのに……お母様にはなしたいことだっていっぱい……でも、お母様はマリアのこときらいかもって、だから、いっぱいくるしくて」
嫌いにならないで、嫌わないで、大好きだから。
本当のマリアベルも、三歳の頃思っていたのだろう。
私と同じように、お母様に嫌われているんじゃないか。
そして私以上に、不安で仕方なかったはずだ。
私と違って、本来のマリアベルは正真正銘三歳の幼子だったんだから。
不安で不安で、でもきっとマリアベルはそれを打ち明ける事無く、母も娘の不安に気付けずに……離婚を選んでしまった。理由は分からない、もしかしたらお母様も望んでいなかったかも知れない。でもマリアベルにとっては不安を確証に変える決定的な出来事。
嫌われていた。大好きな母に、愛されていなかった。
辛くて悲しくて……でも、嫌いになれなくて。行き場の無い想いが選んだ先が極端なまでの無関心。過去五周でなんの情報も無かった原因、予想の範囲内だが思っていた中で最も悲しい理由だった。
ただただ甘やかされたが故の性悪では無かったらしい。だからと言って許容される様な可愛らしい物では無いので過去五周に関しては『ざまぁみろ』としか思えないけど。
「そんな風に、思わせていたの……」
「っ……」
「……ごめんね、マリアちゃん」
泣き過ぎでしゃくり上がる呼吸、水っぽい鼻息。令嬢として、それ以前に女の子として、鼻水だけは耐えようと必死に顔に力を入れていると、ふわりとした柔らかい感触に包まれた。
「あなたは……私の全てだわ。心から愛してる、今までもこれからも永遠に……大好きよ、マリアベル」
抱き締められている。そう気付いてしまうともう駄目で、私の中の何かが溢れた。
私であって、私でない。多分『マリアベル』にとってとても重要な何か。
父でも、能面メイドでも無い。切望し続けた母親の温もりに包まれる、欠けていた、欲しかった物を手に出来た。
『幸福感』とは、今この時のためにある言葉なんだと。
「お、かぁ……さま、おかぁ、さま」
「寂しい想いをさせてごめんね。マリアベルの言う通り、お母様が悪かったの」
「う、ぁ……うあああああ……っ」
髪をすく優しい手を、柔らかな笑みを、甘やかす声を、マリアベルは初めて聞いた。
私は知っている。物心が万全の状態で生を受けた私は赤ん坊の頃に与えられた恩恵を覚えている。
でも、マリアベルは。年相応の成長をしてきたマリアベルは知らない。私が期待を抱かずにいられなかった、あの優しい笑顔も、名前を呼ぶ声も。マリアベルは今、その全てを初めて知ったのだ。
ならば……仕方がない。
初めての母の温もりと、今までの不安を払拭する愛情を、存分に感じさせてやろう。
例え、後で我に返り逃げ叫びたい程の羞恥に襲われようとも。