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第百二話 悪女顔

 運命の日、その表現が大袈裟でないくらいに、私はとんてもなく緊張していた。心臓が過剰運動を訴えて苦しくなってきているが、落ち着ける術を知らないのてどうしようようもない。

 コンテストが始まるまで後数時間、最早迷う暇もなければ逃げる隙もない。

 出場の腹は括っているが、問題は出場した後の事。

 クリスティン様は本気で、私に勝ちたいと願っている。

 だから私も……本気で負ける算段をつけなければ。


「……負けるって、どうやるんだろ」


 勝つために頑張るのは、多分簡単。実際に勝てるかはともかく、勝てる様に力を尽くす方法はある程度想像がつく。

 ただ、負けるって……頑張らない方法ってどうすればいいんだろう。一番手っ取り早いのは部屋で引きこもる事なんだけど、それが出来れば悩まないよねぇ。私が望むのは、出来るだけ本気に見えて、結果負ける事なので。

 最近私を取り巻く噂がいい感じに足を引っ張ってくれると助かるんだが。

 噂に関して正義感を発揮する者、逆に悪く言われている方に味方する者、噂と勝負は別と考える者、元々噂に興味を持っていない者。誰をターゲットにするかにもよるが、誰かに響けば誰かに響かない。そして私の望みは誰にも響かない事。


「えっと、後何分……?」


 コンテスト出場者は出番までに控え室へ集まる事になっているが、私を悪と認識している人の中へ突っ込まなければならないなんて……うわぁ、面倒。一応クリスティン様は犯人が私だとは思っていない、というよりは犯人が誰でも関係ないってスタンスみたいだけど。

 彼女の本気は伝わって来たし、だからこそ私も本気で自分のために負けようと決めたのだけど。本番数分前にも関わらず何一つアイデアが出てこない。


「あれ……マリア、まだ行かなくていいの?」


「集合しなきゃいけないんでしょ?」


「エル、プリメラ」


「あたし達も見に行くつもりだけど……大丈夫?」


「えぇ、ありがとう……」


 コンテストは全校生徒が見る物だけど、入場も退場も自由。集会とは違うから誰とどこで見ようと自由。参加率投票率はかなり高いそうだ。

 どうせ舞台上から見れば誰も彼も一緒に見えるんだけど、友達の居場所が分かる方が何となく安心する……気がする。

 ケイトは多分来ないだろうから、二人だけでも居てくれると嬉しい。


「出来るだけ前の方頑張って取るからね!」


「応援はしないけど、その分目に焼き付ける」


 友人の晴れ姿ですもんね、気持ちは凄く分かる。私が二人の立場ならそうするとも思うけど、ごめんね今回はあんまり期待しないで。

 流石にがっつり負ける気ですとは言えず、曖昧に笑っておいた。



× × × ×



「マリア」


 行きたくないという想いが反映され、ゆっくりとした足取りで控え室に向かう途中、後ろから声を掛けられた。

 声の主は見なくても分かったし、実際に振り返るとそこにいたのは想像通りの相手。


「ケイト!来ないと思ってた」


「コンテスト中はどっかでサボる」


 やっぱり……元々こういうのにあんまり興味ないし絶対強制でない、人が多いところも得意ではないから、そりゃ来ないだろう。


「なら何でここに……そろそろ人が増えてくるわよ?」


「うん、分かってる。様子見に来ただけだから」


「ん?」


「今回は、大丈夫みたいだな」


 コンテストに加え噂の事もある。火のない所にもばっちり煙が上がっている状況だから、心配してくれたんだろうな。事あるごとに頼りまくっているから、その心配は当然とも言えるし申し訳なくも思う。

 いつもならばケイトの顔を見るなり泣き付いていたけど、どうやら自分で思っているよりもずっと冷静なようだ。

 ケイトが大丈夫だというなら、その通りなのだろう。私の事は、私以上にケイトの方がよく分かっている。


「マリアの思うようにすればいいよ」


「っ、……うん、ありがと」


「じゃ、あとで」


 少し荒れた掌が頭皮をくすぐってから、離れていく際にひらひらと揺らめいた。これからサボる場所を探すだろう。いつもの花壇かな、多分。

 遠ざかる背中を見送って、私は私の用を済ませるために控え室へ。


 ノックをするために緩く握った拳が扉を叩く前に、中から声が聞こえた。


「本当に……どういう神経してらっしゃるのかしら」


「同感ね。さすがはあのテンペスト家、と言ったところかしら」


 テンペストの単語が聞こえて手が止まる。想定していなかった訳ではないけれど、マリアベルではなくテンペストだった事には驚いた。そういえば、うちの家って権力から外れると結構色々言われてたっけ……特にお母様と私が。

 家柄と手腕から表だって批評される事はないけれど、 だからといって全面的に受け入れられる訳ではない。むしろ清廉潔白な善人では、貴族の世界を渡り家名を護る事など出来ない。私に甘く優しいお父様も、汚れない両手ではないのだろう。

 そんな事は言われずとも知っている。私が人生を掛けて画策しようとお父様達の性格が根っこから変わるはずもないのだから。人よりもずっと稀有な人生を送ってはいるが、それでも両親の方がずっと大人なのだから。


「望みのためなら手段を選ばない……あの公爵の血筋らしいやり方ね」


「厚顔無恥だこと……そういえば、母親も分不相応を自覚していない人間ですものね」


 嘲りの色が扉を隔てていて伝わってくる。鼻で笑うのも、きっと口元は醜く歪んでいるのだろう。

 彼女達にとって、自分は確かに悪なのだ。それに関して今さら弁解をするつもりはないし、噂を放置していた私の責任だという事もよく分かっている。

 それを踏まえた上で言わせてもらいたいのだが……噂と主観だけでよくそこまで言えるなこいつら。


「自分が優勝すると思っていたんでしょう。それが事前でクリス様に負けてしまって焦ったのよ」


「全く……自意識過剰というのは恐ろしい。甘やかされて付け上がった挙げ句、現実を受け止められないなんて」


 一から十まで全部違うわボケ。思わず舌打ちが出そうになって、このままノックもなしに扉を開けてやろうか。

 そう思ったけど、続いた言葉に力を強めた拳が止まる。


「クリス様、本番もお気を付けてくださいね」


「衣装を貸すなんて白々しい……何か企んでいるやもしれません」


「……私は私の全力を尽くすだけよ」


 面倒そうな、少し気だるげにも聞こえる声は、出場者の中で唯一判別が出来る人の物だった。

 力の入った手がほどけて、だらんと垂れた。ノックをする事も、いきなり入って驚かす事もせず、ただ中から聞こえて来る声を全身で受け止める。

 当事者が乗ってこないからか話題は変わっていくけれど、私にとってはそんな事どうでもいい。


 一歩後ずさり、そのまま踵を返す。早足で行く先は一番近くにあったお手洗い、力加減もせずに開けた扉がいい音を立てていたけれど、幸い中には誰もおらず音に反応してやって来る人もいなかった。

 洗面台の前に立って、汚れてもいない手を洗う。水の音と、流れる冷たさが頭も一緒に冷やしてくれる気がした。

 目の前の鏡に写るのは、感情のない鉄仮面。喜怒哀楽が抜け落ちていうけれど、喉に上がってくる生暖かい吐き気が気持ち悪かった。

 すでに集合時間は過ぎているし、準備の時間を考えるともう一秒も無駄には出来ないけれど。そんな事よりも腹の中に溜まる澱みが問題だった。


「……むかつく」


 そう、その一言だ。私は今イラついている、もっと言えば腹が立っている煮え繰り返っている。

 両親の事を勝手に言われた事も、好き勝手に笑われた事も、噂の行間が好き勝手に埋められている事も。

 そして何より、クリスティン様の事が一番、心をぐっさり刺していった。

 私や家族の事は関係ないし、噂が突拍子もない方向に広がっているのだって彼女のせいではない。

 それでも、私がここにいる原因は、クリスティン様自身なのに。


 庇って欲しかった訳ではない。私は加害者、彼女は被害者、今の構図ではクリスティン様がどんな言い方をしたって無意味だったとは思う。


 それでも、腹立つもんは腹立つ。


 私が無実の罪でぼろかす言われて、それでも彼女が本気だと思ったから棄権もせず馬鹿正直に矢面に立とうとしてる。大袈裟?私にとってはそれくらい大事だ。

 それを彼女は、自分の意思で自分の為に頑張っている。

 私の現状は、元々あの人が話も聞かずに引きずり込んだから。流された私も悪いと思うから直接文句を言うつもりはないが、八つ当たりくらいは許されるんじゃないか。

 クリスティン様の恋心に巻き込まれた他称ルーナの婚約者、私の手を引いた彼女は目標に一直線なのに、何で私はこんながんじがらめなのか。

 いくら流された私の自業自得とはいえ釣り合い取れてないと思う。


「ふぅ……」


 目を閉じて、一度深く息を吸う。吐き出さずに飲み込んで、鏡の自分と目が合った。

 目尻上がったキツい印象の瞳、淡い色合いに反した目力。色白で毛穴の概念が存在しない卵肌。上がった口角はいつも皮肉な笑みを作り、真っ赤な色がより蠱惑的 。

 お父様と同じ顔の作り、お母様と同じ色素。


 美しいけれど性格が悪そう、性格は悪そうだけど美しい。


 迫る時間に気が付いて、きっと控え室では私がいない事への嘲笑が溢れているのだろう。遅刻を馬鹿にしているか、逃げ出したと蔑まれているか。

 でももう、どちらでもいい気がした。

 手で髪を整えて、愛用の髪飾りが今日も輝いている。いつも通り、普段と同じ、特別な所など何もない。


 朝、顔を洗った後の様に、鏡に写る自分に微笑んだ。

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