[九票]凡人は滅すべきラスボスの輪郭を知る
「ユー、顔面蒼白だぞ。お望みとあらば救急車でも手配してやるが」
「心配には及ばない。念入りに対策を講じないといけないと思うと、気が滅入って」
「ボクがとっておきの解決策を伝授してやろうか」
「ああ、頼むよ」
おれは即答した。わらにもすがる思いだ。
「おりょ、気味が悪いほど素直だね。なりふり構っていられないのかな」
リリスがニタニタした。あと数秒もったいつけたら、実力行使に移るほかあるまい。
「ボクの秘策はずばり、駆け落ちだ」
おれは閉口した。何言い出しちゃってんの、こいつ。
「選挙で見事負けたら、蛇女と一目散に逃避行すればいい。バカ正直に約束を守ることはないさ。どうだい。蛇女の性奴隷化を未然に防止する、ベストな方法だろ」
「そいつは実現不可能だ」
「居所を突き止められることを恐れているのか。報酬次第で、ボクが手引きしてやってもいいぜ」
おれは横に首を振る。
「おれは大賛成でも、漣が断固拒否するからな。あいつはどんなに不利な契約でも、一度結んだものを破棄したりしない」
「石頭ちゃん、乙。もろもろ苦労するな、ユーは」
「適材適所だよ。おれは自分の役割を受容している」
「ユーも大概くそ真面目だな。けなげすぎて涙が出そうだ」
リリスのくりくり眼には一滴も涙が浮かんでないけど。
「中学生以下としか寝ないヤンキー、AV嬢に仕立てる悪徳スカウトマン、教え子を妊娠させた淫行英語教師、極めつけが二面性のあるカルト教祖かよ。そうそうたる顔ぶれだな。蛇女のやつ、どうして一癖も二癖もあるダメンズにばっか溺愛されるんだろう。そういう星の下に生まれたのか」
「さあね。心に闇を抱えたやつには、漣がまぶしく映るんじゃないか。煌々とした明かりに群がる蛾みたいに」
「その仮説によれば、ユーも一匹の害虫ということになるのか。どいつが最強のモスラになるのか、頂上決戦する絵が浮かぶよ」
おれは異を唱えなかった。納得したわけではない。話をややこしくない措置だ。
「同性のボクからすれば、さしたるカリスマ性を感じないんだけどね。確かに見てくれはいいよ。しかし可憐な女子など、うじゃうじゃいるだろう。なぜ蛇女に限って貧乏くじを引くのか、ボクには想像もつかない。異性のみ嗅ぎとれるフェロモンとか、魔性ってやつなんだろうか」
おれはリリスの疑問を吟味してみた。でもピンとこない。
おれにとって漣は身近すぎて、特別視できないから。
「蛇女って、昔っから狙われやすかったの?」
「いや。クラスのアイドルだったときは、普通にモテているだけだったような。特筆するほど、やばいやつにばかり着目されていたわけじゃない」
「じゃあ後天的に開花したってことか。ユー、きっかけに心当たりあるか。そこんところ取り除かないことには、延々イタチごっこだぜ。根本的な原因を処置しないと、いつまで経ってもユーは裏仕事から解放されない」
リリスの主張はもっともだ。根元を除去しないと、漣は枕を高くして寝られない。
いつからだろう。漣が厄介ごとに巻きこまれ体質になったのは。
中学──いや、小学校の高学年くらいから予兆があったな。転換期があるとしたらそのころか。人生観が変わるほどの特異点ねぇ。
あ……。あるかもしれない。
「おあいにく様だが、ユーの熱望には添えないな」
リリスがにんまりしていた。
「えと、なんのことだろう」
「だって、さっきからボクの胸元をガン見していたろう」
視線を固定して、物思いにふけっていたせいかな。
「蛇女にいちゃもんつけられたからな。ボクはもうノーブラじゃないぞ」
やにわにリリスはグリジェの襟元を下方向にずらした。レースのついた真っ白な下着がかいま見える。
「ちょっ、何してんの、おまえ」
おれは焦って瞳を閉じた。
「眼をつぶったら、目視できないだろ。ボクの努力の成果を一字一句漏らさず、あのエセ保護者に伝えてもらわないと困る」
困るのはこっちだ。具体的には目のやり場だけど。
「分かった。伝えるから、服を直してくれ」
「やむを得まい」
恐る恐るまぶたを上げると、リリスは不服そうににらんできた。
「いいかリリス、漣は漫喫にもかかわらず下着を装着してないことを怒ったんじゃない。おまえも年ごろの乙女なんだから恥じらいを持て、と言ってるんだ。ふしだらな行ないを続けるようなら、報告せざるを得ないからな」
「ふん。チクリ魔が」
リリスが忌々しげに吐き捨てた。
「勇司から女のにおいがする」
犬並みの嗅覚を発揮した漣が、おれに同行してここを訪れたのは数週間前になる。おれがどんなに「アルバイトの同僚」と弁解しても、聞く耳持たない。
リリスと顔を合わせるなり漣は開口一番、
「勇司を誘惑しないでくれるかな」
言いがかりを黙殺するほどの度量は、リリスに備わってない。
「単細胞め。ボクは二次元専門だぞ。それにもし本域でユーを誘惑するつもりなら、全裸待機している」
徹底抗戦の構えを示し、キャットファイトじみた決闘が繰り広げられるかと思いきや、漣がある事実を暴いた。
「あなたまさか、ブラジャーつけてないの?」
「ここはボクの城も同然。なぜ自宅で体を締めつける拘束衣など身につけねばならん」
漣は態度を一変させ、裸族少女の説得工作に乗り出した。やれ「胸の形が崩れる」だの、やれ「こすれて痛いはず」だの、やれ「勇司が百%発情する」だの。最後のなんか、おれを性犯罪者呼ばわりしている。
漣には、やんちゃ盛りで無防備な妹に思えたらしい。手を変え品を変え、説教した。
おかげでリリスには、ほんのりトラウマになったみたいだけど。
「リリスがみだらなことしなければ、告げ口したりしないよ」
「どうだか。ユーに対する監視の強化も視野に入れねばなるまい」
「今でも充分すぎるほどの密着マークだろ。これ以上は勘弁して」
おれの弱音を聞くや、リリスはご満悦になった。どうも彼女にはSっけがある。
「猥談でうやむやにしたくないんで、声に出しておくよ。ありがとう、リリス。おかげで目からうろこが落ちたよ」
「ユー、よっぽど女に飢えているんだな。ブラチラくらいで感激するとは」
「違うわい!!」
不意に叫んでしまった。店内であることを思い出し、気まずくなってせきをする。
「ごほん。リリスの働きのおかげで、打倒すべき敵の片鱗がつかめたからだよ」
「な~んだ、つまらん。千駄木に関する事柄なら、もっと突っこんだ追加情報も添えて、正式にレポート化してやるよ」
「サンキュー。んで、今回の支払いについてだけど」
リリスがマッサージチェアから身を乗り出す。
「新作のBLゲームだ。もちろん十八禁の」
リリスは滅多なことがない限り、外出しない。だから彼女のリクエストに従い、おれが買い出しをするのが、情報提供の対価だった。
余談だけど、交通費含め物品の調達もおれの自腹だ。よってリリスご所望の品が高額になるほど、おれの財政は火の車となる。
「おれ、十八歳じゃないんだけど」
「変装で補え。店頭販売のみの限定版なのだ。特典として鼻血必至のドラマCDがついてくる。三日前から並ぶ猛者もいるそうだぞ。出遅れるなよ、ユー」
おれを腐女子の聖戦に引きずりこまないで欲しい。
「了解したよ。なんとか入手する。後日品名とか入手店舗情報、メールしといてくれ」
「あとは」
「まだあるのかよ」
「千駄木に関するタレコミだぞ。それに見合う代価だろうが」
ぐぬぬ。返す言葉もない。
「ランジェリーショップで上下セットを一式、新調してくれ。デザインはユーに一任するけど、なるべく布面積が小さいエロエロなやつがいい」
「からかうな。BLゲームを買いに行くのだって敷居が高いのに、男一人で女性もの下着の店になんか入れるかよ。完全無欠の変態だろうが」
「嫌ならいいぞ。千駄木の報告書も空白だらけになるから」
リリスがせせら笑う。こいつ、足元見てるな。
「おれはリリスの下着サイズなんて知らない。物理的に不可能だろう」
「微に入り細をうがって、メモしてやんよ。店員に見せれば、一発で分かるくらいにな」
女性店員さんのブリザード級のまなざしが目に浮かぶ。場合によっちゃ、通報されかねないぞ。
背に腹は代えられん。奥の手だ。
「承知した。漣と一緒に行くことにする」
え、とリリスの表情から愉悦がはがれ落ちる。
「なな、なぜ蛇女がカットインする」
「妹のプレゼント用ショッピングへ付き合ってもらった、という体を装うためだ」
これはもろ刃の剣でもある。「リリスの下着選びをする」と漣に申告すれば、あいつがどんな凶行に及ぶか予測不能だ。血祭りにあげられることも念頭に置かないといけない。
リリスが脂汗をかきつつ、長考した。毒気が抜けたように口を開く。
「ボクとユーのよしみだ。ゲームだけにまけてやろう。寛大な厚意に感謝するといい」
おれを虐げて得られる爆笑度合いと、自らがこうむる被害度を天秤にかけたのだろう。自立するだけあって、損得勘定がしっかりしている。
「交渉成立だな。今日も有用なビジネストークを満喫できたよ」
「白々しいぞ。さておき、いいかユー。何があっても蛇女を連れてくるなよ」
「そいつは熱湯風呂的〝フリ〟という解釈でいいのかな」
「しれ者が。もしみだりに蛇女を召還したら、全世界にユーの恥部を公開してやる」
「ファンタジーRPGじゃあるまいし、おれに召還能力なんてないよ。だからくれぐれも、おれの個人情報を公表しないでくれな」
「欺くんじゃないぞ。ボクとユーは共犯者みたいなものだからな」
共犯、ね。そそられるフレーズだ。
「かしこまりました。親愛なるおれの共犯者さま」
「ふんっ、さっさと帰れ。辛気くさい面など、いつまでも拝みたくない。ユーの平凡さが伝染しそうだ」
漣とは違った意味でほうっておけない女の子だ。将来が危ぶまれる。
おれが案じるのは、お門違い以外の何物でもないだろうけど。