[八票]凡人は支配者の手腕に愕然とする
「蛇女と言えば、興味深いことを口走っていたな」
「え。リリス、漣と連絡取り合ってるの?」
「やつはボクを煙たがってるんだぜ。敵視、といってもいい。和気あいあいと女子トークなんぞ、するかよ」
むしろ漣はリリスを最愛の妹みたいにしつけていた気もするが。
「まぁ、いいや。んで、漣のおもろい発言ってのは何かな」
「ユーはボクにメロメロの首っ丈、なんだろ。しかしロリータとは心外この上ない。ボクは悩殺ボディの化身だぜ」
つるぺたボディのリリスは、こともなげに言った。
千駄木一派とのいざこざの前、そんな嫌疑かけられたような。
「は、はは。なんのことやら、さっぱりだね」
「およっ。しらばっくれる作戦か。録音したはずだから、リピート再生っつう強行策も」
「やめてください。ってゆうか、どうやって情報仕入れた。盗聴器でも仕込んでるんじゃあるまいな。プライバシーの侵害だぞ」
おれは自分の持ち物検査を開始した。
「プライバシーなど机上の空論だよ。ボクにかかれば丸裸なんて、赤子の手をひねるよりたやすい。ちなみにボクが仕掛けた場合、素人じゃまず発見できないから、あしからず」
おれは捜索を断念した。たぶん素人目には太刀打ちできない。
こいつときたら、さらっと戦慄すること言いやがる。敵に回すと、厄介極まりないな。
「そしたら寵愛を受ける身として、返答しようか。おととい来やがれ──もとい、ごめんなさい。ボクは三次元の男にムラムラしないので」
リリスがぺこりとこうべを垂れた。
え……。おれ、告白もしてないのにフラれちゃったの?
リリスは容姿端麗だ。しかも引きこもりなので日光を浴びておらず、透き通るほどに肌が白い。ただし美白というより、青白いのだけど。要は薄幸の美少女っぽいのだ。
彼女を『美しい』と感嘆したことはある。でも始まってもいない恋が破れるってのは、ちと理不尽じゃないか。
「ただ、ユーが紅顔の美少年に迫られたのは萌えたよ。BLマニアには垂涎ものだね」
こんの、腐れ美魔女め。おれは女の子に目がないノーマルだっての。普通人だけに。
毒づこうとした矢先、おれの脳裏に閃くものがあった。
「つーことは、おれが来た理由も勘づいてる?」
「大方、人気投票の再選挙絡みだろ。さしあたっては対抗馬、千駄木将聖のつけ入る隙に関する情報求む、マイフェアリー。違うか?」
おれは正面から情報屋を見据えた。
「末恐ろしいな。『ネットの妖精』は伊達じゃないか。説明の手間が省けて、おれとしては大助かりだけど」
「有能で超絶美人だからって、ボクにほれるなよ。ヤケドするぜ」
リリスが破顔した。
「もうしたって。今しがた、手ひどくあしらわれたじゃないか」
「にひっ。そうだったか。言い寄る男が殺到するから、いちいち覚えてられないんでね。おかげで本命との逢瀬に没頭する暇がないよ。意識高い女のジレンマだな」
彼女のハッキング能力を独り占めしたい輩は腐るほどいるだろう。
「ならお兄さんから一つアドバイス。意中の相手と会うときは、女の子らしい立ち居振る舞いしたほうが効果的だ。そしておでこの冷却ジェルは絶対はがすこと。頭の熱ごと恋の炎も鎮火しちゃうから」
リリスが口をとがらせて、額の冷却ジェルをはがす。
「これをつけたらモチベーション三倍なのに。ボクにとっての赤ザクだぞ」
「漣も言ってたろ。しおらしくしてれば、リリスは深窓の令嬢みたいだって」
「ボクは温室育ちで人畜無害な生娘なんかになるつもり、ないっての。欲しいものは奪い去る。物でも情報でも、人でも根こそぎな」
外見は虚弱体質っぽいのに、中身肉食系だよな。一応『ギャップ』に該当するのか?
「無駄話はそこそこに、本題に入りたい。おれの依頼、引き受けてくれるか」
「千駄木の素行調査だろ。序の口レベルなら、とっくに終わってるよ」
リリスがUSBメモリを投げてよこした。
おれは慌ててキャッチする。
「どんだけ前倒しだよ。本当に千里眼の持ち主じゃないか」
「ふふ~ん。ユーのことについてボクは博士号をもらえるほどの知識を蓄えている。論文だって書けるね」
おれは返答に窮した。一般人なら一笑に付すところだけど、相手が百戦錬磨の魔女では冗談か否か、判然としない。
「しょ、詳細は家でじっくり見るとして、概要教えてくれないか」
リリスが一拍間をおく。神妙な面持ちで、口火を切った。
「ユーの嗅覚は正しい。千駄木はきな臭い。無力化するのは今までの三下よりも難儀するだろう。実害のないボクにしてみりゃ、いけ好かない偽善者止まりだけどね」
偽善者、か。しっくりくるな。
「千駄木のやつ、何か大規模な悪行でもしているのか?」
「だったら、まだいいけどな。やつは狡猾だ。足がつく短気は起こさない。ボクが集めた情報も、眉つばの域を出ないものばかりさ。大部分を推測で補っている」
リリスにしては歯切れが悪い。それだけ千駄木は馬脚を現さないのか。
「千駄木が手ごわいのは、極力矢面に立たない点にある。やつは人心掌握術にたけていて、思いのまま操れる兵士を飼い慣らしているんだ」
「〈SC〉、か」
「ご名答。くだんの徒党を組んだ烏合の衆について正確を期すなら、軍隊というよりかは宗教団体に近い。しかもだいぶカルトに傾倒してる」
カルト宗教──
そういう発想はなかった。
「千駄木はまさしく教祖だよ。そして熱狂的な信者は指導者のためなら、なんだってする。その身を捧げることすら、いとわない」
「千駄木の目的は、なんだ。どんな悪事に手を染めている?」
おれは生つばを飲みこんだ。
「順を追って答えようか。一つ目の質問、ボクの予想だと千駄木は予行演習をしている。彼は最終的に一大結社でも作りたいんだろ。理念や組織形態は定かじゃない。でも胸くそ悪いものになる予感がするな」
「予行演習、だって?」
「うん。あくまでサンプリングだ。どうすれば言いなりになる人員を確保できるかのね。今のところ彼の手法は至極穏便かな。ボランティアに粉骨砕身して、人々の評判を高める。そして彼を慕うグループの結成だ。ただし希望者の間口を狭める。レアリティを保持するために。選ばれた側は、虚栄心をくすぐられて有象無象よりも一段高いステージにいると誤認するだろう」
うむ。〈SC〉の連中にはエリート意識があるかもしれない。
「続いてメンバーの等級制度だ。教祖への貢献度順に重用することで、競争心を刺激する。もっと主君に近づきたいから忠誠を誓う、とね。それを反復すれば、あら不思議。あっという間に、千駄木の手足となる忠実な兵隊アリの出来上がり」
からくりを聞くと単純だが、一度すりこまれた人間は、簡単に元の生活へ戻れないかもしれない。麻薬に似た中毒性があるのかも。
「一つ目が長くなっちゃったけど、二つ目の質問に答えようか。千駄木は目立った悪事を働いていないよ。先だって言ったろう。彼にとってはベース作りなんだ。ここでの体験を礎にして、次なる段階へステップアップする腹だろう」
胸をなで下ろした。だったら万が一おれが敗れても、漣に累が及ぶことはない──
「火遊びはしているだろうけどね。彼を中心とした、ただれたハーレムは築かれているんじゃないかな」
一転して鉛を嚥下したみたいな嘔吐感がこみ上げた。
「そいつもたちの悪いジョーク、だよな」
リリスが手を広げる。
「ジョークなものか。お互い合意のうえだから、騒ぎ立てるほどの事件性がないわけだ。被害者は誰一人いないんだもの。とがめたりできないじゃん」
「被害者ゼロ?」
「うん。千駄木は要領よく立ち回ってるよ。色男の特権かな。美形ぞろいのハーレム要員と酒池肉林三昧だ。彼女たちは教祖の綿密な教育により、喜んで愛人となっている。彼が別の女体をつまみ食いしたって、ぼやかない。あまねく男のパラダイスだろ、ユー」
「彼女たちは、自分の追かれている不合理になんの疑問も抱かないのか?」
「疑念なんてないって。教祖に絶対服従だからね。洗脳とは、そういうものだ」
『洗脳』というワードで、麻痺しかけたおれの脳がとっさに再起動する。
「我の強い漣も千駄木に平伏、すると思うか」
後生だ。『しない』と言ってくれ。
「するだろう。むしろちょろくて直情径行な分、危うい。がっつり催眠にかかり、千駄木なしでは生きていけなくなるんじゃないか。現に蛇女の依存度は、常軌を逸している」
めまいがする。おれは一縷の望みにかけた。
「千駄木は漣に『何もしない』と請け負ったんだ。たわごとには見えなかったぞ」
「本心だろうな。教祖さまは、ふんぞり返っているだけさ」
リリスの言葉に一息つけると思った矢先、
「手荒なことをするのは信徒の役目。千駄木の近衛が、蛇女にじわじわ教育を施すに違いないよ。ボクの見立てでは、三週間くらいで、千駄木の意のままに行動する狂信者の仲間入りを果たすんじゃないかな」
「そんなことは、おれが許さない」
リリスが吐息を漏らす。
「ユーの認可なんて、なんの足しにもならないって」
「リリスが集めた情報を公にすれば、千駄木の野望もついえるんじゃないか」
「ハッキングで収集したボクの情報が、決定的な証拠になるとは思えない。加えてどれもこれも根拠薄弱なんだ。ほとんどが風聞をもとにした、ボクの推理でしかないから」
八方ふさがりか。
「よしんば証拠能力があったとしても、千駄木が『俺は関知していない』と主張すれば、トカゲの尻尾切りが完成してしまう。彼の信者から、報われない捨て石が誕生するだけだ。ヘドが出る末路だな」
おれは寒けがするのを自覚した。エアコンが猛烈に稼働したわけじゃない。お先真っ暗だからだ。座ってなければ、よろめいたかもしれない。