[七票]凡人はリトルウィッチに謁見する
おれは個室のドアをノックした。
「藍園だけど、入っていいかな」
「藍園なんてけったいなやつは知らん。帰れ」
内部からけんもほほろな返事があった。
「むぅ、ファッキン店員め。面会人の厳選すらできない能なしとは業腹だ」
「おれだよ、勇司だって。こっちなら分かるか」
「なんだ、ユーか。紛らわしい言い方するなよ。イカレ不審者かと思ったぞ」
偽名を使ったならまだしも、名字を名乗って不審者扱いって、どうなの。
「というか、ネットカフェのドアに施錠なんかできるわけがなかろう。客に籠城されたら破産するからな。入りたきゃ、いや応なく開ければいいさ」
ここは駅前の雑居ビルにあるインターネットカフェだ。暇潰しのほか、寝泊まり目的で常用する者も後を絶たない。
「就寝中だったり、着替えのまっただ中かもしれないだろ。無断で開けるなんて、マナー違反だ」
「ユーは、相も変わらず取るに足らないことを気にするなぁ。まったく、凡才の鏡だよ」
「おれのアイデンティティですが、何か?」
おれはドアを開け放した。
内部の調度品といえば、液晶モニターの載ったワークデスクにマッサージチェアくらい。広さは三畳程度か。窓はなく、机の下にデスクトップPCがあるだけの殺風景な空間だ。床にはスナック菓子の袋が散乱している。手つかずと開封済みの両方。机にはストローが刺さった飲みかけドリンクのジョッキもあった。
マッサージチェアにこの部屋の住人が寝そべっている。
「いつ来ても散らかってるな。整理整頓って標語、知らないのか」
「そんな難解用語、ボクの辞書には掲載されてないぜ」
「へ理屈だけは一丁前な」
おれは菓子袋を踏み潰さないよう、すり足で移動した。
「ほいよ、差し入れだ」
「差し入れとな!? ユー、当たり障りない顔に似合わず、グッドな心がけじゃないか」
部屋のあるじが液晶画面に映したレトロゲームからやっとこさ、おれに関心を払う。
ちなみに『ユー』ってのは、こいつ限定のおれのあだ名だ。勇司の『ゆう』と「おまえ」の英語『YOU』を兼ねているらしい。一歩間違えば、某男性アイドル事務所の名物社長になってしまうけど。「ユー、踊っちゃいなよ」などと言えば完コピだ。
「ほれほれ、もったいつけるな。とっとと献上したまえよ」
「行儀悪いぞ、リリス。ステイだ」
「ボクはユーの犬じゃないっての」
部屋の主、リリスは頬をむくれさせる。
ピンクに染めた長髪、つぶらな瞳、シャープなあごのライン。寝巻きのネグリジェしかまとっておらず、素のおみ足と裸足がむき出しになっている。
一人称は『ボク』でも、リリスはれっきとした少女だ。年齢もおれや漣より下。
「機嫌直してくれ。差し上げるからさ」
おれが机にビニール袋を置くや、リリスは飛びついた。尻尾がついていれば、ひっきりなしに揺れたろう。
「折よく空腹だったのだ。腹ごしらえしてやるか」
「たんと召し上がれ」
リリスは中身を手に取るなり、渋面になる。
「おい。ボクの目がおかしくなったのだろうか。デザートと似て非なるものなんだが」
「ゲーム廃人予備軍でもリリスの視力は正常だよ。そいつはベジタリアンご用達で女子力アップにも重宝する、生春巻きだから」
「こしゃくな。ぬか喜びさせおって。ゲテモノなんぞ食えるか」
さじを投げたリリスに、おれは一喝する。
「全国津々浦々の農家さんに謝れ。ふんだんな新鮮野菜のスペシャルな一品だぞ」
「うへえ。これだから凡夫は手に負えない。土産選びすらまともにできないのを棚上げし、凡庸なセンスをひけらかすとは」
「リリスの体調をおもんぱかってのチョイスだっての。なんたって主食がお菓子だからな。マリー・アントワネットの再来でもあるまいし、生活習慣病になっても知らないぞ」
「ユーだってピーマン食えないくせに。人のこと言えないだろ」
「リリスよ、日本には含蓄ある格言があってな。『それはそれ、これはこれ』だ」
忌まわしい俗物め、とリリスは渋々生春巻きをかじった。
「ふぐぅ、青臭い苦味が広がる。土手に生えた草の味だ」
「かいわれ大根だろうが。雑草みたいな言い方するなよ」
「注文多いぞ。食ってやってるんだから、難癖つけるな」
憎まれ口をたたきながらも、リリスは食べ続けた。反抗的な態度が目に余るけど、根は悪いやつじゃないのだ。
「いい食べっぷりじゃん。今度は青汁持ってきてやろうか」
「やってみろ。報復として金輪際、ユーの依頼は受けないぞ」
リリスが敵意を放ってきた。
「分かったよ。おれも調子に乗りすぎた」
「マジで頼むぞ。ボクの体内が食物繊維まみれになってしまうからな」
便秘予防になると思うけどな。
「ところでユー、モモには会ってきたのか」
「うん。ここに立ち寄る前にね。彼女にも差し入れしてきたよ」
モモというのは、おれのバイトの実質的な相棒だ。
「ふむふむ。あいつにも緑黄色ラッシュをかましたんだな」
「いや。彼女にはたい焼きを」
「はぁ!?」リリスが奇声をあげた。「なぜだ、ホワイ。ボクが草の塊で、モモはスイーツだと。えこひいきするな。不正供与だ。差別はんた~い!」
シュプレヒコールするリリスを、おれはなだめる。
「だって彼女、気分転換に料理して、バランスのいい食事してるんだろ。だったら趣向を変えてみるのも一興かと」
「さては尻だな。あいつ、なまめかしいケツしてるし。モモだけに桃尻狙いとか、ユーの下心が透けて見える」
「誹謗中傷はよしてくれるか。まるでおれが体目当てみたいじゃん」
「ユーのずさんな光源氏プロジェクトなど、お見通しだ。下劣な高校生め。男子なんて、どいつもこいつも性欲の権化だな。嘆かわしい」
「モモさんは極度の人見知りで、男性恐怖症だ。おれはドア越しにしか会話したことない。彼女の容姿すら拝んでないおれが、どうやって欲情するんだよ!」
店内ということも失念し、怒鳴ってしまった。急速に羞恥心が募ってくる。
「ムキになるなよ。草爆弾の仕返しをしただけじゃないか」
春巻きを平らげたリリスが、サイダーを飲んでいる。
「あ~、まずかった。でもユーの泡食う姿を拝見できて、溜飲が下がったよ。これに懲りたら、人の嫌がることをするものじゃないぞ」
少女じゃなかったら、しっぺをかましているところだ。
「で、今日は蛇女いないのか」
「蛇女? 誰のことだよ」
「こないだ抜き打ちの家庭訪問して、ボクに暴虐の限りを尽くした、ユーの嫁だろ」
「ああ、漣のことか。嫁じゃないけどね。つーか、なんであいつが蛇女なわけ」
「だって、たまげるほど嫉妬深いじゃないか。おまけに『しゃーしゃー』口やかましい」
漣が聞いたら激高しそうだ。
「漣は別行動。用事があるんだと。ってか、寝ても覚めても一緒にいるわけじゃないぞ」
リリスがため息をつく。安堵によるものか、落胆によるものかおれには判別できない。
「ボクの知る限り、かなりの割合で同伴しているけどな」
「リリスの情報網も万全じゃないってことだろう。慢心は禁物かもしれないぜ」
リリスがおれを見上げて、眉をひそめる。
「ボクは油断なんかしない」
「分かってるよ。リリスは泣く子も黙る天才ハッカー様だからな」
頭なでなでしかけたら、手を払われた。反抗期だろうか。
彼女は情報屋を生業としている。飯の種である情報はハッキングで収集するのが流儀だ。『電子空間で盗めぬものなし』とささやかれるほど、アンダーグラウンドに名がとどろくハッカーでもある。正体が年端もゆかぬ乙女だと知る者は、ごく少数だろう。
「天才なんてチープな言葉で片づけられるのは、しゃくに障る」
「だったらどう呼べばいいんだよ。ああ、中二チックな異名『常闇の魔女』か」
「二度と忌み名を口にするなよ。そいつを使う輩は敵とみなす。ユーもボクの抹殺リストに書き足されたいのか」
稀有な情報収集スキルを有する彼女は『ウィザード級』というハッカー用語にあやかり、業界人から畏怖をこめて『魔女』と呼ばれる。本人は大層毛嫌いしているけど。
「滅相もない。おれは未来永劫、リリスと友好的でありたいよ」
「ふんっ。どうせするなら、ゴマでなくカカオ豆にしろ。ところでボクの通称だが『電子空間に咲く一輪の花』ないし、『インターネットの妖精』辺りがぴったりだろ、ユー」
リリスは鼻高々といったご様子だ。
「あー、冗長かな。『妖精』は、いい線いってる気がするけど」
彼女は若干残念かつ、電波的な少女だ。『漫画喫茶に住み着いている』と表現したら、いかばかりか想像できるだろうか。
リリスは固有の住居を持たず、ネットカフェを転々としてる。気に入った店があれば、一ヵ月分の倍の料金(口止め料含む)を前払いして入り浸るのだ。
店としてもまとまった金を支払ってくれるのだから、邪険にできない。未成年者を定住させていると露見したら、摘発される危険性もあるけれど。
従ってこのルームは、現在の彼女の住まいでもある。
「参考にしておくか。で、突っ立ってないで座ったらどうだ」
「座りたいのは山々だけど、足の踏み場もないからな」
「人の家を、ゴミ屋敷みたいに言わないでもらえるか。乙女心が傷つく」
無傷なくせに。だってリリスは「散らかっていると落ち着く」と公言してるのだから。
「座るとこがないなら、ボクの下敷きなんてどうだい。人間イスになるって手もあるぜ」
リリスがマッサージチェアを指さした。
こいつの策略は察しがつく。
「ほいほい誘いに乗ったら、漣に密告するつもりだろう。たけり狂うあいつと折檻されるおれを見ながら、悦に入ろうったって、そうは問屋が卸さないぞ」
「感心感心。ちっとは賢くなったじゃないか」
「経験則だろうね」
おれは菓子に埋もれた、イスにもなるゴミ箱をサルベージして腰かけた。