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[六票]凡人はしがらみを一刀両断する

「なんてことしてくれたのかしら。騒動の罰として、廊下に立ってなさい」

 中年の女性担任の言いつけで、おれは廊下へ向かった。

 スカートを乾かすため、漣も中座を許可される。

 おれは一足先に教室を出て待機した。漣が扉を閉めたのを確認し、ブツを手渡す。

「水かけて悪かったね。お詫びに、これやるよ。少し固めだけど味は変わらないから」

 昨日の残りの給食パンだ。

 漣は受け取っていいものか、逡巡する。

「誰も見てないって。いらないなら、おれが食うけど」

 すると漣はパンを胸に抱えた。

「けどなんで、かばってくれたの」

「かばったわけじゃない。おれだったら誰も傷つかないから。『あー、貧ぼっちゃまかよ。意外性ねぇな』と思われるだけだし」

「あなたの名誉が、傷つくんじゃ」

「名誉とか難しいことは知らない。でもいいんだ。おれは慣れっこだから。んなことより、早くどっかで食べたほうがいい。帰りが遅いと先生が変に思うよ」

「そ、そうだね」

 漣は歩を進めるや否や、立ち止まった。

「挨拶がまだだった。ありがとう。えっと、その……」

 漣はもじもじしている。トイレに行きたいのかとも思ったけど、合点がいった。

「おれは勇司。藍園勇司だよ」

「あ、藍園くん。ありがとうね。じゃあ」

 今度こそ漣は歩き去った。

 要するにおれの名すら、彼女の記憶にないのだ。無慈悲な事実に打ちのめされつつも、『現実って世知辛いもんな』と達観したことを覚えている。

 会話もろくすっぽ交わしたことない間柄なのに、「ずっとあなたのことが好きだった」なんてご都合主義的な急転直下を迎えるはずないのだから。

 その後、漣とおれの親交は途絶えた。原点に回帰しただけ、のほうが当たってるかも。おれと漣の世界は隔絶されている。だから彼女への淡い想いも次第に風化していった。

 おれが食料配給というルーチンをこなすべく、給食センターを目指していたときのこと。見慣れぬ人影を視認した。

 漣が廊下の壁にもたれかかっている。人を探しているらしい。

 しかし待ち合わせ場所にしては辺鄙すぎる。変わり者なのかな、とおれは思った。

 漣の横を通りすぎたとき、声がかかる。

「待って、藍園くん」

 おれは停止して回れ右する。念には念を入れて、自らを指さしてみた。

「おれのこと?」

「ほかに藍園くんはいないでしょ」

 漣は柔和に微笑した。

「おれに何か用かな」

「うん。どうしても聞いておきたいことがあって」

 漣は言いにくそうに、指先で壁をぐにぐにしている。やがて意を決したのか、

「あたしがおなかを鳴らせちゃった事件、覚えてるかな」

 おれは記憶をたどってみた。

「ああ、あったね。でも事件というほどじゃなかったよ」

「ずっと考えてたの。藍園くんだけが本当のことを知っている。だから聞かなくちゃとは思ってたんだけど、怖くて言い出せなかった」

 何を恐れることがあるのだろう。

「あたしがはしたないことして、がっかりしたかな」

 おれには理解不能だった。文脈は把握できる。されども何を尋ねたいのかが、曖昧だ。

「どういうことだろう。君ははしたないこと、しちゃいけないの?」

 漣が覇気なくうなずく。

「女の子は、人前でおしとやかにしなくちゃいけないの。特にあたしは」

 おれは思い出した。

 漣に近しい女友達が、かいがいしく身の回りの世話をする傍ら、彼女に口酸っぱく言い聞かせていることを。

「漣ちゃんはお姫様だから、上品なことしかしちゃダメよ」

 級友たちにとって漣は、『才色兼備な理想像』なのだろう。自分たちの偶像が堕落することをいとい、暗黙の了解で行儀作法を強いる。あたかも人形遊びだ。

 窮屈そうな生き方する漣を遠巻きに眺めて、常々感じていた。

「おままごとかよ。くだらない」

 え、と漣は目を丸くした。

「かわいい女の子である前に、君は君だろ。腹減ったら『ぐ~』って鳴るよ、人間だもの。それをはしたないなんて、おれは全然思わない」

 生理現象をむりくり抑制など、時代錯誤のスパルタかっつうの。

「アイドルでも、おなかが痛くなればトイレで踏ん張るじゃん。人として当たり前のことをさせないなんて、いじめだよ。というか、そういうこと平気でするのが友達なのかな。だったらおれは、一生独りぼっちでいいや」

 漣には寝耳に水だったようだ。フリーズしてしまい、一言も発さない。

 だんだん心配になってきたので、おれは呼びかけてみる。

「御神楽さん、生きてる?」

 トリップしていた漣の瞳に光が宿った。先刻までの借りてきた猫みたいな雰囲気が消え、不敵に腕を組む。

「死ぬもんですか。失礼しちゃう。というか『かわいい』と思うあたしを心配するセリフがそれ? 男の子って、どうして女心が分からないんだろ」

 指摘され、おれは失言を自覚する。

「い、今のなし。ってか、おまけだよ。アイドルのうんちトークがポイントで」

「照れているからって、下品なことは言わないの。分かった?」

「う、うん」

 漣の迫力に気圧され、おれは肯定するほかなかった。

「よろしい。では後回しにしてた、助けてもらったお礼するね。あたしに何かして欲しいこと、あるかな」

 おれは沈黙した。漣のキラキラしたまなざしが痛い。おれに何を期待しているんだ。

「だ、だったら給食のピーマン、代わりに食べてもらえないかなー、なんて」

 漣が鼻白む。

「ピーマン嫌いって、幼稚園児みたいね、勇司は」

 ごめん、と言いかけ、おれは違和感を覚える。いつの間に呼び捨てになったのだろう。一足飛びで距離を縮められた気がする。

「しょうがないな。勇司の面倒はあたしがみるか」

 やれやれというあんばいで、漣が独善的に話を進めていく。

「あと大サービスね。あたしが勇司の友達第一号になってあげる。だからあたしのことは、『漣』と呼ぶこと。次『御神楽さん』と言ったら、アイアンクローだよ」

「みかぐ──漣、考える時間ちょうだい。おれにも選ぶ権利あるでしょ」

 遅ればせながら、おれは歯車が狂っていく不協和音を耳にし、軌道修正を試みた。けどおれの嘆願などに耳を貸す漣ではない。

 補足しておくと翌日から漣は頭髪をポニーテールに結わえ、スカートをやめてデニムで登校するようになった。更には休み時間、男子とドッジボールに精を出したりする。

 漣のお目付役たちが座視するはずもない。寄ってたかっていさめようと試みた。

「ごめんなさい。あたしはあなたたちのお人形さんになれないの。だからやりたいようにやらせてもらうね。なんなら一緒に遊ぶ?」

 彼女の心変わりに失望して離反する級友たちが相次いだ。しかし漣は自らのスタイルを曲げようとしない。失った時間を取り戻すべく、精力的にエンジョイした。

 以降のおれと漣は、つかず離れずみたいな関係を続けている。


「契機なんて忘れましたよ。何ぶん、歳月が長すぎるのでね」

 おれの回答は千駄木のお気に召さなかったらしい。

「君に尋ねた俺が愚かだったかもな。昔話は切り上げよう。改めて現時点の話をしたい。君は御神楽さんと交際していないんだね」

「くどいっすよ。そして『ふさわしくない』と言ったの先輩じゃないですか。自分の言葉には、責任持ってもらいたいな」

 千駄木が眼光を鋭くした。でも威嚇以上の行動はしてこない。

「確認できてよかった。他人の恋路を引き裂くのは後味が悪いからね」

 千駄木は勝つ前提でいるのだろう。漣が〈SC〉の一員になることは、こいつにとって定めと同義なのだ。

「一つだけ教えてください」

「何かな」

「先輩の仲間になった漣を、どうするつもりですか」

 意表をついたわけでもあるまいに、千駄木のクールフェイスがわずかにゆがむ。

「彼女ほどの逸材を寝かせておく気はないよ。宝の持ち腐れだからね。俺好みに調教でもしようかな。方法はごまんとある。薬物を用いるとか、マインドコントロールとか」

「てめえ、息の根止めるぞ」

 頭の中が沸騰しかけたおれを見るなり、千駄木は吹き出した。

「すまんすまん。ちょっとからかわせてもらったんだ。俺が犯罪まがいのこと、するわけないだろ。少年院送りなんて、まっぴらだよ」

 食えないやつだ。腹立たしい。

「一貫して陰気な傍観者を気取る君も、激情にかられたりするのか。御神楽さんはどうか知らないが、少なからず君には彼女への恋慕の情があるらしい」

 おれは気を取り直すべく、せき払いする。

「憶測はご自由に。ただ念を押したい。漣には一切ちょっかいかけないんですよね」

 千駄木が壁から手を離す。

「しないよ。〝俺は〟ね」

 ポケットに手を突っこみ、彼は立ち去った。

 おれは千駄木の後ろ姿をねめつける。

 どうしてだろう。今の言い回しが妙に引っかかる。おれの本能が訴えかけていた。

 千駄木は第一級危険人物だ、と。

 牽制を続けたところで堂々巡りと悟り、おれは漣へと目線を転じた。

 まだおしゃべり三人組に包囲されている。間隙を縫い、SOSの目配せしてきた。

 おれへの仕打ちを鮮明に再現して、有無を言わさず一蹴すりゃいいのに。おまえが会得した必殺技を駆使すれば、瞬殺できるって。

 嘆息して、おれは腐れ縁少女のもとへと歩み出した。

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