[五票]凡人は貴公子に壁ドンされる
男子人気投票の仕切り直しが高らかに公布された。ただし新規参戦者は名乗りでない。何度やっても千駄木将聖に屈服させられる、と身にしみているのだろう。
結局おれと千駄木による一騎打ちの様相を呈する。タイムリミットは二週間後で、集計した得票の多いほうが勝者だ。
対決系の催しがあると賭博に発展したりする。「○○にジュース一本」ってあんばいに。でも今回は博打にすらならなかった。なぜならば、千駄木が盤石なのは一目瞭然だから。下馬評が割れないと、オッズ決めさえままならない。
おれの敗北は火を見るより明らか。もし勝てば番狂わせどころの騒ぎじゃない。万馬券に相当する。
漣だってこの惨状を察しているだろうに、微塵も負けると思わないみたいだ。
「みんな、勇司を知らないだけなの。知名度が上がれば、逆転なんて楽勝なんだから」
おれには虚勢にしか聞こえないけど。
そして漣はおれ専属の選挙参謀として、地道な活動を提唱した。
「みなさ~ん、清き一票を藍園勇司、藍園勇司にお願いしま~~す」
放課後の校門付近で、漣はマイクを使わずに訴えている。
おれはというと、選挙で定番のたすきをかけて棒立ちだった。たすきは漣の手作りで、「あいぞのゆうし」とひらがなでしたためられている。しかもハートマークつきで。
……幼稚園のお遊戯会ですよね。さらし者感がとめどないんだけど。
「ほら勇司、手を振って。こぼれんばかりのスマイルでね。握手求められたら、一も二もなくやるのよ。まずはみんなに認知してもらわなくちゃ」
おれの無気力ぶりを見かねて、漣がダメ出ししてきた。
いやいや、一夜漬けの遊説をしたところで焼け石に水だから。おれの亡霊的存在感も、いかんなく発揮されてるし。
実際帰宅の途につく生徒は、漣しか見ていない。ときたまおれと目が合うやつは、忌避すべきイタい人発見、みたいに顔を背けるし。
中には選挙活動にかこつけて、漣と触れ合おうとする男子もいる始末。あいつは満面の笑顔で応じている。どれほど無意味な行動か、知りもせず。
男子の人気一位を決定するにあたり、投票権があるのは女子生徒だ。つまり男は対象外。熱烈に布教しても徒労でしかない(漣の好感度に拍車がかかって、V2達成の布石となる見込みはなきにしもあらずだけど)。
肝心要の女子たちは、おれに目もくれやしない。もしかしなくとも、おれを漣のおまけと知覚しているのだろう。
やっぱ正面切ってぶつかったんじゃ、勝機はない。
再戦が公示されて数日の現在、暫定得票数で千駄木は百票を越えている。対しておれは一票のみ。言わずもがな、入れたのは漣だ。
投票学園のアンケートシステムは、期限ギリギリまで票を変更することができる。入れ替えてもいいし、投票自体を白紙にすることも可能だ。だからリアルタイムで途中経過を追えるわけだけど、滅多なことがない限り、翻意する人はいない。
なので実質、中間発表が最終結果の近似値となる。
今後、差はますます開くだろう。最終的には三学年の総勢三百名近い女子生徒のうち、大半が千駄木に票を入れるに違いない。候補者乱立のやり直し前でさえ、彼は二百以上の得票をたたき出したのだ。概算で全女子の八割が、千駄木を支持したことになる。
翻って、おれの票数は一。しかも漣によるお情けだ。いかに絶望的な苦境に立たされているか、お分かりいただけると思う。
「握手してもらえないかな」
おれがとりとめないことを考えていると、声がかかった。胸が高鳴る。
まさか漣の作戦が功を奏するとは。アホの子も、やればできるじゃないか。
おれはできうる限りの笑顔を取り繕う。
「よ、喜んで」
絶世の美女かと思いきや、男だった。しかも対戦相手の千駄木将聖である。
おれの失望感ときたら、筆舌に尽くしがたい。瞬間的なときめきを返して欲しいよ。
「切磋琢磨するライバルとして、握手を交わしておきたいんだ」
「ああ、そうっすね」
おれはなおざりに手を取った。どっと疲れたので、もう帰りたい。
「少し話そうか。二人きりで」
千駄木がおれの手を握ったまま、声を潜めた。
嫌な予感がする。とりわけ『二人きり』というフレーズが。
もしやこいつ、両刀使いじゃなかろうか。貞操が未曾有の危機にあるかもしれない。
おれが警戒心を研ぎ澄ませていると、千駄木に半ば引きずっていかれた。腕力も大したものだ。非力なおれがあらがったところで、なんの足しにもならなかったろう。
校門からやや離れた場所で千駄木が立ち止まる。つられておれも停止した。
不幸中の幸いか、漣は饒舌な男子三人組から質問攻めの集中砲火を浴びている。劣勢で候補者同士の直接対決に注意を払う余力はなさそうだ。
「で、用事ってのはなんでしょう。手短にしてもらえると助かります」
おれは門を背にして、千駄木を仰いだ。頭一つ分身長差がある。
「俺としても、いたずらに時間を費やすつもりはないよ。タイムイズマネーだからね」
逃がさないという暗示が、千駄木が門に手をついた。
おや、この体勢。二次元世界でなじみ深いものではなかろうか。
いわゆる〝壁ドン〟だ。
あえて問題点をあげつらうなら、彼我の性別が男女じゃないってこと。男同士の壁ドンなんて、薄ら寒さしか感じないぞ(リリスは大好物だろうが)。
話題をそっち方面から遠ざけなくては、おれも倒錯した世界の住人になりかねない。
「せ、先輩は選挙活動しなくていいんですか」
「ああ。日々の積み重ねに勝るものはない、と思っているからね。一過性の付け焼き刃は対症療法にしかならないよ」
正論だ。そして彼が口にするから、ビッグマウスにならないのだろう。
千駄木将聖は普段から自発的に人助けをしている。一人ではなく、〈SC〉を動員することもしばしばだ。一部の界隈では生徒会や風紀委員より頼りにされている節もある。
『正義の味方みたい』
救われた人は異口同音に言う。おかげで千駄木をあしざまに罵るのは少数派だ。不動の名声をねたむやつくらいか。
それほどに彼は信用されている。絶大な信頼を切り崩すのは、生半可なことじゃない。
「俺からも質問させてくれ」
千駄木が口を開いた。
愛の告白とかなら、脇目も振らずとんずらだ。脱兎のごとき逃げ足を披露してやる。
「御神楽さんにとって、君はどういう立ち位置なんだ」
「へ?」
拍子抜けしてしまい、おれの口から素っ頓狂な音声が漏れた。
「どうって、旧知の仲ですね」
「そんなあっさりしてないだろ。彼女は君に全幅の信頼を寄せている。何がそこまで彼女を引きつけるのか、俺には皆目見当がつかない。だから契機を教えてくれないかな」
おれと漣のなれそめ(?)は小学校に遡る。
藍園家は貧乏だ。母親が女手一つでおれを育てている。しかも不幸なことに病死した父に借金があったものだから、子供を養う以外にも出費がかさんだ。
だから母は昼夜を問わず働き詰め。いつ体を壊してもおかしくない。小学生だとバイトができないから、おれは早く働ける年齢になりたかった。ようやく高校生になった今は、金稼ぎのあてができて生活費に寄与している。
おれんちが母子家庭で貧しいのは共通認識だったので、おれはよく給食センターのおばちゃんから余ったパンを分けてもらっていた。育ち盛りの児童にとっては貴重な食料だ。恵んでもらうことに感謝こそすれ、卑屈さを感じたことはない。
日陰者のおれに対して、漣はクラスの中心人物だった。がさつな今と似ても似つかないけど当時は清楚で、彼女の周りは常時人だかりだったと思う。男子からもひっきりなしに交際をせがまれたらしい。でも漣を取り囲む親衛隊みたいな女の子に阻まれ、失恋する者が続出という有り様だ。
接点の希薄なおれたちは小学四年のころ、席が隣だった。といっても会話がはずんだりしない。食うのに必死なおれは、漣からすれば景色の一部でしかなかったろう。
ある日の午前の図画工作授業中、静寂な教室に間抜けな音色が響いた。結論を述べると、音源は漣のおなかだ。前日の夜更かしがたたって朝寝坊し、朝食を抜いたらしい。
「爆音だな」
「腹にライオンでも飼ってるんじゃね」
「だれですかぁ。手を挙げてくださーい」
悪ガキどもは持ち前のあり余った好奇心で、犯人探しする。やゆするために。面白味の乏しい授業で絶好のおもちゃが転がっていたら、遊ばない子供はいない。
隣席のおれは、つるし上げられる被害者を即座に察した。腹の虫を奏でたのがクラス一の美人だと露呈したら、さぞかしやり玉にあげられるに違いない。
漣も近未来を予知したのか、おなかを抱きかかえて、嵐の通過を心細そうに待ちわびていた。ひたすら机に突っ伏して表情は拝めなかったけど、沈痛だったに違いない。
大抵無関心を装うおれが、どういうわけか行動を起こした。これを足がかりにクラスのマドンナと親密になるぞ、という下世話な欲求の発露だったのかな。
「先生、おれ腹ペコで我慢できない。おやつ食っていいかな」
起立して自己申告した拍子に、おれは机の上にある筆洗バケツを手で払った。漣がいる方向へ調整して。
バケツの中にある水がこぼれて、漣のスカートを直撃する。顔を伏せていた漣は状況を飲みこめてない様子で、代わりに彼女の女友達が悲鳴をあげた。漣の衣服は純白のロングスカート。絵の具の汚れがついた水を浴びたら、まだら模様のシミになる。
ただ、おれも無策じゃない。混じりけのない水道水のまま、こぼしたのだから。絵の具が混在してないので、汚れるはずもない。