[二票]凡人でも痴話ゲンカをする
このアンケート方式は、公的なイベントや学校行事のほか、私的に運用されたりもする。一例を挙げるなら……。
「お~い、また手元がお留守だぞ」
おれの眼前で、漣が手をひらひらさせていた。
「あ、ああ。すまない。人生という壮大な命題について考えを巡らせ──んんっ?」
掌中にあるベーコンレタスサンドの先っぽが、歯の形状で欠けている。
「おれ、一口も食べてないはずだけ」
言い切る前に容疑者が割れた。隠す素振りすらなく、もぐもぐしている。
「漣さん、わたくし許可しましたかね。おれの記憶が確かなら『どうぞお食べください』などと恵んだ覚え、ないのだけど」
「むぐむぐ……食事の最中、うわの空になる勇司が悪い。ランチとは戦場なのだよ、勇司三等兵。ごくり。うむ、美味であった」
おうように言ってのける漣。ちっとも悪びれていない。
「意地汚いな。拾い食いして腹壊すぞ」
漣があっかんべーをする。
「落ちている物なんて食べませんよ~だ。勇司のものだからパクついたまでだし」
何その『おまえのものはオレのもの』的ジャイアン理論。
「というか感謝して欲しいな。あたしがじきじきに毒味してあげたんだから」
「市販の総菜パンに毒物が混入するかよ。コンビニの安全管理は徹底してるんだし」
「万人にとっては、どうというものじゃない。勇司限定で劇物というだけ」
「ほぉう。ではお聞かせ願いましょうか、お嬢さん」
漣が胸を張る。
「ピーマンよ」
端的な返答に、おれは絶句した。
「勇司、お子様舌だもんね。小学生のころから、何度肩代わりしてあげたことか」
「お、恩着せがましいぞ。昔のことを、ほじくり返すなんて反則だ」
おれは頬付近に熱を感じつつ、抗議した。
「昔話じゃないじゃん。現在進行形でピーマン苦手だもん。おまけにピクルスもNG」
うぐぐっ。返す言葉もない。
「どっちも入ってないから、安心して食べるといいよ。特にこっち側からかじってくのが、おすすめかな」
漣がうっすら歯形の残る先端を指さした。
「なんでだよ。具材がたっぷり詰まっているのか?」
「ううん」漣が流し目で、自らの唇に指を添える。「あたしと間接キスできるでしょ」
一瞬虚をつかれたおれは、即座に我に返り、漣が示した方向の反対側をかじる。
「バーカ。今時、間接チューくらいでどぎまぎしたりしねぇよ」
「の割には、ほっぺた赤いけどね。なんでかなぁ」
漣がくすくす笑った。
知らんがな。おてんば娘にもう構ってられない。
漣が口をつけた先端近くまでかぶりつき、おもむろにおれはBLTを手で二等分した。漣に一つを渡す。残りがおれの取り分。無論、漣の食べかけでない側だ。
「相変わらず勇司は照れ屋だな。一心不乱にがっつけばいいのに」
などと言いつつ、漣はサンドイッチのかけらを口に入れて咀嚼した。
「おまえこそ、相も変わらず食い意地が張っているじゃないか。うらやましいくらいだよ。あらゆるものを胃袋に詰めこめる、旺盛な食欲がさ」
腹ごなしの合図か、漣がおへその辺りを手でさする。
「〝食〟は生活の基礎だよ。食べないと死んじゃうんだから。というか、勇司は好き嫌い多すぎ。食べ物に対する感謝の念が足りないよ。食わず嫌いしてると、いつまで経っても成長しないからね」
おれのコンプレックスをピンポイントでえぐってきやがる。
高校二年生の現在、おれの身長は一六〇センチ。背の順で並ぶと、前から数えたほうが断然早い。
対して漣は一七〇越えのモデル体型だ。ただでさえ凸凹男女なのに、ハイヒールなんか履いた日には身長差たるや歴然だろう。
「高二なんだし、どの道もう背の伸びしろ、ないだろうが」
「別に背丈なんて、どうでもいいじゃん。あたしは人としての器の話をしているの」
漣のフォローが殊更カチンときた。たぶん劣等感よりも懸案事項だったから。
「だったら……おまえはおれなんかより度量の広い男と一緒にいればいい」
荒々しい心中を率直にぶつけてしまった。
「どういう、こと?」
漣の表情が思いのほか深刻で、おれは面食らった。自分の犯した過ちを知る。
まだ機が熟してなかったか。しかし一度口にした言葉は撤回できない。
「漣はこないだ、つつじヶ浦で〝ナンバーワン〟の栄光に輝いたろ。だから人付き合いも、慎重にすべきと思って……」
補足は尻すぼみだった。
心を鬼にして突き放せない。チキンだな、藍園勇司。
「何よ、ナンバーワンって。あたしはトップに立った覚えないし、意味分かんない。結局勇司はあたしが嫌いってこと!?」
漣がヒステリックにわめいた。
彼女の声量におののき、屋上にたむろした生徒たちから視線が集中する。
「好きとか嫌いとかの次元じゃない。おれはもっと大局的に将来を見据えてだな」
「将来の話こそ関係ないじゃん。あたしは〝今〟の勇司の気持ちが知りたいの」
漣のやつ、頭に血が上りかけだ。ピークに達したら、ますます意固地になる。
可及的速やかに着地点を模索しなくては。
「冷静に考えてみろよ。漣だっておれみたいに平凡を絵に描いたような男より、イケメンと親睦を深めたほうがバラ色の人生だと思わないか」
「勇司よりイケメンって、誰のことよ」
徐々に漣は無表情になってくる。据わった眼が雄弁に物語っていた。
『陳腐な答えだったら、直ちに駆逐する』
普段はえらく脳天気にもかかわらず、いったんスイッチが入れば制御不能になる。回答を誤った瞬間、半殺し。情緒不安定で極端なピーキー仕様だ。
「た、たとえば長身で二枚目、運動神経がよくて人望に厚い」
長所ばかりを並べ立て、おれが救いを求めて横目を向けた先にいたのだ。まさしくおれが言及した傑物が。
男女混合の十名ほどの一群が近づいてきた。集団の先頭で、眉目秀麗な男子が取り巻きを引き連れている。
清潔感のある髪型、バスケの選手を思わせる上背。カッターシャツに覆われた上半身は、筋肉質であることをうかがわせる。甘いマスクの中でもひときわ異彩を放つのは、白い歯だ。歯並びもさることながら、日光を反射しそうなくらい光っている。
女子たちが一斉に彼を注視した。すでにおれと漣のいさかいは、眼中にない。
「彼、みたいな白馬の王子様だよ」
おれはあごをしゃくって、リーダー的存在の美男子を示唆した。
漣は不機嫌そうにしながらも、おれの目線の先を追う。
「二年生の御神楽漣さん、だよね。少し時間をもらえるかな。おしゃべりがしたくて」
そばに来るなり、美男子が気さくにしゃべりかけた。
「どなたか知りませんが、取りこみ中です。あとにしてもらえませんか」
すげない態度の漣に、おれは開いた口がふさがらなかった。
唖然となったのは、おれだけじゃなかったろう。彼の背後にいる面々や、ギャラリーも固まったのだから。
「いや、漣。こちら、三年の千駄木将聖さんだぞ。うちの学校じゃ、とびきりの有名人。おまえ……知らないの?」
「うん、全く」
いっそすがすがしくなるほどの即答をする漣。
粗相に激怒したんじゃないかと様子をうかがうと、千駄木先輩は苦笑している。
むしろ彼の背後に控えるご友人のほうが、剣呑な雰囲気を醸していた。
おれは懇切丁寧な解説を試みる。
「ほら、ピーンとこないか。入学以来、他を寄せつけない支持率で男子生徒の王座に君臨し続けるプリンスだよ。ぶっちぎりすぎて、殿堂入りの呼び声も高い」
「はぐらかさないで。今は勇司が、あたしを嫌いかどうかの大切な話をしているの」
くそう、馬耳東風のマイペース娘め。一層緊迫感が増したじゃないか。
「さては勇司、好きな人ができたんでしょう」
漣は独自理論を展開した。
「おれの恋バナなんて些事じゃないかな。それよか空気読もうよ。一触即発で痛いくらいのピリピリ感だろ」
「旗色悪くなったら、すぐ話題すり替えようとするよね、勇司。長い付き合いで、あたしはお見通しだから。はっ。もしや勇司の想い人って、ピンク髪のさすらい家出少女じゃ」
漣の迷走度合いはとどまるところを知らない。リリスにしたって放浪者ではあるけど、家出じゃないしな。
「あいつは仕事の関係者って説明したじゃないか。もしもおれに恋心があっても、相手にされる余地なんてないし。だってリリスのストライクゾーン、二次元オンリーだから」
「恋心がある──ほら、白状した。がっかりだよ、勇司。薄着で露出度の高い女の子なら、見境ないんだ」
おれこそ漣の乏しい理解力にがっかりだよ。仮定をうのみにしちゃうんだもの。そして話を最後まで聞かない。どこまでもフリーダムだ。
「おれは肌の面積のみで、なびかない。もっとトータルで判断しているつもりだ。だから感情的になるなよ。一回落ち着こう、漣」
「あたしは冷静沈着よ」
漣が不服げに吐き捨てた。
「要するにあたしより、彼女のことがタイプなんでしょ。勇司のロリコンすけこまし」
どう見ても錯乱しています。本当にありがとうございました。
ええい、もうやけだ。ショック療法を試してみるほかない。
「ああ、おれはリリスにぞっこんだよ。おれより背が低いからな」
どうだ、効果あったか。
「う、ううっ」
言葉にならないのか、漣がうめいた。そして目尻にみるみる涙がたまっていく。
冷や水を浴びせるどころか、バカ効きだったらしい。完璧裏目に出た。
「ずるいよ……勇司はずるい」
漣がうわごとのごとく漏らした。
「骨身にしみたろ。おれはこすい人間だよ。だから漣も誠実な男と──」
「どうして土壇場で心開いてくれないの。臆して本音を隠す。この前髪みたいに」
涙目の漣がおれのおでこに手を当て、かき上げた。目元を覆う前髪がオープンになる。
「さっき言ったセリフ、あたしの目を見ながらもう一度復唱して。勇司のざれごとなんか、見破ってやるから」