[一票]凡人にも譲れないものはある
我が輩は小市民である。二つ名はまだない。
浅学非才な高校生のおれには、精いっぱいのシャレた自己紹介だ。
一つだけ断っておきたいのだけど、おれは凡人であることに、なんら不満がない。謙虚や自嘲でも、悟りの境地に達したわけでもなく、本心だ。
だって〝普通〟というレールをそれたら、大なり小なり社会の荒波にもまれる可能性が高まる。数が多いおかげで割を食う確率が分散されるのが、中流の利点だ。なんの変哲もないからこそ影が薄くなり、授業中に指名という名の生け贄化を低減させたりもできる。
ゆえにおれは賛美するのだ。
ビバ平凡、と。
没個性の美点をつらつら語ったわけだけど、庶民だってときには魔が差したりもする。
たとえば高校の英語教師に脅迫メールを送信する、とかね。
折しもおれは、とある青年に〝お願い〟をした。彼は無類の女たらしで、教え子であるJKにさえつばをつけちゃうほど節操がない。そして彼の毒牙が、おれの知人に向いた。従って『彼女を口説かないでください。さもなくばもみ消した過去の汚点を公表しますよ』と慇懃無礼に脅しつけたのだ。
彼ほどのクズになら和らぐものの、罪悪感を払拭しきれなかったのだろう。よって柄にもなく、凡才の素晴らしさなんてものを独白しちゃったのだ。
もしも死後に天国というものがあるなら、おれは招かれざる客だと思う。でも構わない。極楽浄土に行くべき善良なる人間の魂を、濁らせずに済んだのだから。ぱっとしないおれには、汚れ役もおあつらえ向きってものだろう。
ただし人生には予定調和でない事態も、まま起こる。おれに先見の明などない、という証かもしれないけれど。
おれが脅迫文を送った一ヵ月後、全校集会で男性英語教諭が退職したと通達された。
※ ※ ※ ※ ※
「……うし。勇司ったら。あたしの話、聞いてる?」
肩を揺すられ、おれは追憶のかなたから帰還した。校舎屋上の二人用ベンチに腰かけ、ひざ上に弁当箱を広げている。
現実の空にはいわし雲が流れ、周辺からは昼どきを謳歌する生徒の喧騒が絶えない。
「あ~、やっとカムバックしたな。食事中ぼーっとしないでよ、勇司。放置されるあたし、かわいそうじゃん」
隣に視線をやると、ポニーテールの女子高生が目くじらを立てていた。
すれ違った男は思わず二度見してしまうだろう端正な細面。おまけにスクールニットやプリーツスカートといった制服を着こなしている。
「わ、悪かったよ漣。ぽかぽか陽気に誘われて、思索にふけったものだから」
彼女の名は御神楽漣。おれとは腐れ縁の女子だ。
「あたしとの至福のランチタイムを二の次にするほどの考えごとって、何よ」
漣は凛とした切れ長の瞳をすがめた。
「いや、なんというか……」
おれの脅迫が発端で先生を辞職させたかもしれなくて、などと口が裂けても言えない。
「分かった。あたしが当ててあげる」
すると漣はおでこに人差し指を添えて、何やら熟考しだした。しばしして手を打つ。
「閃いたよ。優柔不断な勇司のこと、どうせ決めあぐねてるんでしょ」
漣がセーターのポケットから無骨なスマートフォンを取り出した。
「期限も迫ってるから特別ね。あたしの回答、パクらせてあげる」
液晶画面を指でスライドさせ、漣がおれにかざしてみせる。
『秋の球技大会で実施して欲しい種目を選んでください(複数回答可)』
画面の最上部にクエスチョンがあり、中央部に球技の候補が列挙されていた。漣の画面では、『卓球』と『バレーボール』のチェックボックスがONになっている。
「あたしの答えカンニングする代わり、一つ条件がある。卓球であたしとペア組むこと」
漣はスマホの横に美貌をひょっこり出し、にっこりした。
「後出しジャンケンだろ。はなっから拒否権行使できないじゃないか。そんなんじゃ押し売りと大差ないぞ」
おれが苦言を呈すと、漣は口笛吹くマネをした。一音符も奏でていないが。
おれは嘆息する。
「いやが応でも、漣とダブルスになるけどね。おまえのほかに、おれと組んでくれそうなやつはいないし」
「勇司、友達いないもんね。あたしに愛想を尽かされたら、ぼっちになっちゃう」
「無礼講だからって、なんでもかんでもぶっちゃけていいわけじゃないからな。だいいちおれが孤独なのも、漣が一因なんだぞ」
「あたし、勇司に何かした?」
漣が不安げにうかがってくる。
風采のあがらない男が器量よしの少女といつもべったりでは、非モテ連盟としてハブりたくもなるだろう。実情に疎いって、幸せなのかもしれない。
今に至るまで熾烈な紆余曲折があったし、漣の性格も絶妙に屈折してるんだからな。
「言葉のあやだよ。ときにはオブラートに包んでくれ、ってこと」
漣がお澄まし顔になる。
「あたしは自分の気持ちにウソをつきたくないだけ。正直者は救われるんだから」
『正直者はバカを見る』がおれの持論だけどね。
ただ漣は楽観的でいい。おれとは本質が異なるのだから。
「おまえの生き様にケチをつけるつもりはないよ。ただし断っておくけど、おれは漣から教えてもらうまでもなく、卓球を選んでいたさ。むしろ先んじていたとさえ思うね」
「勇司って、意地っ張りだよね。あたしに後れをとるのが悔しいの?」
全く悔しくないが釈然としないので、おれはスラックスのポケットからスマートフォンを抜いた。漣のと寸分たがわぬ同タイプ。唯一の差異は背面に『藍園勇司』というラベルが貼ってあることだ。
余談だけど、漣の持ち物には『御神楽漣』というフルネームのシールがある。
おれはスマホを操作し、画面を漣の鼻先に突きつけた。水戸黄門の印籠みたいに。
「刮目するがいい。おれの回答は卓球一択だろ」
漣がいぶかしげに、ためつすがめつする。
「あたしの目を盗んで素早く選んだんじゃないの?」
「おれにマジシャンみたいな早業、できると思うのか」
「うん」
漣が屈託なく首肯した。
「過大評価だよ。おれはおまえが考えるほど、芸達者じゃないって」
漣が首をひねる。『何ほざいているのかしら』という面構えだ。
残念。おれの所感ですから。つーかなぜに漣がおれを買いかぶるのか、理解できない。
とりあえず判明していることがある。言い合いを続行したところで、こんにゃく問答にしかならないだろう、ってことだ。つまり先手を打ち、折れるのが得策。
「おれの入力タイミングは、どうだっていいや。ただな、ペアの約束したって種目自体が採用されないと元の木阿弥ってこと、お忘れなく。卓球はマイナースポーツだし」
「ご心配なく。卓球は選ばれるよ、絶対」
漣が予言した。
「やけに自信満々だな。多数派工作でもしたのか?」
漣がかぶりを振る。
「根回しなんて小細工、するまでもないよ。あたしと勇司がそろって希望した競技が選外なんて、前代未聞なくらいあり得ないじゃん」
ふふん、と鼻を鳴らした。
おれとしては漣の言動のどこが根拠たりうるのか、疑問しか浮かんでこない。重箱の隅をつついたとしても、「女の勘」と言い返されるのが自明の理。
だとしたら口をつぐもう。おれは座右の銘が『ぬれ手であわ』、モットーが『省エネで破格の暴利をゲット』なのだ。
「締め切りは今日で、明日が結果発表。おのずと、漣の予告の正否が判明するだろ」
「心して待つといいよ。あたしはノストラダムス級の予言者だから」
とすりゃ当てにならないな。1999年7の月、アンゴルモアの大王は来訪しなかったのだから。
ポンコツ未来視はさておき、おれらの学校──つつじヶ浦高校の特色に触れておこう。
おれと漣が所持するスマホは学校から支給された代物だ。全校生徒にまんべんなく行き渡っている。反面、私物の携帯電話は校内持ちこみ禁止だったりするけれど。
学校支給端末の特徴として生徒間の通話が終日無料と、インターネットなど外部ネットワークには接続できない。標準アプリでのメッセージ交換は可能だけど。内輪でコミュニケーションを図ることに特化しているのだ。
ただし意思疎通の円滑化が主たる目的ではない。当スマホで実現したいのは、生徒たちを学校運営に参加させることだ。
具体的にはアンケートを用いる。たとえば今回のように『球技大会の種目は何がいい』と問いを発し、選択肢を複数提供するわけだ。学生たちが各々好みの回答に一票を投じ、集計して民主主義の大原則、多数決により決定がなされる。
アンケート内容は多岐にわたり、学年やクラス単位といった範囲も自在に設定可能だ。従って千差万別なルートから、おれらは自分に合った最適解を選択していく。数の原理によりふるいにかけられることは免れないけど、何から何まで教職員にお膳立てされる通常の学校よりは、自由度が高いといえるに違いない。
投票システムの導入は政府主導で行なわれる国家プロジェクトだ。スローガンは『学生の自主性をはぐくむ教育』。実証実験として、つつじヶ浦高校に白羽の矢が立った。
おかげでおれたちの高校は、俗にこう呼ばれたりもする。
〝投票学院〟と。